齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

齟齬

お知らせ:mikuriya-tetsu.comに引っ越しました

宗教は権威主義である

権威主義者は宗教にハマりやすい。

 

……と、「水は低きに流れる」ような当たり前のことが書かれていたので紹介します。

 

権威主義的パーソナリティとは、「硬直化した思考により強者や権威を無批判に受け入れ、少数派を憎む社会的性格(パーソナリティ)のこと(Wikipedia)」

 

f:id:mikuriyan:20180916094059j:plain

(引用元:https://senseimarketing.com/is-facebook-a-modern-day-cult/

権威主義者はなぜ宗教にハマるのか

Eric R. Maisel Ph.D.のWhy Authoritarians Love Religionより一部を引用していきます。 

権威主義者は権威主義的組織である宗教や軍隊を自然に愛する。

 

彼らはだれかが命令を与え、命令を受けなければいけないだれかがいることを愛する。

 

彼らは軍法会議や地獄の業火のように厳格な刑罰の概念を愛する。

 

彼らは階級的な組織を愛し、敬礼や跪くような身振りを愛する。

 

そして彼らはそのような組織が数百万の敵や異教徒を憎むことを許すことを愛する。 

 

 

権威主義者とその追従者の双方にとって宗教はすばらしく便利なものだ。

 

宗教は他者に価値観を押し付けることを可能にする。彼らだけが真実を知っているからである。

 

宗教は他者を罪悪感なく罰することを可能にする。なぜなら処罰は神の命令だからだ。

 

宗教は不合理な「進行」を増殖させることによって、彼らに理性を否定することを許す。

 

宗教はひとびと、特につねに第二階級とされてきた女性に対して、彼らに過激な虐めを可能にする。

 

これらはすべて権威主義者が願い求めるものである。

 

(宗教は本質的に権威主義的であるために)

彼らは他者を抹殺し、処罰に値するものを指摘する。

彼らは厳格な服従を要求する。

彼らは微妙な言説をスローガンにする。

彼らは自らを選ばれたもの、油をそそがれた、未来の所有者であると宣言する。 

 

一方で、権威主義の究極であるファシズムは「政治的宗教」とも呼ばれている。それはオーソドックスな宗教を真似たものだからだ。

 

Emilio Gentileによって有名になったが、「政治宗教」という言葉はそれ自体を犠牲にする、宗教で装飾されたすべての運動を指している。

 

政治宗教は善と悪の終わらない戦争を強調する宗教を含む。こういった装飾はあらゆる集団や組織に見られる。企業、同好会、専門組織……そしてもちろん家族。

日本教も権威主義である

宗教は権威主義である。

 

だって、自分より偉い神様を信じるのだから権威主義です。

 

「自己=神」であるヒンドゥー教や仏教(日本仏教は除く)は違うと思いますけどね。イスラム教やキリスト教はゴリゴリの権威主義です。

 

日本を代表とする政治宗教、天皇を中心とする「日本教」も権威主義です。

 

日本教の信者はつねに外敵(朝鮮人や中国人)を恐れ、侮辱し、攻撃する必要があると感じています。

 

彼らは軍事力の増強や犯罪者への厳罰化(例:死刑賛成)を望みます。

 

彼らは儒教のような階層的社会、労働者が経営者に服従し、妻が夫に服従する社会を美しいと感じます。

 

彼らは「日本人としての誇り」に満ちていますし、「天皇のためなら死ねる」とか考えている。

 

これが権威主義です。 

 

そもそも「日本教」は明治維新後の人民統制のためにキリスト教をパクって作られたものですから、根っこの部分は同じです。

 

「天皇のために死ねよ」と書かれた教育勅語。それが全国ほとんどの青少年に叩き込まれた。そのあと彼らは軍隊に入る。そこでも天皇のために死ねと教え込まれます。

 

権威主義はそういったプロセスでみっちりと日本人に叩き込まれたのです。 もちろん、教育の効果は絶大で、現代でもさまざまな形で生き残っているといえます。

まとめ:反権威主義のすすめ

権威主義者はイデオロギーに毒されやすいのです。

 

イデオロギーとはなにか。自分以外の概念(イデア)を価値観の中心を置くことです。神でもいいし、国家や会社、家族でもいい。家庭によっては父親や母親が権威者であったりします(いわゆる「毒親」)。

 

健康で成熟した自由を愛する人間は、自分を中心に置きます。自分が自分の主人です。自分の本性にしたがった行動をし、嫌なことを命令されれば「否」と主張します。

 

不健康で未熟で自由を恐れる人間は、イデオロギーを中心に置きます。自分がだれかの奴隷であることに安住します。彼らの信条は我慢や忍耐。自分の人格を否定し、嫌なことを続けて生きていく。

 

自分の人生を自分で生きることなく、魂を殺していくのが彼らです。いくら「私は幸福だ!」と彼らが言っても、残念ながら不幸な人生です。

 

自分の人生を自分で生きること。それが真の幸福への道です。