齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

褒める教育のまちがい――報酬型教育の危険

処罰と報酬はコインの表裏である

 

子どもたちを罰するのはよくない。

褒めることが「進歩的な」教育だ――。

 

こういった考え方は一般的です。

 

しかし報酬を与えることは、子どもたちを都合の良いように操作し、管理することに他なりません。

 

「報酬型」の教育は、「処罰型」教育と構造はまったく変わらないのです。

 

報酬と処罰はともに行動を操作するものであり、真の学習ポテンシャルを破壊するものである。

 

「報酬による処罰Punished by Rewards(邦題:報酬主義をこえて)」という本で有名になったアルフィ・コーンのインタビューがあったので、そこから得たことを紹介します。

 

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Grandad, She Does Not Want to Go to School
 by James Charles

報酬による処罰

報酬はなぜ処罰と変わらないのか。アルフィ氏の意見を見ていきましょう。

報酬は処罰よりも良い効果を持つか

「罰はよくない」

 

これは教育界では常識であり、そのかわりに報酬を与えることが良い教育法とされています(少なくとも先進的な国では)。

 

しかし、アルフィ氏はその両方を否定します。 

第一に……処罰は破壊的だ。その前提には同意する。

 

処罰と報酬はともに行動を操作する。子どもたちに対して行う2つの形態である。

 

「これをやれ。さもなければ私はこうする」ということと、「これをやれ。そうすれば、あなたはあれを得ることができる」ということは、ともに反生産的であることがすべての研究が示すところである。

 

……ロチェスター大学のEd DeciとRich Ryanが報酬を「誘惑による管理」と呼ぶとき、彼らは正しい。

 

報酬型教育は反生産的です。

 

ふつう、報酬を与えればがんばってくれそうなものですが。

 

なぜそんなことが起きるのでしょうか?

報酬を与えると生産性が下がる

私たちは報酬なしに物事を行うことは嫌だと考えます。「タダ働き」を好む人はいないと考えられている。

 

しかし、社会心理学ではまったく逆であることが証明されているようです。 

社会心理学のもっとも徹底的な調査の示すところでは、だれかになにかをさせる際に与えた報酬が高いほど、そのひとが物事を行う際の興味が失われていく

 

……別の研究グループによれば、問題解決や創造的な仕事をする人に報酬を与えた場合、彼らは無報酬のときよりも仕事のクオリティが低くなった。

 

なんとなくわかるような気がします。

 

「気がついたら一日中取り組んでいた」ようなことって、趣味だったり金銭が絡んでないことが多い。

 

また、アマチュアが商業デビューしたら作品の質が落ちるってパターンはよく見られますね。

少なくとも70もの研究において、外的な動機づけ――A評価や、褒めることなどの報酬――は長期的には単に非効果的であるだけでなく、私たちの関心である学習への欲求、よき価値観へのコミットメントといった事柄については反生産的であることを明らかにしている。

報酬を与えることは逆効果ということです。

かなり多くの研究によって実証されているようです。

モノや金銭で操作されることを人は喜ばない

生徒たちはたしかに物品それ自体――ピザや小遣い、金星――を好むが、行動管理のために用いるレバーを持つことを私たちが楽しむことはない。

「金をやるからあれをやれ、これをやれ」と言われることを喜ぶ人はいません。

 

毎月の給料で暮らしている多くのサラリーマンはそうですし、教師もそうですが、「明日は月曜日だ、嬉しい!」となる人はいません。子どもたちも同じです。

 

報酬によって勉強を動機づけることは、短期的にはともかく長期的には逆効果になるとアルフィ氏は言う。

他人を動機づけすることは不可能 

アメとムチによって操作されても、反生産的な結果を生みだす。

 

アルフィ氏の主張の核は、他人にやる気を出させることは本質的に不可能だということです。

この領域に存在する根本的な神話は、だれかに動機づけすることが可能であるというものだ。

 

……あなたは他者を動機づけることはできないし、問題をそのような形で捉えることは現実的に管理の道具を正当化することになる。

 

さらには、動機づけは子どもたちから始まるものである。小さな子供に数十万まで数えさせたり、高速道路の標識を認識させるために賄賂を与える必要はない。

子どもはそもそも知的好奇心と学習欲求をもっており、わざわざ報酬を与えなくても勝手に学習していくとアルフィ氏は考えています。

子供たちは内発的な学習意欲を持っている。褒めたり操ったりすれば、その自然な動機づけを押し殺し、そのかわりに盲目的従順や機械的学習態度や権威に対するあからさまな反抗を生み出すだけである。(著書:p142より)

 

子どもが興味を持つ事柄とは?

「子どもは自発的に学んでいく」

 

本当だろうか? 非現実的なようにも思われる。

 

どのような教育法が子どもたちの内発的な動機づけを発揮させるのだろうか?

