齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

都市はなぜ孤独なのか

あなたは都市になじめますか?

 

田舎か都会か――という議論は昔からある。

 

私は完全に田舎に住みたいタイプです。ソローやカジンスキーのように山小屋で暮らしたいです。

 

どう考えても、人間にとって都市は異質な場所です。現代のような都市が生まれたのは16世紀イギリスやアムステルダム。かなり最近のことなのです。

 

都市とは何なのか。調べてみました。

 

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オルダス・ハクスレー"Brave New World"の表紙より

都市とはなにか

アナーキスト・ライブラリーを見ていると、アノニマスによるそのままずばり「Thoughts on the City」という記事があったのでかいつまんで紹介します。

 

空間の必要性は、著しく政治的である。

 

私たちの生活する場所が私たちの生き方を条件づける。その逆に、私たちの関係性や活動が、生きる場所をモディファイしていくことになる。

 

私たちの生き方の貧しさの本質を理解するためには、都市を散策するだけでよい。ほとんどの都市はふたつの要求に反応する。それは、利益と社会統制である。

 

都市は、拡大し続ける市場の、より厳格になってゆくルールにしたがい組織された消費の場である。つまり、セキュリティ・マーケットなのだ。

 

わかりやすいモデルは商業中心地である。商業中心地内では、消費者とその家族の周囲には、パーソナライズされた社会性が構築されている。彼らは食事してよい。子どもと遊んでもよい。読書してもよい。しかし、もし金を持ってこなかったとしたら、人生の恐ろしい幻想であることがわかるだろう。 

 

都市は匿名社会であり、何を消費するかで人間の価値が決まる場です。

 

田舎は非匿名社会であり、地位の低い人が高級車に乗ってもバカにされるだけ、となる。

 

お金を持つ人にとって都市は最高の消費の場です。しかし、お金がなければ実に悲惨で抑圧的な場所になる。

 

都市の闇の顔

これと同じことが、多かれ少なかれ大都市で起きている。ひとびとは、どこで討論する相手と出会うのだろうか? どこで消費することなく座ることを許されるのだろうか? どこで飲み、どこで眠るのだろうか? もし彼が金を持っていないとするならば。

 

移民や、貧民や、女性にとって、都市における夜は長い。自らの家の中で快適に過ごす中位の人々は、街の夜の世界を知らない。ネオンのダークサイドを知らない。ベンチの上で警察に起こされたり、すべてが異質で、敵対的に見えるときのことを知らない。

 

中産階級がバンカー(屋根を覆った塹壕)のなかにいるとき、都市は非人間的な怪物としてのほんとうの顔を見せている。

 

田舎の夜は真っ暗でなにもありません。

しかし、都市では「夜の世界」が広がります。

 

実のところ、夜の世界こそ都市の実像だと書かれている。

私たちが寝ている間、都市は「ウシジマくん」のような世界になっているのでしょう。

社会格差と都市の管理

都市はますます要塞や住宅、警備された独房に似てきている。社会戦争――富者と貧者の戦争、統治者と非統治者の戦争――は都市において慣行化している。

 

貧者はオフィスや銀行、または旅行者たちのために郊外へと追放される。都市の玄関口や非常に多くの「思慮のある」地域は、より洗練化されていく装置によって毎日監視される。

 

決められた消費システムへのアクセスの欠如――銀行や保険、医療、学校や警察システムなどによって定義され、決定される――が、都市の明確に決まった地区へ閉じ込められる、新たな危険な階級を決定する。新世界秩序の特徴は都市的な管理を反映している。

 

すでにヨーロッパのほとんどの都市で、ホームレスは都市中心部へのアクセスが禁じられる。また乞食行為は罰金刑であり、まるで中世である。

 

都市は監視し、追放し、拘束する場所であることが描かれています。

 

都市では敗者と勝者の階級分けが効率的に行われます。日本ではその選抜は大学受験と就職活動が代表的でしょう。

 

敗者はスラムへ行くか、中心地から追放される。たとえば港区から足立区に、といった具合に(イメージだけで書いてます)。

 

またホームレスのような過剰な逸脱者、貧者は都市中心部から追放されることになります。 

都市生活と孤立、ヘイト、恐怖

社会の幅広い層のプレカリアート化は、個々人の孤立と同じ速度で進行する。集会場は消失し(したがって闘争も消失する)、ほとんどの貧者は腐ってゆく。

 

そういった社会条件から、ふたつの全体主義の典型的な減少が生まれた。ひとつは非搾取者同士の戦争である。もうひとつはプロパガンダによって生産され、後押しされた秩序と安全への要求である。「冷戦」の終わりに伴い、「敵」は政治的に、またメディアを通じて、「自由な世界」それ自体の内部へと移動した。

