齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

分断して統治せよ――冷たい社会の起源

私たちはだれもが分断されています。

 

現代社会は階級社会です。

 

階級のあるところに支配があり、支配があるところには分断統治divide and ruleがあります。

 

国家による統治だけではなく、私たちの職場や家庭においても分断統治は存在します。

 

その結果が「エセ個人主義」、差別や鬱病といった深刻なメンタル・イルネスです。

 

究極的には、私たちはだれもが分断されていると言えます。

 

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Intermission by Edward Hopper

分断統治とはなにか

分断統治とは、ある強大な権力が対抗する権力を小さく分断し、それを管理することを意味します。

 

政治的には以下のような要素が含まれる。

  • 被支配者の同盟を防ぐため、分断を創出あるいは促進する。
  • 支配者に協力する意志のあるものには報酬や援助を与える。
  • 被支配者同士に不信と敵意を植え付ける。
  • 政治的軍事的な支出能力を抑えるために、無意味な支出をさせる。

 

分断統治は主に同盟を解体するよりも未然に防ぐことを意味します。団結した諸力を分断することは、未然に防ぐよりずっと難しい。

分断統治の歴史

分断統治の歴史は古い。

 

ローマ帝国がイギリス帝国を支配したとき、イギリス帝国がインドを支配したとき、そしてノルマン人がアイルランドを支配したときに用いられました。

ルワンダ虐殺――ツチ族とフツ族

有名な例はルワンダ虐殺(Wikipedia)の原因となったツチとフツの分断統治。ドイツの統治時代は、もともと支配的な地位にあったツチに統治させた。

 

1916年、ベルギーが統治するようになると、フツは「高い鼻を持つか、牛10頭を持つ者」、ツチは「平たい鼻を持つか、牛10頭を持たない者」とされた。この社会経済的な分断が後のルワンダ大虐殺の主要な原因となった。現在でもツチとフツの間には根深い敵意が存在する。

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ツチとフツはヨーロッパ人到来以来、長らく違う民族だとされてきた。しかし、近年の研究では同一民族だとされている。なんとも悲しい話。

英領インドにおける分断統治

もっとも大規模に行われた分断統治は英領インドにおけるもの。英仏はインドのそれぞれの国家を互いに対立させ、団結力を弱めた。

 

たとえば英語教育がその例である。英語を用いて英国流に考える者は肉体はインド人でも精神はイギリス人だとされた。また、ヒンドゥー教徒とムスリムが紛争をするようになった背景にもイギリスの統治術が存在する。

身近な分断統治と黒い人格

分断統治は職場や家庭でも見られるが、それは黒い人格(ダーク・コア)を持つ人に頻繁である。

ナルシスト

ナルシストは「自分は他者とは違う特別な人間だ」と考える人々である。

 

Hall Jによれば、彼らは他者を自分の都合の良いように利用するために、個人間に分裂をつくりだす。個々人を弱体化し、孤立化させることで支配と操作を容易にする。ある人間は好まれ、ある人間はスケープゴートにされる。

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第三者への憎悪ほど二人を親密にするものはない

サイコパス

サイコパスは、他者との共感性をほとんどあるいはまったく欠いた人々である。サイコパスは肉食動物のように、群れからはぐれた者をターゲットにする。

 

Clive R Boddy氏の企業サイコパスに関する調査では、彼らもまた企業ヒエラルキー内で権力を掌握するために分断統治を用いるようである。

(上記はDivide and rule - Wikipediaを参照した)

現代社会の分断統治

戦争は平和である (WAR IS PEACE)
自由は隷従である (FREEDOM IS SLAVERY)
無知は力である (IGNORANCE IS STRENGTH)

(G. オーウェル「1984」より)

資本主義は階級社会です。

 

階級あるところに分断統治あり。

エセ個人主義 

学校教育は助け合うことを阻害します。

 

競争が良いことだとみなされ、自分の利益を最大化することが「合理的」とされます。学校の試験はバカバカしいです。みんなで協力して答えを出しあえば全員100点ですから。

  

メディアは犯罪報道を繰り返すことで、この世は犬が犬を食らう世界だと演出します。他人への恐怖を作り上げ、他者を心から信用してはならないと教え込みます。

 

その結果、現代ではほとんどの人がただ自分だけの利益のためにはたらき、自己中心的で利己的に生きています。

 

究極的にはだれかが車に轢かれても素通りしてしまうようになります。

 

だれもが同じ目的で、同じ「プログラム」を実行している。にもかかわらず、互いに争いあって反目しあう。

 

しばしばこのような態度は個人主義と呼ばれます。しかし、これはエセ個人主義です。だれもが同じように利己的であるとき、それは個人主義ではありません。

 

なぜこのようなエセ個人主義が私たちにプログラムされたのか。それは支配に都合が良いからです。

 

私たちが互いに争いあっているときこそ、完全な管理が実現しているのです。

差別感情

「あなたは私とは違う」

 

これが差別の始まりです。

 

私たちはまず社会階級で分断されます。大まかにいえば極少数の支配者と、彼らに奉仕する大多数の被支配者が存在します。これがベース。

 

被支配者のなかでも、年収や地位によって、数百もの職業階級が存在します。そして同じ職業階級であっても、人種、性別、年齢、学歴、宗教、出身国、性的指向、政治、地域、能力などによって差別が生じます。

 

これらの差別感情が愛国主義や同性愛恐怖へと導きます。また同時に対等な人間関係が難しくなり、私たちは自らを孤立した存在なのだと感じることになります。

まとめ:私たちは団結して助け合う存在である

「群盲象を評す」という言葉があります。

 

盲人がそれぞれ象を触って、「これは蛇だ」「これは壁だ」「いや、木である」と主張して譲りません。アホです。

 

このことが意味するのは、私たち個人に認識できる世界は限られているということです。個々人が知恵を持ち寄って、互いの意見を尊重し、共存することによって「真理」は見えてきます。

 

人類は数十万年間そうやって生きてきました。他人の思想や訴え、感情を受け入れ、受容して問題解決してきました。 人間は協力しあう本能をもっているのです。

 

偉い先生に教えを請うのではありません。問題はなにか、それに対してどうすべきか、自分たちで意見を出しあい、自分たちで決定した。

 

それを防ぐのが分断統治です

 

というのも、現代社会のさまざまな問題は個人というより社会に原因があるからです。高すぎる税金や劣悪な労働環境はその一例です。

 

分断統治がある限り、私たちは人間として十分に能力を発揮できず、服従を強いられます。

 

私たちにすべきことは、ただひとつ。

 

「他者に共感すること」

 

驚くほど冷たい現代社会では、こんな当たり前のことでも十分に革命的なのです。