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「非暴力主義」がインドを独立させたのか

非暴力活動家によって主張されるすべての勝利には、歴史の操作と隠蔽された証拠のパターンが見られる。 ピーター・ゲルダルース

インドの独立は非暴力運動によって実現したとされています。

 

これを根拠に、暴力は何も生み出さないのだ、あるいは非暴力運動は有効なのだ、という主張がある。

 

しかし、「美談あるところに欺瞞あり」。

非暴力、不服従――美しいインド独立実現の影には何が存在したでしょうか。

 

聖者とされるガンディーが私生活では女たらしだったように、あまり語られない暗部があるのかもしれません。 

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インド独立の実態

現代アメリカの代表的なアナーキストのひとりにピーター・ゲルダルースがいます。

 

アナーキストは意外と非暴力主義が主流。そんな中で彼は「非暴力主義は国家や既存秩序を守るイデオロギーだ」と批判します。

 

彼の著書「How Nonviolence Protects the State(いかに非暴力が国家を守るか)」の「Nonviolence is Ineffective」の章から引用していきます。 

前提:よくあるインド独立運動史

インドではガンディーの指導の元、人々が大規模な非暴力運動を数十年続け、イギリスの帝国主義を妨害するために抗議、非協力、経済的ボイコット、ハンガーストライキ、不服従行為を行ったといわれている。

彼らは大虐殺に対して暴動を引き起こしたが、全体として運動は非暴力的であり、数十年にわたって堪えたのち、インド人は独立を勝ち取り、平和主義の勝利の否定できない証明をつくり出した。

とされています。全体のテーゼとして「非暴力主義がインド独立を実現した」というもの。

「暴力」によって衰退する大英帝国

現実の歴史はより複雑だった。

 

多くの暴力的な圧力がイギリスの撤退の決定を誘導した。イギリスは極限の暴力であるふたつの世界戦争によって数百万人の軍隊やその他の資源を失い、植民地統治の力を維持する能力を失った。特に第二次世界大戦は「母なる国」を荒廃させた。

 

1945年から1948年までのパレスチナでのアラブ人とユダヤ人の闘争はさらに大英帝国を弱体化させた。

 

そしてインド人たちがもし長期間無視された場合、不服従を放棄し武器を取るという脅威が明らかになった。このことはイギリスが直接的な植民地統治の放棄を決定した要因として排除することはできない。

イギリスの国力は第二次世界大戦で没落した。パレスチナ問題ではイギリスは「もううちでは手に負えないよ」として国連に問題を丸投げした。イギリスはかつてのような強国ではなくなっていたのです。

 

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国債GDP比のグラフ。インドが独立した時期は、国債のGDP比が過去最大に高まった時期だった。1929年からの10年、イギリスは史上最悪の不況「グレート・スランプ」。WW2で戦後は商船を失ったことを要因に貿易輸出が三分の一に減るなど苦境を強いられた。

非暴力運動は主流ではなかった?

イギリスの植民地主義に対する抵抗には、ガンディー主義的手法は人気のある抵抗運動のうちの一つとして見ることが正しいほどに武装的抵抗が含まれていた。

 

不快な普遍的パターンの一部として、平和主義者はこれらの暴力的抵抗を消去してしまい、ガンディーと彼の弟子がインドの抵抗の唯一の指導者だったという誤った歴史が伝播させている。

 

イギリスの植民地者に対して武装闘争を行ったチャンドラ・シェカール・アザド、「外国とインドの資本主義をともに打倒する」ことを実現するために爆弾と暗殺で大衆の指示を獲得したバガット・シンのような武闘派指導者は無視される。 

 

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チャンドラ・シャカール・アザド(1906-1931)。1922年のガンディーの運動中止に失望し、武装闘争を行う。カコリ陰謀事件(武装勢力による電車占拠)やイギリス人警察官への報復殺人に携わる。逃亡生活を続けていたが、警察官に銃撃され死亡。

 

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バガット・シン(1907―1931)。自由運動家ララ・ラージパット・ライの死に対しての警察官への報復殺人、爆弾テロに関与する。しばしばマッチョな革命家と描かれるが行動家というよりも理論家だった。23歳で亡くなったが、彼の死は独立運動に大きな影響を与えた。

平和主義者のインド闘争史では、スバス・チャンドラ・ボースのようなインド国会の首相に1938年、1939年に二度選出された武闘派の候補者を説明することができない。

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チャンドラ・ボース(1897―1945) 1938年、1939年、インド国民会議派議長。インパール作戦に関連して知る人も多いだろう。「イギリスが武力で支配している以上、インド独立は武力によってのみ達成される」という信念をもっていた。ガンディー主義者とは激しく対立したが、民衆の支持を得、独立運動に強い影響力をもった。

ガンディーはインドの独立運動でおそらくもっとも影響力を持ち人気のあった人物だが、彼が想定される指導者としての地位はつねに大衆に支持されたわけではなかった。ガンディは1922年の暴動後(訳注:アムリットサル事件のこと)に暴動の中止を呼びかけたとき、支持を大きく失った。その後彼が英国に拘束されたとき、「インドにおいて逮捕に対する抗議は何も起きなかった」とされる。

 

重要なことは、ガンディーが歴史上他のだれよりも覚えられているのは、彼がインドの人々の無数の声を代表していたからではなく、彼が英国の新聞によって注目を浴びたこと、そして彼が英国の植民地政府との重要な交渉に関わったことにあった。