複雑なアイデアを理解するプロセスを促進することが巧みな指導である。

とアルフィ氏は言います。

私たちは、子どもたちを黒板上のことに縛り付け、子どもたちが「楽しみで待ちきれない!」ととびはねることを話しているのではない。

 

「5/7と9/11のどちらが大きい?」という質問の正しい答えは、「どうでもよくね?Who cares?」である。……「比喩と暗喩の違いは?」同じ答えである。

笑ってしまう。たしかに、どうでもいいですね。 

内発的な動機づけを特別強く持つ者は少ない。しかし、子どもたちは恐竜に関する物語を書くことや、宇宙船にどうやって連れ去られるかについては高い関心をもつ。

 

こういったタスクのコンテクストにおいては、生徒自身の問題として、私たちは糖衣でくるまなくても、ゲームなしで、そして何より犬のビスケットを与えることなく子どもたちに教えることができる。 

子どもたちの内発的な動機から興味を発展させていくことが重要だとアルフィ氏は言う。

 

「なぜ子どもたちが意欲的ではないか」ではなく、「なぜ教育の内容が子どもたちに意欲をもたらさないか」を考えるべきだと彼は述べています。

褒めることの災禍

ある生徒を褒めることは、しばしばかなり悪い結果をもたらします。

強制的なしつけプログラムが大部分が褒めることに依存していることは偶然ではない。

 

典型的な例は小学校の教師が「セシリアはとってもナイスね。静かに座ってちゃんと授業の準備ができている」と言うときである。

まあいろんな教室で見られる発言ですがこれのどこが問題なのか。

第一に、教師はセシリアになんら好意を寄せていない。授業のあとに他の生徒たちがやってきて彼女にこう言うことは容易に想像できる。「ミス・ナイスで静かなバカ!」

これリアルですね。教師に気に入られた子どもっていじめられますから、本人のことを考えるなら褒めるべきではない。

第二に、教師は学習体験を勝利へのクエストに変えた。彼女は教室に競争を導入したのである。さあ、だれがもっともナイスで静かな子どもかのコンテストだよ――そして残りのお前たちは負けだ。

 

第三に、根本的に詐欺的な相互関係がある。教師はセシリアに話しかけているように見せかけているが、彼女は実際にはセシリアを用いて教室内の他の人々の振る舞いを操作しようとしている――そしてこれはシンプルに言って、人間に対する振るまいとして良いものではない。

こういう例、ほんとうによく見られます。

たしかに人間の尊厳レベルで良くないですね。 

第四に、おそらくもっとも重要なことは、私があなたに何がもっとも重要な言葉かを表現することだ。私は「私」を信じる。もしこのことが「うまくいく」としても、セシリアや他の人々が私の要求に関心をもち、注視することになる。

ちょっと訳が怪しいですが、ようは他者の要求を探り、そのとおりに従うようになるということです。

お仕置きconsequencesによって支配された個人のなかで、子どもたちはこう考えるよう導かれる。「彼らは私に何をしてほしいのだろう、そしてもしそうしなければ何が起きるのだろう?」

 

報酬志向型の教室では、子どもたちはこう問いかけるようになる。「彼らは私に何をしてほしいのだろう、もしそれをすれば何を得られるのか?」

 

このふたつは根本的によく似ている。

 

こういった思考態度を身につけることによって、自分の内発的関心を失うことになります。

できの悪い子どもを褒めることは重要か

教育者のあいだでは、しばしば成績の悪い子ほど褒めることが必要だと信じられています。

 

が、それも逆効果だとアルフィー氏は言う。 

簡単なタスクでの成功を褒めることは、子どもたちはあまり聡明であってはならないというメッセージを送ることになる。さらに、子どもたちは褒められたからといって物事の重要さやおもしろさを見つける助けにはならない。

 

……このことは「褒める」ということが他の報酬と同じように、究極的には支配の道具であることからも部分的に説明できる。さらには、褒めたり報酬を与えることによって子どもたちに次のように思わせることになる。

「これは僕がしたいことではないに違いない。そうでなければ僕に賄賂を与えるわけがない」

子どもたちは、褒められると「バカのままでいいんだ」「自分のしたくないことなんだ」と思うようになるので逆効果だということです。

「でも、過酷な環境で育つ子どもたちがいる!」

アルフィ氏の主張に対し、愛のない家庭で生まれた子どもたちでさえ褒めてはいけないと言うのか? と教員たちに非難されているようです。

「あなたはこのような子どもたちの持つ背景や家庭生活を理解していないのです。彼らは愛のない、ときに残酷なところからやってきているのです。あなたは私に褒めるなと言うのですか?」

 

私の答えは「イエス」だ。

これらの子どもたちに必要なのは、無条件の支援と励まし、愛である。

 

褒めることはそれとは違う。反対である。褒めることは、「私のフープに飛び込みなさい、そうすればいかにあなたがすばらしいことをして私があなたを誇りに思うか教えてあげる」ということだ。これは問題だ。……それが金星だろうと、アメだろうと、A評価だろうと、私は本質的に破壊的だと信じる。

 

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「フープを飛んだら褒めてあげる!」犬の訓練ならともかく、教育においては破壊的。

 

終わりに 他人を管理することの非生産性

子どもをどなりつけたり、体罰をふるう親をたまに見かけますが、ほんとうに悲しい気持ちになります。

 

しかし、やたらと子どもを褒めるような親にもなにか気味を悪さを感じていました。その理由がわかりました。

 

いずれも、子どもを(親や教育者が望むように)操作しようとする点では同じだからです。

 

アルフィー氏の思想は、単純に言えば以下。

 

人間を操作して何かをさせても生産性は伸びない。

人間はしたいこと、興味のあることをしたときに生産性を発揮する。

 

他者を管理し、操作することは思考や能力の発達を妨げることになります。褒めることで動機づけするのは、犬の訓練には適していますが、人間には向いていないようです。

 

 

子どもは子どもである前にひとりの人間です。

 

子どもを未熟な「人間未満」として管理・強制しようとする試みは、必ずよくない結果をもたらす……ということでしょう。

 

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