齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

TCS アナーキーな子育て

「子ども」は抑圧され、支配されている。

 

子どもはつねに管理され教育され、支配されなければならない「人間未満」として扱われます。

 

相手を「人間未満だ」として支配を正当化することは古くからの伝統です。奴隷制がそうだったし、現代でもエリート官僚が人民に抱くのはそんなものです。

 

ただ子どもたちほどあからさまに、また強烈に抑圧されている存在はないのではないかと思います。

 

TCSという、アナーキスティックな養育方法があったので紹介します。

f:id:mikuriyan:20180902145751j:plain

Taking Children Seriously(TCS)とは何か

グリーン・アナーキー誌の2002年の記事「Taking Children Seriously (TCS) and Anarchy」を参考にまとめていきます。

 

Taking Children Seriouslyとは、20世紀末に提唱された教育法のようです。「子どもたちを真剣に受け止める」「子どもたちを子供扱いしない」というように訳せばいいのでしょうか。うまい訳が見つかりませんね。

 

TCSの思想の核は、あらゆる形態の強制は知の発育、心理的発育に悪影響を与えるということです。

 

TCSのベースはカール・ポパーのエピステモロジー(認識論)のようです。ポパーといえば科学哲学の強烈な批判者として有名。反証可能性のない科学は非科学的である、というような考え方をしました。

 

TCSは子どもと親が相互に協力し、双方の利益となるように諸問題や不合意を解決するような方法論です。

子育ての抑圧

ほとんどの人は、子どもたちを組立ラインに置かれた製品のように考えています

 

子どもたちは学校や親の指導、生活の経験、また宗教的な内―規範化によって、適切なソフトウェアがインストールされなければならないとされます。

 

また教育による管理統制や「しつけ」は、製品が組み立て段階で損傷してしまったり、工場を抜けだしてしまわないようにします。

 

こういった考え方は「子どもたちは理性に基づいた思考や自らでの行動決定ができないのだ」といった信頼の欠如からきています。

子どもの選択の自由を保証する

TCSは、子どもたちは工場/生産パラダイムの外で生きることが可能だし、またそうあるべきだと考えます。

 

あらゆる権威は知の発育を阻害します。

 

というのも、権威は「自分のために考えること」「自分のために行動すること」は無益であり、してはならないと教え込むからです。

 

TCSはすべての行動は個人の選択の結果だと考えます。

 

子どもたちは正しい選択以外にいろいろな「まずい」選択をするわけですが、いずれにせよ、現時点で彼は理性によって最良の結果を導き出したのだ、と考えるのです。そして「まずい」選択は、結果として成長と知識の発育を促すことになります。

 

TCSの根底には、人々が自らの思考を実践にうつし、アイデアの妥当性をテストできることが保証されているような環境がなければ、知識を発育することは困難だという考えがある。

アメとムチによる管理を排除する

さらには、TCSは権威的人物による「教育」や「指導」は子どもたちにとって本来価値をもたないものに価値をもたせるとします。

 

たとえば子どもたちは言いつけを守ることによって権威の締め付けが緩められたり、心理的あるいは物質的なインセンティブが与えられる。

 

テストで良い点が取れれば両親は優しくなるし、ゲームを買ってもらえるし、同級生にも一目置かれるわけです。

 

しかし、「テストで良い点をとること」は子どもの本来の関心ではありません。

 

こういったインセンティブによる条件づけによって、親―子ども、あるいは学校といった社会構造の外側にある「知識」 や体験は子どもたちにとって利用価値のないものとみなされ、容易に忘却されてしまいます。 

 

いわば、受験や労働、家庭以外に興味を持たない人間が生まれるわけです。

TCSの親の役割は「ヘルパー」

以上のように、親は子どもを基本的には放任すべきだとされますが、しかしTCSにおいて、親の子どもたちへのアドバイスは重要なものとみなされます。それが子どもたちにとって有用であり、彼らが主体的に受け入れようとする限りは提供しなければなりません。

 

TCSでの親の役割は「ヘルパー」です。ガイドであってはいけません。良いアイデアや情報、資源や物資の提供者です。親はまた、子どもが強制的な状況に置かれるようなことがないように積極的にはたらきかけなければいけません。

 