 

孤立した市民は、労働と消費のあいだを移動手段である匿名の空間を通じて行き来するが、そこで恐ろしい若者、怠惰な人々、人殺しといったひどいイメージを飲み込んでいる――そして不確かで無意識の恐怖感が、個々人の集合的correctiveな生を奪う。

示唆に富んだ文章です。

 

被搾取者同士の戦争――底辺労働者と生活保護者の戦争はネット上でよく見られます。派遣社員と正社員の戦争、会社員と公務員の戦争も結局は被搾取者同士の戦争です。

 

また「敵は内部にいる」という議論は世界中至るところにあります。移民、メキシコ人、出稼ぎ労働者、娼婦。日本では「在日朝鮮人」ですね。

 

また、「他者に対する恐怖」は私たちの心の深くに根付いています。テレビをつければ毎日殺人犯やパラノイアが映る。「あなたの隣人を信用するな!」とメディアは教え込むのです。

 

そのようにして人々はバラバラに分断されます。

都市の持つ脱政治化

もしも政治が、主に官僚や要人による独占的な、特殊な活動だと定義されるのであれば、私たちが生きる都市は政治的組織である。

 

しかしもし政治が共通の問題に対する幅広い議論や決定を意味するのであれば、都市構造は個々人を意図的に非政治化するよう計画されている、と考える者もいるだろう。つまり個々人を孤立化し、同時に大衆のなかで迷うようにする。

 

結局、非常に優れた政治活動は、警察科学とその実践としての都市計画に反逆することになる。

 

偶然的出会いと、コミュニケーションのための空間を創出することは蜂起である。いずれにせよ、空間の問題は著しく政治的な問題だということである。 

 

都市は孤立を促進するよう作られています。

 

都市の根本原理は「利益」と「社会統制」です。そのためにはひとびとを孤立させる必要がある。

 

自由に議論をしたり、同じ不満を抱える者が団結したり、本音で意見を言い合うことは都市部では注意深く禁止されている。

真のコミュニケーションは破断のなかにしかない

充実した生とは、孤独lonelinessのよろこびと出会いのよろこびをたくみに混ぜあわせることのできる人生である。

 

大衆産業社会は孤独を、出会いの喜びを同時に破壊した。私たちは強制的に移動させられたり、標準化した時間を過ごしたり、大量生産された欲望のために、ますます他者と共にあるように強制されている。

 

しかし、私たちはますます孤立isolationしている。コミュニケーションができず、不安や恐怖に冒され、とりわけ重要なことは、共に闘うことができないことにある。

 

本当のコミュニケーション、真に対等な対話は、正常化と習慣を破断させることによってのみ可能である。すなわち反逆の中。

 

うわべだけのことしか語れない人が大半です。

 

私たちはほとんど真のコミュニケーションをとれません。一方で、皮相的な、なんら価値をもたないコミュニケーションは爆発的に増えている。

 

本当の対話がしたいなら、私たちは習慣やノーマリゼーションに反逆しなければならない。これは体験的にも理解できることです。

まとめ:都市という貧困

都市はあらゆる消費が可能ですが、金がなければあらゆることが不自由になります。

 

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都市はすべてのサービスと物品が商品化されており、それらを消費することでしか生きていけません。田舎は腹が減ったら農作したり魚を釣ったりキノコをとる生産活動で生きていけますが、都市では無理。

 

貧者たちはしたがって、常人たちと違う世界を生きることになります。それは劣悪な底辺労働だったり、水商売だったり、裏仕事や犯罪だったりします。きつい、汚い、恐ろしい仕事をすることになります。あるいは小銭拾いやゴミ漁りをするホームレス。

 

都市は、他者に対する潜在的な恐怖を生みます。都市の特徴は匿名性です。田舎の農村はだいたいが顔見知りですが、都市部ではすれ違う人のほぼ100%が知らない人。

 

都市部の人は、そういった人々をテレビニュースや新聞を通じて「知る」ことになる。殺人犯、精神異常者、詐欺師、怠け者といった人々だと刷り込まれてゆく。

 

以上まとめていきます。

 

都市は利益と統制を最優先します

 

都市がひとびとを孤立化させるのは、政治的に無力化させるためでもあります。都市は貧富の階級が著しく、また極度に分断されている場所です。こういった場では貧者を無力化しなければきわめて危険なわけです。都市は政治の中枢です。そこでは、個々人の生活の隅々が強力に管理され、支配されているということです。

 

私たちはほんとうのコミュニケーションや、ほんとうの協働を実現しなければいけない。そのためには、慣習や規範を打ち破る必要があるということです。