齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

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自然と文明の戦場としての主体

「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。」 (「善悪の彼岸」ニーチェ)

 

アナーキズムの文明批判を考えていると、次のことがわかります。

 

現代社会では人間の精神は二つに引き裂かれています。

つまり、自然的自己と文明的自己とに。

  • 自然的自己は個人の内部に生得的に存在するものです。
  • 文明的自己は後天的に外部から与えられるものです。

個人の内部で自然と文明の間の闘争が起きている。

 

歴史的に、文明vs自然の対立はつねに見られてきたことでした。アイヌ民族と大和国家の対立はその一例です。

 

現代では、かつてのように部族や集団と国家の闘争という形を取ることはなくなりました。

 

現代社会の特徴は、この闘争が、諸個人の精神の内部で起きているということです。

 

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文明とは何か

文明社会の本質はなんでしょうか?

 

奴隷制です。

 

つまり、本質的にそれは不平等であり、階層社会です。

 

文明の主な特徴は農耕です。

  • 農耕は定住生活を生みだしました。
  • 農耕は私有財産を生みだしました。

定住生活と私有財産によって有閑階級が生まれ、同時に不平等社会が生まれました。

 

そして、構成員のすべてが支配者と被支配者に区別されるような社会共同体――国家が誕生しました。

国家とは何か

国家≒文明社会の内部では支配される者、支配する者の関係性が生まれます。

 

すべての国家は定義上以下の共通点を持ちます。

 

第一に徴税。支配層による被支配層への富の強制的収奪です。

第二に暴力の独占。「被支配層を守るため」という名目での被支配層の武装解除、軍事力の増強、あるいはその傾向です。

 

徴税は経済的な不平等を生みだします。

 

そしてその不平等を維持するためには武力が必要です。支配層は被支配層を武装解除し、また彼らを抑圧するための暴力装置(警察、裁判所、監獄、軍隊など)を独占しなければいけません。

 

国家の成立には、不平等とそれを維持するための権力集中が必要条件となります。

自然状態

文明の成立以前――自然状態において人は(例外はあるにせよ)平等に暮らしていました。実に人類史の98%あまりが狩猟採集社会でした。

 

その永い時代、人は基本的に平等主義であり、食べ物を分け与えました。そしてほとんど財産を持ちませんでした。

 

狩猟採集民は狩猟を生業としますから各々が毒矢で武装していました。また、非定住生活の彼らは生活範囲が広く、多用な生活手段をもっていたため、比較的自由に共同体を抜け出すことができた。

 

その結果、彼らの社会は自由と平等が維持されていました。

 

抑圧的な支配は維持困難だった。被抑圧者は「闘争か逃走か」――つまり、部族を抜けだすか、抑圧者を攻撃することができた。 

 

不平等な社会=文明社会を受け入れることは自然人にとって難しいことでした。それは通常、被支配層となることを意味するからです。つまり富を収奪されるのです。

 

しばしば「文明社会に憧れて、自発的に自然人が文明化された」という考え方がされますが、現実には大部分の初期国家は奴隷と戦争捕虜によって成立していました。

 

そして現代でもなお、支配関係は奴隷的な大衆によって成立しています。

文明的自己とは何か

人は自然人として生まれます。つまり、不平等に怒り、支配に対して反逆します。

 

そのため彼らを「文明化」する必要があります。

 

文明化とは、自然的自己を抑圧し、文明的な自己をその上に構築することにあります。

 

文明的自己は基本的に幼少のうちに学校や家庭のなかで植えつけられます。宗教のイニシエーションもこの中に当てはまる。

 

そのプロセスで重要なのはトラウマ体験です。

 

トラウマは抑圧者への自己同一化をもたらします。恐怖や絶望といったトラウマ体験を受けた人は、加害者に自分を重ね合わせようとします。

 

このことは「ストックホルム症候群」として有名ですが、学校や家庭において日常的に繰り返し起きていることです。

 

子どもたちは親や教師といった抑圧者を精神に取り込み、内―規範化していきます。

 

人権があるとされる文明社会でも子どもに対する暴力、管理、強制、抑圧、洗脳が合法とされます。

 

この構造は少数民族や有色人種、非キリスト者に対する抑圧が正当化されてきたこととまったく同じです。

 

有色人種や辺境民がかつてそう扱われたように、子どもは愚か、未熟、無能とみなされる。

 

だが、それは事実ではありません。彼らは自然人的性質を多く有しているのです。

 

文明人は彼らに潜在的な恐怖を感じるが、同時に「道徳的義務」を感じる。

 

自分が自然的自分を抑圧してきたように、彼らの自然的自己を抑圧しなければならない、と考えることは必然だといえます。

「自己」による自己への支配

子どもたちには、トラウマ体験を通じて自分の本来のものではない文明的自己が植えつけられます。

 

