齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

家族主義――家族教という宗教

家族は廃止すべきです。

 

かつて、神のために死ぬことは美しいとされました。国家のために死ぬことは美しいとされました。

 

現代では「家族のために死ぬこと」が理想とされます。映画やドラマでは家族のために自分を犠牲にすることが感動のシーンであり、またワンオペ育児や老老介護が美しいこととされる傾向があります。

 

しかし、家族愛とはなんでしょうか?  

 

 

「家族を愛する」ことは家族以外を愛さないことと同じです。実のところ、この「限定的な愛」からいじめや差別が生まれ、格差や階級が生まれ、戦争が生まれます。

 

そして、家庭の実際の役割とは、個人の自由な発展を「阻害」することにあります。

 

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Young Fatherhood by Keith Negley

 

家族とは何か

私たちが思う「家族」は、ここ数百年の現代的な家族観に過ぎません。

 

家族の語源

familyの語源はローマ語の「famulus」。「奴隷、下僕」を意味します。

 

「famulus」の「fames」とは「空腹」を意味します。古代ローマ人にとって、「familia」は奴隷や召使い(そして妻や子ども)を主に飢えによって罰する権力を意味し、そして飢えの解消によって彼らに報酬を与えることを意味しました。

 

現代でも多くの家庭では、子どもや妻(特に専業主婦)といった家庭内の弱者は「服従か、飢餓か」という恐怖を植え付けられています。

家族の起源

家族は経済的な結びつきによって誕生しました。

 

子どもの役割は労働力であり、世襲財産の継承者でした。つまり、富を生みだすもの、富を受け継ぐ者。

 

17世紀頃のフランスは以下のような家族が一般的でした。

ひとりか二人の男の子だけが、父の遺産を確実に継ぐために、父の側に残された。事実上、これらの子供だけが、ずっと家族のメンバーを構成し続けることになり、他の子どもたちは、戻るあてもなくどこかへ消え去った。彼らはアメリカに渡ったか、あるいは軍隊に入ったか、その他さまざまであったろう。しかし、いずれにせよ彼らは幹から離れていったのだ。よくあったことだが、彼らはときにすっかり忘れ去られてしまうことさえあった。

教育の誕生/フィリップ・アリエス

近代までの文明社会はこれが一般的な家族像だったでしょう。そこには合理的な利害関係はあっても、「家族愛」なんてものは見受けられません。

 

日本では近代以降「家族主義的国家観」が推し進められたことにより、学校教育などで急激に家族主義の浸透が行われました。

 

実際、「家族を愛する」ことがなければ「国家を愛する」ことは不可能なのです。家族を愛することは家族以外を愛さないことであり、自国を愛するとは自国以外を愛さないことだからです。

 

この「限定的な愛」は家庭において再生産されるのです。

マルクス「家族を廃止せよ」

「家族を廃止せよ」とは突飛なイカれた発言のように思われるかもしれませんが、170年前にマルクスとエンゲルスが「共産党宣言」で主張していました。

家族の廃止! 共産主義者のこの恥しらずな意図にたいしては、もっとも急進的な人々でも激昂する。

当時から家族というイデオロギーは強固だったようです。

 

彼らに影響を与えたシュティルナーも「唯一者とその所有」でこう言っています。

「家族」は個人の決して侮辱してはならぬ神聖なイデアである。

“The family” is a sacred idea, which the individual must never offend against.

(もちろんシュティルナーにとって「聖なるイデア」は拒絶と破壊の対象です)

 

その神聖な「家族」の実態とは何でしょうか?

子どもに対する抑圧

マルクス主義者の記事「The communist abolition of the family」を読んだらよくまとまっていたので紹介します。

家庭は暴力と抑圧の温床

家族とは性的な再生産を限定的にする、階級社会の核となる機関である。

 

すべての内―規範化、抑圧、暴力、虐待、敵対といった、想像できるあらゆる退行的backwardな現象の温床となっている。  

 家族の根本は財産継承ですから、たしかに階級社会の核といえます。

この世界では、90%の国でしつけの暴力が許されている(Human Rights Watch, 2014)。これが意味するところは、両親は子どもをぶちのめすことが可能だということだ(18歳になるまで!)。両親が好まない本を読んでいるなどの理由で。 