 

歴史が勝者によって書かれることを思い出した時、インド独立神話の別の層が明らかとなる。

 

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英新聞「London News」の記事(1931年)。ガンディーは新聞によって独立運動のアイコンとなった? ちなみに当時のイギリスはかなり民主主義や平等主義が浸透しており、植民地支配への抵抗は比較的に好意的に受け止められた。

「ハッピーエンド」ではない独立後のインド

平和主義者がインド独立が非暴力の勝利だとの主張するもっとも残念な面は、この主張が白人至上主義者やグローバル・サウス(南半球の発展途上国)を植民地化する帝国主義国家の利益のために行われた歴史的偽造として役割を持つことにある。

インドの自由化運動は失敗した。イギリスはインド撤退を強制されることはなかった。むしろ、彼らは直接植民地支配から新植民地支配に領土を変えることを選んだのである。どのような勝利が敗者に勝者の優位性の時間と態度を決めることができるだろうか? 

独立後も、かなりのイギリス人が依然として要職についていた。特にインドの軍隊に留まるイギリス人は多かったようである。

イギリスは新しい憲法と選出した後継者に権力を与えることにした。彼らは宗教と民族の分離主義の枠組みをつくりあげ、インドはそれぞれで対立し分離し、平和と繁栄は妨げられ、欧米国家の軍事援助やその他の支援に依存するようになった。

独立直後に印パ戦争が起きた。そして、戦争の種をつくったのはイギリスの分断統治だった。

インドはいまだに欧米企業に搾取されている(いくつかの新興インド企業、大部分は子会社が、略奪に参加したが)。そしていまだに帝国主義国家のために資源と市場を提供している。多くの点でインドの貧困は深刻化しており、搾取はより効率的となっている。植民地法からの独立はいくつかの地域をより自立的にし、一握りのインド人が権力の座につくことを可能にした。しかし搾取と共有財の商品化は深刻化した。 さらに、インドは簡単に認識できる外国の抑圧者からの意義深い自由化という機会を失った。現在あらゆる自由化運動は、はるかに発展した国内資本主義と政府を廃止するために、ナショナリズムや民族的・宗教的敵対の混乱したダイナミクスという課題を乗り越えなければならない。

 

総論として、独立運動は失敗だったと証明される。

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南アジアと韓国の経済成長の比較(一人当たりGDP)。約半世紀間、インドの経済は低迷したままだった。一方、イギリスは1950年から1970年にかけて経済成長を果たし、不景気を脱した。

 

ちなみに独立運動によってガンディー一族がどれだけ金持ちになったのか調べたかったのですが、以下の記述がQuoraにあって、そういう認識なのかなあと感じました。

彼らの富の総量は独立後に市民が失った金額に等しい。私たちは侵略者の土地にいたからである。第一にムガル朝の、第二にイギリス人の、第三にインド国民会議の。

まとめ

  • イギリスは大戦により弱体化しており、植民地支配の力を失っていた。(そして大戦は究極の暴力である)
  • 非暴力運動には、もしそれが無視された場合暴動が起きるという含みがあった。
  • ガンディー主義的非暴力主義は、人気のある独立運動のひとつに過ぎず、武闘派の革命運動も人気があった。
  • 指導者としてのガンディーは常に人気があったわけではなく、1922年に運動停止を宣言して人気を失った。
  • ガンディー主義的非暴力主義は必ずしも民衆の総意を代表したものではなかった。
  • イギリスは植民地経営をインドから南アフリカに移動させたかった?
  • 独立運動後もイギリス人官僚はインドにいつづけた(特に軍隊)。
  • インドは独立後に明確な外国の敵を失い、革命の機会を失った。
  • インドは直接的にではなく、間接的に搾取されることとなった。
  • 結局、独立後もインドは欧米の意のままに支配されている。 

 

以上より、「非暴力主義運動によってインドが独立した」というのは一種の神話だと言える。

 

ではどうしてインドが独立したか?

ひとつにイギリスがヘゲモニー国家としての地位を失い、国力を失っていたこと。第二に、直接統治が非効率的だと認識されてきたことにあるでしょう。 

近代以降の歴史は世界システム論的に見る必要がある 

近代以降の歴史は、一つの国の中で近視眼的に見ること(一国発展段階論)は解釈を誤ることになります。

十六世紀以降の世界は、ヨーロッパと非ヨーロッパ世界が一体となって、相互に複雑に影響し合いながら展開してきた……

 

このような世界システムには、全体が政治的に統合されている「世界帝国」と、政治的には統合されていないが、大規模な地域間分業によって経済的に結ばれている「世界経済」と呼ばれるものとがある。 近代世界は、後者の原理で成り立っている。(「世界システム論講義」川北稔)

重要なことは、近代以降、経済と政治が分離されたことです。インドはたしかに政治的に(ある程度)独立したが、経済的には搾取され続けた。

 

アメリカで奴隷制が廃止されたのは、奴隷よりも賃金労働者の方が「経済的」だったから――これと同じことが、インド独立にも言えるかもしれません。

 

実際、独立後のインドは経済的に低迷し続け、イギリスは不況を脱し経済成長を果たした。

 

ともあれ、インドは非暴力運動だろうと暴力運動だろうと「必然的に」独立していたと予想できます。