齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

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心の病は社会の問題か、個人の問題か

資本主義下で精神的に健康であることは不可能である Susan Rosenthal

 

「死にたい」という感情は合理的です。

  

毎日辛い日々を送っている人が、これからの人生でも辛い日々を送らなければならないことが明白なら死にたくもなるでしょう。 

 

だれだって満員電車は嫌です。長時間労働、低賃金、マイクロマネジメント、パワハラや孤立が大嫌いです。

 

人びとは辛くてバカバカしいことを却けて、人生を楽しく自由で意義のあるものにしようと努力します。しかし、それはほとんどの人には不可能。

 

人生は辛いまま、虚しいままです。 

 

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だから「ジョニーは戦場へ行った」の主人公のように、人生に絶望して死を望むようになる。

 

なにが彼につまらない人生を強制するのか。

なにが彼の自己実現を邪魔するのか。

 

私たちの社会です。

 

結局のところ、自殺の大部分は社会による殺人です

 

 

マルクス主義的心理学

内科医で心理学者のSusan Rosenthal氏の記事「Marxism and Psychology」からまとめていきます。

メンタル・イルネスは社会の問題か、個人の問題か

鬱病などのメンタル・イルネスは生化学的な問題だと考えられています。

 

心理学や精神分析、サイコセラピー、医療、遺伝子学は個人を社会的コンテクストから切り離して考えます。つまり、個人の内部に何かしらの問題があり、それを調節することによって治療が可能だという考え方です。

 

個人を社会から切り離すことは科学ではなく資本主義イデオロギー的といえます。「個人の問題だ」と主張することは、システムの責任が問われなく済むことを可能にします。 

個人だけの問題なのか?

実際には、社会と個人はダイナミック(動的)な相互関係にあります

 

たとえば、ガン。

 

ガン患者はしばしば「誤った生活をした」とか「遺伝的要因」が強調されます。しかし現実にはガンの原因の大部分は現代社会のもたらした環境毒素によるものです。

 

これと同じことが精神医学にも言えます。精神病は間違った思考や間違った人生選択、脳の神経伝達物質の問題、または欠陥のある遺伝子の結果とみなされる。実際には社会の与える疎外が人びとの精神を害しているのだが、そのことは無視されてしまう。

拡大するメンタル・イルネス

かつてメンタル・イルネスは狂気を意味しました。1918年のアメリカ精神医学会の精神障害は22の診断項目をあげ、そのうち21種は狂気に関する項目でした。

 

その時代から現代まで、メンタル・イルネスは膨大にふくれあがりました。

 

多様な行動や反抗的な態度、異なった情報処理(ニューロダイバーシティ)、孤立や剥奪に対する感情的反応、トラウマに関する症状までを含むようになりました。

 

「精神的病」というラベリングは、現状に対して抗議する人、苦しむ人、そして生産性の低い人を病理学化するために用いられたのです。この点はADHDを想起するとわかりやすい。

抑圧される精神病者

精神病とラベルされた人びとは抑圧された集団になりました。

 

抑圧は資本主義のエッセンスです。メンタル・イルネスを抑圧することは、人びとは特定の思考や感情、行動を避けるようになり、社会全体の統制、コンフォーミズムの増大に寄与しました。

精神医学というエセ科学

資本主義は科学とエセ科学を混同します。精神医学が生物学に基づくというのはエセ科学のひとつの例です。メンタル・イルネスの生物学モデルは、心よりも脳へ関心を向け、物質的な研究や治療をもたらす。

でも統合失調症は治療すべきでしょ?

子どもたちが不安や抑圧によって感情障害になることは認めるとしても、永続的な障害である精神病(統合失調症)は生物学的要因であると主張する人がいる。これは間違っています。

 

人間のものの見方は社会的に構築されます。ひとびとが何を考えるべきか、何を求めるか、だれを信じるか、だれを恐れるか、だれを責めるか、そして何が適切で何が不適切かはそのときに支配的な社会が形作ります。

 

実際にはほとんどの人は、不適切とされる人びとを受け入れることができます。

 

しかし、そういったことは心理学者や広告コンサルタント、そして欺瞞(この国は自由だ)や矛盾(戦争は人道的介入である)、人生の否定(一生懸命働けば報われる)、脅迫(労働か餓死か)に基づくシステムを売りつける社会のマネジメント層が許さないというわけです。  

 

私たちは統合失調症者さえ受け入れることができます。

柳田国男を引用しておきます。

昔の精神錯乱と今日の発狂との著しい相異は、実は本人に対する周囲の者の態度にある。我々の先祖たちは、むしろ怜悧にして且つ空想の豊かなる児童がときどき変になって、凡人の知らぬ世界を見てきてくれることを望んだのである。『山の人生』柳田国男

まとめ

メンタル・イルネスを個人の問題として考えることには限界があります。

 

明らかにそこにはシステムの問題があり、それを無視することはできません。

 

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Sunday by Edward Hopper

 

「精神医学はエセ科学だ」とまでSusan氏は主張します。

 

突飛に感じますが、このことはかえって精神医学を体系的に学んだひとほど共感できるかもしれません。精神医学はその基盤が空疎であやふやで、実に頼りない学問です(だから生理学や遺伝学に「根」を求めるのです)。

 

精神科医は精神を病みやすいと言いますが、それは彼らも自分のしていることの意義がわからないからです。教員や看守が精神を病みやすいのと同じで、彼らも疎外されています。

 

結論として、Susan氏は社会的なサポートが心の病に苦しむ人を救うとしています。

 

これは当然の話です。人生に苦しんでいる、死にたい人に必要なのはあたたかい言葉や抱擁です。どうして抗うつ剤が必要なのか?

 

不幸な人、うちひしがれた人が幸福になるためには、自分を変えることでは実現しません。社会を変えるしかありません。