体罰を容認する傾向は日本だけではないようです。といっても第一世界の先進国では稀でしょうけど。

 

ちなみに狩猟採集社会では体罰はほとんど見られません。 

家庭は子どもたちの人格の発展を阻害する

家族が果たしている退行的な役割は、子どもたちへの抑圧である。子どもたちは親たちの暴虐(tyranny)に晒され、すべての人間がもつ基本的権利、もっとも重要なのは人格の自由な発展の権利が否定される。家族が生産するのは、規範からはみだすことを恐れる権威主義的で服従した抑圧された人間である。 (強調は原文)

とてもよくわかります。

家族愛の強い人って、権威主義的な人が多い。

しかし、親たちはなぜそんなことをするのか? 疎外された資本主義社会では、権威主義的な構造が、抑圧的な権力を与えることによって再生産される。

 

労働者らは資本主義下で極度に抑圧されているが、彼らは子どもたちを抑圧することが許されるという賄賂を受けて、自分が強くなったような感覚を得る。権威主義的な資本主義のヒエラルキーでは、低い地位にあるものはさらに低いものに対してクソミソにすることができる。

 

このことによって上位者に対する反抗を抑制することができる。

資本主義下で労働者は抑圧された生活を強いられるのですが、家庭の中では「王」になることができる。階級社会のいびつな構造ですね。これが深刻化すると子どもを専制的に支配する「毒親」が生まれます。

 

また同様の意味で差別感情や排外主義が醸成されます。これらはすべて「上に」敵意や攻撃心が向かないようにするためですね。

子どもたちは家庭に束縛される

核家族は、ほとんどの場合子どもが親の非論理的な強迫観念、気まぐれに服従しなければならない専制制度である。たとえば子どもは共産主義者や無神論者、同性愛者となったときに罰せられる。これはわずかな例であり、両親の思考様式にそわないような子どもの望みはすべて抑圧される。

 

子どもたちは持続的に虐待されトラウマを受けることで、人格の自由な発達は完全に不可能となる。両親は事実上無限の権力を持つ。子どもからある種の友人を引き離したり、特定の本を読むことを許さないといった残酷な行為が行える。子どもたちの日常は、無数の非合理的で有害な制限を受けている。

このようにして階級社会の最下層である子どもたちは「家族愛のある健全な市民」となっていきます。

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まとめ 家族は廃止すべきです。

中世においては、「教会―家族」という組み合わせが人々を支配してきたが、現在では、「学校―家族」という組み合わせが人々を支配している。つまり、家族と学校がグルになって、人々を自発的に服従させているのである。(フーコー 知と権力/桜井哲夫

我々は古いあからさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食となっていることに気づかない。(自由からの逃走/エーリッヒ・フロム

 

私たちは「自分の求める自己」ではなく、「親の求める自己」であることを要求されます。

 

そして私たちは「学校教師の求める自己」や「上司や同僚の求める自己」、「世間や社会の求める自己」になるよう「自発的服従」を続けていきます。

 

その結果、いわゆる自我殺しegocideが実現します。私たちの大半は自分を殺していきていくのです。

 

家庭を再生産するときには、子どもを服従させることにいびつな喜びを見出します。自我を殺し、他者の自我を殺すことになります。

 

「家族」はほんとうに良いものか?

あらゆるメディアは家族を批判しません。かつてキリスト教を批判する「メディア」がなかったようにです。家族はすばらしいものであり、自己を犠牲にしても尊重すべきものであり、崇高な、神聖なものだとされます。

 

でも、

どんな観念も、どんな学理もどんなに神聖な事柄も、……個人的利害のために打ち勝たれ、修正されないほどに偉大ではない。(「唯一者とその所有」シュティルナー)

 

ある個人の自由を奪うもの、ある個人の人格的発育を阻害するものはすべて悪です。

 

良い家庭、悪い家庭があるでしょうが、少なくとも現在の家族制度は本質的に悪であると私は考えます。

 

あまりにも多くの人が家族に縛られています。親にコントロールされている人。夫や妻、親や子どものために自分の人生を犠牲にしている人。

 

「家族」って、世間で言われるほど良いものでしょうか? 私にはまったくそうは思えません。

 

現代のもっとも強力なイデオロギー、家族主義を批判し、相対化する必要があると思います。