齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

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本当の個人主義とは何か

子ども「なぜ人を殺してはいけないの?」

個人主義者「殺してよい。だれかが命じるのではなく、あなたが心の底から望むのであれば」

 

「個人主義者」と聞いてどのような人を思い浮かべるでしょうか。

 

利己主義者。

一人で行動する人。

非協調的な人。

 

いずれもあたっているようで違います。

個人主義者は利他的で協調的であることも可能だからです。

 

本質的に個人主義者とはどのような人かを考えてみたいと思います。

 

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by 白髪一雄

なぜ人を殺してはいけないか 

「人を殺してはいけない」という道徳は普遍的なものだと考えられている。しかし、現在のように殺人が絶対悪のようにみなされたのは近代に入ってからのことだった。

 

武家社会や宮廷社会を想像すればわかりやすいが、名誉や自由のためにだれかを殺すことは批判されるよりむしろ賞賛された。

 

暴力が近代において悪だとみなされるようになったのは、テッド・カジンスキーによれば、社会変革をもたらす大きな力を持つからだという。投票に行くよりも爆弾テロの方がはるかに社会に影響を与えうることは明白な事実である。

 

「なぜ人を殺してはいけないか」という素朴な問いは哲学的問題として語られることが多い。この問にはっきり答えられる人は少ない。永井均のような哲学者も不毛な議論をしている

 

しかし、この問は回答困難である。「人を殺してはいけない」ということに根拠がないからだ。最良の答えで「人を殺してはいけないのは、人を殺してはいけないからだ」とトートロジーになるほかない。「神はなぜ存在するか」という問いに対して「神が存在するから存在するのだ」と答えるしかないように。

 

そう、「人を殺してはいけない」という道徳的観念は宗教と同じくひとつのイデオロギーである。私たちが思っている以上に、暴力の否定は人々に深く染み込んだ内―規範である。

 

私がこの例をもちだしたのは、本当の個人主義はこのようなイデオロギーを破壊する力があるということを示したかったからである。

 

昨今、個人主義は誤解されている。個人主義は一人で行動をしたり、他人と違う考えをしたり、独善的な行動をすることではない(個人主義者にそういう傾向があるとしても)。

 

個人主義者とは、他者や社会集団の与える価値観やイデオロギーをすべて拒絶し、自分の考えや願望、感性を最優先することである。

困難な個人主義――権力と大衆

あらゆる国家は個人主義を嫌う。

 

 

本質的に国家は服従―被服従の関係で成り立つので、国家は民衆にコンフォーミスト(順応主義)となるよう働きかける。コンフォーミズムは秩序と服従をもたらすからである。

 

顕著な例は、警察と軍隊である。この近代国家が必ず持つふたつの装置の特徴は、厳格な規律、トップダウンの指揮系統、組織への服従、制服とバッジだ。このすべてが意味するのは「個の消滅」である。

 

国家の夢見る社会はファシズム社会である。つまり、個人の完全な消滅であり、警察化・軍隊化である。かつての日本やドイツは支配層にとっては理想的な状態だったのであり、現代の支配者もその状態を望んでいる。

 

しかし、ファシズム国家は一種の理想状態であり、維持困難だった。第一に、だれにも明白な大きすぎる抑圧は生産性の低下を招いた(かつて奴隷が非経済的だったように)。そして反逆の芽を生む可能性があったし、自由を奪うということで敵対する国家に攻撃の口実を与えた。

 

したがって、現代の統治は人々に「私は自由で主体的な個人だ」と思わせるようになった。それは主に生産性の向上と秩序の強化のためである。

 

つまるところ、現代では権力は形を変えて巧妙化されたのである。

大衆の誕生

あらゆる国家が人々の多様性や自由を尊重すると主張する。まさにそのことによって画一性と不自由が達成される。国家の与える多様性や自由は非常に制限されているからだ。

 

私たちは生まれたときからイデオロギーや価値観に囲まれている。自動車や高層ビル、ファストフードを受け入れる。学校制度を受け入れ、賃金労働を受け入れる。結婚制度を受け入れ、新しい世代を再生産する。日常のすべてがノーマル化normalizationされている。

学校、職場、家庭――強制的な場空間に閉じ込められ、日常的に他者の監視と干渉のもとに生きることを当然だと考える。私たちは自由だとされる。学校を選ぶ自由はあるし、職場を選ぶ自由はある。自由恋愛によって、だれと家庭を築くか選ぶこともできる。しかしそれは限られた自由である。

 

私たちは「自由な国」に暮らしながらも、学校へ行かないこと、仕事をしないこと、生涯未婚であることには強い抵抗がうまれる。アブノーマルな個人に対して権力が横から働く。特に秩序を破壊する行為には全力の抵抗が生まれる。

 

ノーマル化を可能にしているのは大衆である。大衆とは、既存の秩序を構成する価値観やイデオロギーに屈服した個人の集まりである。

 

この大衆――圧倒的な多数者はそれぞれは個人であるとしても、個人主義者とは真逆の存在であり和合することはない。

 

日常的に個人主義者は大衆と絶えざる闘争におかれている。

本当の個人主義

個人主義は、他者や社会の与えるイデオロギーや価値観を拒絶することから始まる。

 

個人主義とは自分の欲望を、それが反社会的だったり非常識的であるとしても満たすことであり、社会が自分に課す役割を拒絶し、自分の望む道を自分で選ぶことである。

 

個人主義がもたらすものは、第一に統治からの解放である。個人主義は統治に対する最大の武器となる。個人主義者はイデオロギーによる操作に抵抗するし、それが不可能だとしてもイデオロギーの存在に気づくことができる。

 

権力と戦い解放されるためには、まず自分に働いている諸力を認識する必要がある。大衆は「知らない」ことさえ「知らない」のであり、その無知を抜けだすためには個人主義は必須前提となる。

 

個人主義は統治への拒絶を可能とし、そのことは自己の最大の発展を可能とする。

 

自己を最大に発揮し、発展させ、無限の探求を可能にする。それが個人主義である。

 

路端の草木は、私たちが何もはたらきかけなくてもそれ自体で発育してゆく。人間は植物と同じように成長し発展する根源的な欲求をもっている。

 

大衆的なイデオロギーや価値観は、この欲求から目をそらさせ、個人としての発育を阻害する。そのことによって秩序ある社会が実現する。

まとめ

  • 国家や資本主義は私たちに集団主義であるよう求める。個人が消滅することで社会秩序は強化され、安定化するから。
  • 私たちは生まれたときから役割やイデオロギー、価値観に囲まれている。
  • 個人主義は「統治」に対抗し、自由に自己発展させるための最大の武器となる。

現代で個人主義が困難なのは、生まれたときから既存の価値観に囲まれ、さらに学校や家庭といった装置によって埋め込まれるからだ。物心がつく前に既存秩序をノーマルなものだと認識すると、そのような世界を疑うことは難しい。

 

「本当の個人主義」が実現するためには、あらゆる制度を批判する必要がある。国家、資本主義、学校、宗教、道徳、監獄、警察、軍隊、官僚、家族、労働……いわばそれまで「世界」と認識してきたものを解体する作業が必要となる。これは通常痛みを伴うのでだれにも可能ではない。

 

しかし個人主義者となるのでなければ、イデオロギーに服従した大衆となるしかない。そして大衆の生は、個人主義者から見ればおそろしく空虚な生である。