子どもたちははじめ、親や教師などによって叱られる/褒められることによって自分を管理統制し自然的自己を抑圧します。

 

しかし、トラウマ体験を繰り返し受けることによって、だれか他人ではなく、自己によって自己を管理統制するようになります。はじめは鞭打たれた人が、自分で自分を鞭打つようになる。

 

この自己統制は学校やマス・メディアなどのイデオロギー装置によって絶えず強化されます。

 

勤勉/忍従/無抵抗/忠誠は良いことだ、法律を守るべきだ、目上の人間に従うことは良いことだ、と考えられている。

 

諸々のイデオロギーはすべて権威への自発的隷従を説き、被支配層を精神的に武装解除します。

 

現代において「模範的」とされる「大人」「社会人」「市民」といった人々は、文明的自己によって自然的自己を常に抑圧することに成功している人物だといえます。

 

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文明化は地域や文化的にさまざまな形をとりますが、権威へ服従、とくに階級、国家、私有財産を肯定する点では同じです。

 

文明化は文明を維持し、再生産することを目的としています。

不平等を否定する文明は基本的にありえません。

文明的自己の生む狂気

大衆のほとんどは文明的自己によって画一的に模範的に生きています。このことが秩序のある支配関係を可能にしています。

 

一方でこのことは諸個人に精神的病をもたらします。

自然的自己の根源的な欲求は決して満たされることがないからです。

 

人は青い空の下を歩き、火を囲んで会話し、労働の成果を分かち合って生きてきました。自然を愛し、他者を愛する。そういった自然の欲求の充足は今日では稀となっています。

 

抑圧された自然的自己は消えることはなく、その不満は漠然な喪失感や不満として蓄積し、怒りへと変化します。

 

この怒りは、本来は社会の不平等と、それを維持するための孤立や自己疎外にあるのですが、文明は階級秩序を維持するためにそれを隠します。

 

文明は弱者を指弾して「彼らが悪いのだ」と叫び、あるいは当人を指弾して「お前が悪いのだ」と叫びます。

 

怒りは弱者や自己へ向かいます。差別感情や家庭内暴力、虐待、いじめはその例です。自己へ向かう場合、自傷、依存症、自殺、鬱病です。

 

抑圧者ではなく被抑圧者への攻撃――あるいは自己による自己への処罰。

 

これらはまさに文明の象徴です。

 

また、飽くなき物品消費も文明の特徴です。彼らは本質的欲求がつねに満たされないがために、グルメや消費行動など、欲求不満を満たすために非本質的な活動に奔走することになります。

 

秩序立った社会では、上記のような狂気に満ちた行動が推奨され、一般化します。

 

文明社会の「進歩」は必然的に狂った大衆の世界を生みだす。

目覚めを求める自然的自己

絶望のもっとも一般的な形は、自分自身とならないことにある(キェルケゴール)

しかし、自然的自己は消えることはありません。

 

文明的自己は自然的自己を完全に排除することはできません。人間が人間として生まれた以上、精神のなかの自然は消えることがないからです。 

 

自然的自己は文明的自己に抑圧されながらも、絶えず意識にのぼり認識されるためのチャンスを伺っています。

 

一般的に、自然的自己を認めてそれを解放することは非常に困難です。それは世界が崩壊するような激しい不安と苦しみを伴うからです。

 

自分(文明的自分)とその周囲の世界を批判し、糾弾し、攻撃することは、だれにでもできることではありません。ほとんどの人は社会的自己の網の目から自然的自己を救うことはできない。

 

チャンスがあるとすれば、個人が非常に苦しみ、悩み、絶望したときです。

 

そういったとき、人は心の底から助けや救い、答えを求めるのであり、自然的自己に目覚めることがある。 

まとめ

国家、文明社会が秩序を保って維持されるためには、個々人から反逆心を奪うこと、支配関係を正当化する必要があります。

 

そのためには人々を文明化する必要があります。その代表的な例が学校教育です。

 

近代まで、支配者は被支配者の外に存在したために、支配関係は明白でした。

現代では各々個人にトラウマによる心理操作によって文明的自己が構築されるようになりました。

支配者が心理の内部に居座り、自己のふりをするようになった。

 

文明的自己はよく統制され管理された人間を生みだしますが、彼らは自然な、本質的な欲求を満たすことができないために鬱病や自殺することになります。

 

文明的自己の網から自然の自己を取り戻すことは、ほとんどの大衆には不可能です。

 

ただし、社会を変えるのはつねに少数の認識者でした。

 

現代社会では、抑圧されて満たされない狂った大衆が存在します。

彼らを導きほんとうの解決策を提供する必要がある。

 

それを行うことができるのは、まさに文明の歴史と本質を見抜いた少数者だといえます。