齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

賃金奴隷制について

金銭のために労働をすることは、自分自身を売ることであり、自らを奴隷の地位に貶めることである。キケロ

もしアリストテレスがここにいたら、彼はイギリスやアメリカのような国の人々のほとんどが奴隷であると考えるだろう。デイヴィッド・グレーバー 

奴隷が略奪によってもたらされ、賃金労働者が商取引によってもたらされるという違いがあるにせよ、《賃金制度は奴隷制度のもうひとつの形態にほかなりません》。シモーヌ・ヴェイユ「哲学講義」

賃金労働はクソです。

 

賃金労働とは賃金をもらう代わりに自分の時間を売ることです。会社員やアルバイトのことです。契約に基づく労働時間のあいだ、労働者はだれかの命令に従い労働力を提供することを強制されます。

 

仕事によって生みだした利益のうち2~3割しか賃金として支払われないのが日本の労働者です。そしてその賃金からさらに諸々の税金が引かれます。つまり、手元に残るのは1割から2割ほど。

 

これが日本の労働者の奴隷的境遇です。

 

奴隷制は決して過去のものではなく、現代にも形を変えた奴隷制があるだけです。すなわち「賃金奴隷制wage slavery」。

 

賃金奴隷制について調べたのでそこから紹介していきます。

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賃金奴隷制について

賃金奴隷制とは何か?

賃金奴隷制は、「人間を所有、またはレンタルする」という奴隷制との類似性に焦点をあててつくられた言葉です。特に人々の生計が賃金や給料に全面的に依存している状況をさします。

 

賃金奴隷制の示すところは第一に労働の搾取です。資本家などの主人階級は働かずに労働者の働きによって利益を得ることができます。

 

第二に疎外です。労働者は自分の労働を管理することができず、だれか他人の指示によって働かなければいけません。労働者はだれかのための人生を歩むようになり、人生の空虚感や鬱病に悩まされることになる。

 

資本主義社会は労働者が自由で主体的に賃金労働をしているように「見せかける」のですが、実際には奴隷でしかないということをこの言葉は示しています。

「賃金奴隷」の由来

賃金奴隷という言葉はアナーキスト(例えばボブ・ブラック)によって用いられることが多いですが、奇妙なことに奴隷廃止論者によって語られたとRedditにあります。ソースはReddit……。

賃金奴隷という言葉がバナキュラーとなったのは、アメリカの奴隷制の時代だった。社会主義者やマルクス主義者によって用いられたのではなかった。奴隷廃止論者が用いたのである。 顕著な例はフレデリック・ダグラスとハリエット・ビーチャー・ストウによるものだ。

 

アフリカ人とその子孫が鞭打たれ殺される一方で、それを逃れた人々の中には、以前の奴隷的状況と現在の賃金労働の状況を比較して、自らの新しい状況を賃金奴隷制だと考えるものがいた。

 

したがって、それはアカデミックや社会主義者、アナーキスト、また近代反資本主義者によって生み出された新しい言葉ではなかった。賃金関係が文字通り奴隷制であるという声明だったのである。

Anarchists, why do you choose wage slavery over crime? : Anarchism

フレデリック・ダグラスは元奴隷の奴隷廃止論者。彼は奴隷を逃れたあと賃金労働者となり「今では私が自分の主人だnow I am my own master」と喜びました。

 

しかし、晩年彼は真逆のことを主張した。「経験が実証するところでは、賃金の奴隷制は所有奴隷制(chattel slavery)に比べてその効果としてはわずかに不快や破滅が少ないだけである。賃金奴隷制は所有奴隷制とともに崩壊しなければならない。」と。

 

ハリエット・ビーチャー・ストウは「アンクル・トムの小屋」の著者として有名。同書は南北戦争(マルクスの表現によれば「二つの社会制度の間の、奴隷制度と自由労働制度の間の闘争」)のきっかけになったと言われる。ただ、ストウが賃金労働制を批判していたかは不明。

労働か飢えか

賃金奴隷制は人々が賃金に依存することで成立しています。

 

賃金労働者の大部分は失業して給料がなくなったら生活が困窮してしまいます。

 

人々は自分のしたくない仕事、クソ仕事のような価値のない仕事、低賃金の仕事、嫌な経営者の下での仕事を強いられます。

 

億万長者が気晴らしにアルバイトするとき賃金奴隷制とはいえません。嫌になればすぐさまバックレることができるからです。

 

しかし、大部分の人は十分な貯蓄がないし、あったとしても目減りしてゆく貯蓄は心理的負担が大きいでしょう。

 

いわば賃金労働者は「労働か飢えかwork or starve」の選択を迫られているのです。

生きるために労働するのは当たり前?

