齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

社会的病としての鬱病

鬱病とは何なのか?

ということを考えています。

  

私自身、たまに鬱病のような状態になることがあります。身体が重くなり、ベッドから動けなくなる。自分が完全にバカでうすのろで無価値のように思えてくる。

 

精神科に受診することはしません。結局、そのときにはわからないとしても鬱状態には必ず原因があるからです。

 

たとえば他人の冷酷さや社会の欺瞞に打ちのめされたとか、金や労働を否応なく搾取されたとか。

 

苦しみは知覚です。自分を苦しませる存在から逃走する/闘争することを可能にします。苦しみを鈍らせる、遠ざけることは意外とリスクがあるのです。

 

原因があって結果がある。苦しむ必要があるから苦しむ。

そして気づくことは、鬱病の原因がほとんどの場合社会的なものだということです。

 

鬱病は、病気――つまり個人の肉体のなかの問題というよりも、

はるかに社会的な原因を持つのではないでしょうか。 

 

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Whitestone Bridge by Ralston Crawford

 

Psychology Todayを見ていると、「Depression as a Social Disease(社会的病としての鬱病)」という記事があったのでそこからまとめていきます。著者は1980年から臨床心理士・災害精神保健士を務めるMichael Bader氏。

 

記事の内容はJohann Hari氏の新著「Lost Connections: Uncovering the Real Causes of Depression—and the Unexpected Solutions」から影響を受けているようです。 

社会的病としての鬱病

アメリカでは成人の5人に1人が精神的な問題のためにひとつ以上の薬を飲んでいる。中年女性の4人に1人近くが抗うつ剤を毎日飲んでいる。そして米国の高校の少年のうち、約10人に1人が集中させるために強力な興奮剤を飲まされている。

鬱病や不安障害、あるいは発達障害のような精神的問題は「病」だとされ、 脳内化学物質のバランスをとることで改善されると信じられています。

鬱病は外因か、内因か

鬱病は脳や化学物質が原因である――このもっともらしい説明は、卵が先か鶏が先かという問題をはらんでいる。

気分障害の神経生物学の50年以上の研究によれば、遺伝的・生物学的要因は、それが原因ではない場合でも、苦痛の感情状態をもたらす。この前提から、今日鬱病の治療においては多くが薬学に頼るようになっている。そして、その説が広く受け入れられることを確実とするために、製薬企業は莫大な資金を投入している。

 

心理学的な出来事が生物学的変化を起こすことはよく知られているがために、依然として生化学的な障害が原因なのか、結果なのかは議論の余地がある。私達が知ることはただ、鬱病と不安障害の診断と治療の第一選択として生化学と薬理学が遵守されるよう、人知れぬ金銭が用いられたという事実のみである。

 

製薬企業は鬱は薬で治る、鬱は生物的な問題だ、と主張し広告します。

そうでなければ薬が売れませんから。

 

ちなみに現代でも鬱病の原因はわかっていませんし、抗うつ剤がなぜ効くのかといったことも科学的には証明されていません。もしかしたら抗うつ剤の投薬は、ロボトミー手術と本質的に変わらない可能性もあります。

実はあまり効かない抗うつ剤

抗うつ剤はしばしば効果が過大評価されていますが、実はあまり効果がないかもしれません。

Hari氏は、製薬企業によって行われた抗うつ剤の有効性に関する非公開の研究を指摘する。それらは臨床的改善の報告には深刻なプラセボ効果があることを無自覚にあらわしている。

 

被験者となる鬱病の人々が精神医学の研究者に治療されていると感じたとき、彼らの症状は驚くほど高率で改善する(ときに40%にもなる)。

 

したがって、治療における抗うつ剤の純粋な生化学的な効果は広く思われているよりもずっと小さい。加えて、患者たちがよくなると、よく見られることだが、一年以内に、彼らのうち少なくとも半分が臨床的に鬱病を再発する。

抗うつ剤そのものよりも、「医師の治療を受けている」というプラセボ効果の方が治療効果が高いようです。

 

逆にいえば精神科に受診すること、それ自体にかなりの治療効果があるみたいですね。

私達は抗うつ剤によって改善した人々を認識している。しかし、それらの効果が宣伝されるより小さく、結果はしばしば時間とともに減少することも事実である。鬱病の原因を完全に脳内に位置づけ、薬物治療によるアプローチを第一選択とすることは限定された有効性のパラダイムである。 