両親は子どもの「保護者」である必要もない。子どもが自由でオープンな環境で生きることを補助する人々であるべきです。子どもたちが助けを求めた場合に限り、保護者としての役割を果たすべきだとされます。

 

TCSの親は超人的だ、と思われるかもしれません。働きものだ、自己犠牲的な聖者みたい、と感じられるかもしれませんが、TCSはこういった子育てとまったく逆です。

 

TCSは両親が子どものために犠牲になることは望んでいません。両親と子どもの望みと、好みが平等に重要だとする考え方です。

 

子どもと両親の不合意や諸問題に対しては、双方に好ましい解決方法を模索します。権威的な人物は、独立や創造的思考に関する能力の発展を阻害します。しかしながらTCSでは、より創造的に、より効果的に全体にとって有益となる解決策を見出そうとするわけです。

 

TCSのコツは、つねに正直であること。つねに子どもと両親の共通の望みを見出すこと。そして、権威が主張する「そんなことは不可能だ」という神話に屈しないことだとされています。

TCSの失敗

アナーキズムは国家や宗教、文明といった巨大なことは分析してきたのですが、心理学や直接的な人間関係についてはあまり焦点をあててきませんでした。

 

TCSが失敗するのは、このまったく逆のことが起きることによってです。つまり、ミクロなことを分析するあまり、国家や文明の問題点を無視してしまうことです。

 

たとえば子どもたちが合法的守衛であり、すべての「脱走者」を引き戻すところの警察の元で生きさせること。すべての子どもを物質的に両親に依存させるような経済状況で生きさせること。こういった状況下では、両親はどのような子育て方法をとろうとも、権威的存在になってしまいます。

 

親はいつでもどんな理由であっても、国家のバックアップによって子どもたちに強制させることができるからです。

 

TCSにおいて、親たちは国家や経済がいかに自分たちの個人的な関係に影響を与えているかを詳細に分析しなければなりません。

 

そうしない限りはたとえば人種、階級、家父長制に関する価値観を無条件に受け入れることにつながり、国家や学校と同じように子どもたちを拘束することになります。  

まとめ 子どもを子ども扱いする邪悪 

以上TCSの価値観や方法論をざっと見てきました。

 

同記事は以下のように締めくくられています。

子どもたちは抑圧され支配された人々の階級であり、このことはアナーキストによってでさえ大部分が無視されている。焦点があてられたときでも、それは教育システムや国家法に向けられるだけである。養育の慣行と実践の大部分は触れられていない。

これは事実でしょう。アナーキストの学校批判はよくあるのですが、親子関係に対する批判はあまり聞いたことがありません。

 

個人的にはTCSは非常に魅力的で理想の教育メソッドです。私もそんなふうに養育されたかったな、と思います。

 

またTCSはアナーキズムと不可分であり、国家や学校の役割を理解しない限りは不可能な教育法であるでしょう。

 

逆にいえば、親と子の支配関係を批判しなければアナーキズムは存在しえません。アナーキズムとTCSは両輪の関係にあるといえます。

狩猟採集社会は基本的にTCSだった

ひとによっては、「バカバカしい、対等な親子関係は無理だ」と考える人がいるかもしれません。が、実はそういった考え方こそ権威による洗脳の結果です。

 

一般に狩猟採集社会では、赤ん坊にさえ大いに自主性が認められます。

 

赤ん坊が火に触れそうになったら、現代の親であればすぐさま子どもを助けようとするでしょう。しかし、狩猟採集社会の親たちは子どもを火傷するままにします。そういった部族では顔や手足に火傷跡のある成人が少なくない。

 

これは現代では育児放棄となるでしょう……が、これは真に子どものことを考えた結果なのです。

 

そういった子どもに自主性を与える社会では、一般に子どもたちは知能が高く、成熟して自立心が高い、協調的な大人に育つとされます。

 

ひるがえって、現代の猫かわいがりされて育った私たち高度文明社会の人間が、自主性を失い、何のために生きてるのかわからないつまらない人生を送っていることは皮肉な現実でしょう。

 

実のところ、TCSとは人間の本来の子育てといえるのかもしれません

 

子どもはペットではないし愛玩動物でもない、組み立て段階の製品や奴隷でもない。そんな当たり前のことが見過ごされている、といえます。