生きるために労働が必要なのは当たり前じゃないか、という指摘があります。

「もしあなたが世界で一人だけの人間なら、生きるためには働かなくてはならないだろう。生きるためにだれか他人のために働かなくてはならないように。もしそうしなければ餓死が待っているがために賃金のために労働を強制されることが問題であれば、生の本質は抑圧的なものではないか? 生きるためには働かなければならないのだから」(An honest question about wage slavery : Anarchism) 

これ、よくある質問です。労働か飢えか、なんて昔からそうだったじゃないかと。

問題は人々に生産する必要があるという事実ではなく、生産するために直面する社会的関係にある。

 

奴隷制では人々は直接的な暴虐によってだれか他人の所有物となること、拷問を受けて搾取されることを強制された。

 

農奴制においては人々は直接的な暴虐に基づく一方的な契約によって、自らの生産物の大部分を地代や税金として譲り渡すことを余儀なくされた。

 

資本主義では、人々は生産手段の階級独占と、資本家に利益をもたらす商品としての自らの労働力を販売する商品形態の一般化によって強制される。

(同、The_Old_Gentleman氏のレス)

私たちは自分の農地を持たず、工場を持たず、漁船を持たず、ハンバーガー・ショップの店舗を持ちません。 だから「生産手段」の持ち主(資本家階級)のところに「労働力」を売らなければいけない。

 

ここに封建制や奴隷制と同じような強制力が働いています。なので共産主義者、社会主義者、アナーキストは私有財産の廃絶を主張するのです(アナーキズムと私有財産 - 齟齬)。

 

マルクスは以下のように述べています。

社会の一部の者が生産手段を独占しているところでは、どこにおいても労働者は、自由であろうと不自由であろうと、生産手段の所有者のための生活手段を生産するために、自分の自己維持に必要な労働時間のうえに余分な労働時間を追加せねばならぬのであって、そのことは、この所有者がアテネの貴族であるか、エトルリアの神政者であるか、ローマの市民であるか、ノルマンの貴族であるか、アメリカの奴隷所有者であるか、ワラキアのボヤールであるか、近代的ランドロードまたは資本家であるかに係わりはない。(資本論 第八章)

私たちは好きな企業を選ぶことができます。漁船に乗ってもいいしマクドナルドでポテトを揚げてもいい。しかし、いずれにせよ資本家階級に奉仕する構造は変わらない。

 

私たちは主人を選ぶ権利はあるが、奴隷をやめる権利はもたないのです。

私たちの社会は賃金奴隷制か?

古代より労働力を売ることは奴隷制と変わらないとみなされました。

 

インタビュー記事「Most American Workers Are Slaves」においてデイヴィッド・グレーバーは言います。

奴隷制において自らを売ることと自らを貸すことは古代では基本的にまったく違いがなかった。

 

もしアリストテレスが今ここにいたら、彼はイギリスやアメリカのような国の人々のほとんどが奴隷であると考えるだろう。

賃金労働は一定時間、自分を自分以外のだれかに貸すことを意味します。そういった境遇は奴隷であるというのが古来からの常識でした。

 

「自らを貸す」のは賃金労働ですが、「自らを売る」とは例えば借金に困って奴隷になるような人身売買は同等であった。

全歴史上のほとんどにおいて、賃金労働を実際にしていた人々は奴隷だけだった。それは奴隷をだれか他人に貸すことだった。奴隷は賃金を半分得て、残りは主人のものとなった。 

南部でさえ、多くの奴隷は実際には職場で働き、彼らは利益を主人に払わなければならなかった。賃金労働と奴隷制を相反するものと考えるのは現代だけである。歴史の大部分で、この二つは同じものだと考えられていた。

奴隷を職場で働かせて利益を得る。

……派遣労働者そのものですね……。

アブラハム・リンカーンが言った有名な言葉は、アメリカが民主主義社会である理由は私たちが固定された賃金労働者階級を持たないからだとした。

 

彼は賃金労働について、自分で事業を始める金を貯めるために行う、20代や30代で終わるものだと考えた。つまり最終的にはだれもが自営業者になるという考えだったのだ

賃金労働制が自由だとリンカーンは考えてはいなかった。だれもが賃金労働から解放されて自営業者になれる、だからアメリカは自由な民主主義社会だと彼は考えたのです。

「なぜ起業しないの?」

しかし、リンカーンの定義する民主制は現代ではどこにも見当たりません。賃金労働者は何十年経っても賃金労働者のままなのでした。

 

「起業すれば自由になれる」と考える人がいます。その気になれば起業すれば自由になれるのだから奴隷制はあてはまらない、と。

 

しかし事業を起こすことは容易に成功しないことはちょっと想像すればわかるでしょう。

 

現代の日本の労働者はほとんど資本を持っていません。例をあげると、「家計の金融行動に関する世論調査[単身世帯調査](平成29年)」によれば、30代の金融資産の中央値は二人以上世帯で167万円、シングル世帯で24万円です。40代はというとそれぞれ200万円、0円です。(「家計の金融行動に関する世論調査」2-16)

 

このわずかな資本によって市場に参入できるでしょうか。大資本を持つ巨大企業が互いに食い合い、利権や独占権を奪い合うような市場に。勝機はあるか。

 

もちろん世の中には「会社員を辞めてフリーランスになろう!」「起業しよう!」というような情報が溢れています。これは一部の成功者が目立つだけでほとんどの人は失敗しています。ブログなどネットビジネスは弱者救済の夢を見させる情報ビジネスと化している。

 

大部分は奴隷として生まれ、奴隷的境遇のまま終わります。 

まとめ 賃金労働者は奴隷である

終わりになりますが奴隷の定義を見てみましょう。

人格としての権利と自由をもたず,主人の支配下で強制・無償労働を行い,また商品として売買,譲渡の対象とされる「もの言う道具」としての人間のこと。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」)

これまで記述してきたことを考えると、賃金労働者を奴隷ではないと考えることは難しい。

 

私はサラリーマンをバカにしたいのではありません。ただ、労働者が強制的に賃金労働者にさせられるような社会は本質的に悪であると考えます。

 

人は自分の能力を最大限発揮し、自分を思いのままに発展させることが充実した人生につながると私は考えます。このことは、奴隷制の社会ではあきらかに不可能なのです。