齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

イデオロギーとしての家族

私たちは家族と生活することを選択しているのではない。それに閉じ込められているのだ。Susan Rosenthal

 

家族――それはもっとも成功したイデオロギーです。

 

もはや王や教会に屈服することはなくなった私たちです。

しかし家族のためなら自分を犠牲にする。

 

なぜ今、家族イデオロギーが強力なのか?

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資本主義における家族の役割

「家族」はイデオロギーです。

社会システムの維持に必要なものです。

 

注意深くテレビや映画などを観察すれば、何百回も「家族はすばらしい」と繰り返していることに気づくでしょう。

 

家族イデオロギーはもっとも気づきにくく、成功した洗脳といえます。

 

しかし、資本主義はなぜ家族を理想化するのでしょうか。

労働者の再生産

資本主義は資本家が労働者から搾取することで成り立つシステムです。

労働者階級がいなくなってもっとも困るのは支配層です。労働者を搾取するだけでなく、再生産させることも重要となる。

人間は資本家階級にとって、地球上でもっとも重要な資源である。彼らは石油、石炭、軍事兵器、金や鉄よりも重要だ。 (Why capitalism causes oppression | Red Flag

 

核家族は資本主義における労働者階級の理想的な再生産モデルです。

 

賃金奴隷としての父親。

再生産者としての母親(賃金奴隷を兼ねることもある)。

再生産物としての子ども。

 

核家族とは資本主義発展の核であるとも言える。

賃金労働の定着性

資本主義で家族が称揚されるのは別の理由もあります。

家族は労働者を可能な限り労働に縛り付けることを可能にします。

 

仕事がつまらないから辞めよう。貯金が少し貯まったからしばらくぶらぶらして、自分の好きなことをしよう。

 

そういう労働者階級ばかりでは都合が悪い(中世や初期資本主義ではそのような人ばかりだった)。

 

労働者が就業しない期間が長くなると別の不都合が生じます。

彼らは賃金労働やその他のことについて「考え」始める。既存の体制に疑念を抱くようになる。それも都合が悪い。

 

労働者に家族を与えたらどうなるか。

「扶養家族」を付与することで、賃金への依存度を高めることができます。経済的な責任感を労働者に持たせ、特定の場所に定住させて、何十年もの搾取を可能にする。

 

日本でも大企業は20歳までに結婚しないと出世に響くとされますが、家庭に縛られた労働者の方が扱いやすいのです。

労働者に生きる意味を与える

現代社会の労働者は生きる意味を喪失しています。

 

賃金労働とはだれかの利益のために労働すること。そのだれかとは自分よりも豊かで力のある人です。まともな理性があればそんな人生に意味を見いだせない。資本主義下では「生きがい」は非常に制限されるのです。

 

しかし、恋愛や結婚生活、子育てはわずかばかりの「生きがい」「生きる意味」を与えてくれます。賃金労働者は搾取され続けるわけですが、そんな人生に意義や意味を与えるのが家族なのです。

 

……

 

以上のように、資本主義社会では家族を理想化するメリットが多々あります。

 

逆にいえば資本主義は再生産しない人間に対して過酷であり、高齢未婚者やLGBTは差別の対象になります。だれかが「同性愛者は非生産的」と言いましたが、資本の論理としては正しい(そして人間としては間違っている)。

抑圧される子ども

以下はSusan Rosenthal氏の記事からの引用していきます。The Myth of Personal Life Under Capitalism

 

子どもはすべて反逆者として生まれます。

彼らは人間そのもの――原始人であり、野蛮人です。

子どもたちは資本主義にとって問題である。というのも、子どもたちは生まれつきの科学者だからだ。彼らはなにもかもに「なぜ?」と問いたがる。

 彼らを「不平等な境遇に甘んじる従順な労働者」に作り変えるにはどうすればよいのか? そのために用意したのが学校教育であり家庭という牢獄です。

子どもたちの「なぜ?」に直面したとき、ほとんどの大人たちは答える際にひどく抑圧され、恐怖を感じ、狼狽するようになる。大人たちの不満な態度によって、子どもたちは質問が許されないのだと認識する。

子どもは親に生殺与奪を握られていますから、親を不快にするような質問はしないようになる。 

子どもたちに与えられる「限定的な愛」

子どもたちは服従することが絶対善だと教え込まれます。

子どものときに私たちは、服従したときに「良い」、不服従のときに「悪い」ということを学ぶ。

 

愛と受容は、私たちに権力をふりかざす者に奉仕した際の限定的なものになる。少年と少女は異なるジェンダーの期待のフィルターを通じてメッセージを受け止めるが、同じことである。少女は自分ではなく他者の必要を優先することが期待される。少年は雇用者と上級役員のために自分の生を危険にさらすまで命令に従うことが期待される。

結局、「服従せよ」というのが子どもたちに教えられるすべてです。

「教会」の役割と同じですね。

子どもたちを服従者――生産と再生産の機械にするために、反逆につながるような私たちのすべての面を拒絶するプロセスが永続化される。私たちの好奇心や、知ること、価値付けること、そして自分たちの生活や世界を築き上げること。  

地獄が再生産される

結果として、私たちは完全な人間となることができない。私たちが自分自身の一部が無価値だと感じるとき、自分を見せることを恥じるようになり、私たちの人間関係は表面的で不安なものになる。

 

私たちが自らを表現できないとき、私たちは自分自身でいることで愛されると信じられなくなる。見た目や資格、ステータスによって愛を得ようとする試みは失敗する運命にある。というのも、条件つきの愛はその定義上、不確かなものだからだ。そして私たちの価値や関係における不確かさは私たちを惨めにする。

 

私たちは空虚で孤独感を感じると、自らを責め、互いに罵るようになる。自らを非難することはより多くの恥、低い自己評価、鬱病、痛みを和らげるための依存症を引き起こす。互いに非難しあうことはもうひとつの地獄を生みだす。 

資本主義社会では、だれもがありのままの自己を肯定されず、仮面をつけた自己しか評価されません。

 

ひとびとは社会的地位や高級車などで自分の価値をアピールしますが、それで得られるのは不安定な条件つきの愛でしかない。

 

私たちは空虚さを感じ、互いに攻撃しあいます。だれもが確証された「無条件の愛」を求めているが、だれも与えてくれないからです。

 

言うまでもなくそのような社会はクソです。

終わりに 家族というイデオロギー

「家族」はイデオロギーである。

このことを知ると、私たちの生活にいかに権力が浸透しているかがわかります。

 

権力は、下部からくる。支配するもの、支配されるものという古典的な二項図式は否定される。社会の基盤にある家族や会社、サークルなどの小集団のなかで生みだされる力の関係が、全体を統括する権力関係の基礎となる。(フーコー 知と権力/桜井哲夫)

 

私たちは家族を生きがいだと感じるかもしれません。子どもを育て上げること、それが人生の最大の目標のように考えている人は多い。

 

しかし、多くの場合ひとりの納税者と労働者を作り上げることに終わります。それにどのような意味があるのかは疑問です。

 

私たちの生は、もっと大きな可能性をもっているように思います。