鬱病は脳内だけの問題ではないし、そうすることによって治療効果が制限されるとMichael氏は主張しています。

鬱病とトラウマ体験

鬱病には異常な、過酷な体験が大きく影響しているようです。

同じ収入レベルの労働者階級の女性を健常者、鬱病者で比較した研究では、鬱病女性は、診断よりも一年以内に大きな人生のストレス体験をした人が3倍高かった。鬱病女性はより多くのストレッサーとトラウマを抱えており、一方で親しい友人や支えてくれる家族のような心理的な忍耐力をもたらす要因は持たない。

過去のストレス体験が鬱病を引き起こすということです。

 

暴力や性的虐待など、トラウマ体験を10カテゴリに分けて行った統計調査では、以下の結果が明らかになっているようです。

幼少期において、10カテゴリのうち6カテゴリのトラウマをもつ人は鬱病になる確率が5倍である。7カテゴリ保つ場合、自殺する確率は31倍にもなる。

過酷な幼少期の「サバイバー」たちは、非常に自殺リスクが高いようです。幼少期のトラウマ体験は一生彼らを苦しめる。

 

過去はどこまでも追いかけてくるのです……。

 

鬱病は異常な体験に対する通常な反応

鬱病は病気ではなく、異常な人生経験に対する通常の反応だということはほとんどの私達にとって驚きではない。私達が病理的な環境によって苦しんでいるのではなく、個人の内部の障害によって精神的に苦しんでいるという文化に生きている点を除けば。

 

被害者を責めることのコストは高くつく。もし君が鬱病は単に脳化学の障害だと信じれば、そのことによって君は自分の人生のことや他者が君に仕向けることを考える必要がなくなる。 

もし虐待などのトラウマ体験がなければ、鬱病患者は鬱病にならなかったでしょう。そう考えると生化学的、脳神経学的なアプローチは必ずしも有効ではない。 

つまらないクソ仕事の蔓延

Hariは鬱病の社会的文化的原因は「つながりのなさ」にあるとする。例えば、私達の文化のなかではひとびとは意義深い仕事から隔絶されている。Gallupの2011年と2012年の142カ国の数百万人の労働者の調査では、熱中してできる仕事や、組織に貢献できることに喜ぶような仕事に参与していると自らを表現する者は13%しかいなかった。

クソみたいな仕事をしていると死にたくなるという当たり前の事実です。

 

資本主義は労働の分業化をもたらし、型にはまった魂を殺すルーチンワークが溢れかえっています。

拡大する社会的孤立

社会的孤立と孤独は心理的、健康的に広範な否定的結果をもたらす。

 

たとえば孤独を感じると、私達の血中コルチゾン値が急上昇し、心身に広範囲のダメージを与える。実のところ、急性の孤独は肉体的に攻撃されたときとまったく同じストレスが見られる。人間は集団に属しており、そうでないときが長すぎると、疎外されて不安であると感じる。

たとえばいじめたり「ハブる」ことは、ぶん殴ったときと同じストレスを与えるということです。 

……Robert Putnamによれば、アメリカでの地域コミュニティの活動は1985年から95年にかけてーーたった10年でーーほとんど50%、劇的に減少した。私達は互いにつながることを辞めて、しだいに自分の家に引きこもってしまったようである。私達は過去世代のなかで、物事をもっとも協働で行わなくなった世代である。

 

ひとびとは互いに切り離され、「原子化」していきます。

 

たとえば都会ではだれかがひき逃げされてもだれも助けず、素通りしていきます。個人はバラバラになったのであり、この自然に反する状態は心身の不健康をもたらす。

消費文化というジャンクな価値観

Hariは別の形態の「意義深い価値観」からの隔絶を示す。彼は私達の消費者文化への批判する。消費者文化はあきらかに物質的所有、金銭、そしてステータスへの中毒に支配されている。

 

広告の専門家の仕事が1920年以来、人々に不満足を感じさせ、その解決方法として非常に不満足な商品を提供する仕事だと認めていることをHariは指摘する。

広告業の仕事はお前たちは不満足なのだ、満足するためにはこの商品を買いなさいと教え込み、何の役にも立たないガラクタを売って利益をあげることです。

資本主義経済と文化は私達には十分ではない、満足は存在しないと教え込み、Hariの呼ぶ「ジャンクな価値観」を私達にもたらす。物質主義が健康や幸福に関与したことは一度もない。実のところ、人々が本当に重要なことを示すよう求められたとき、彼らは通常意義ある仕事やコミュニティ、家族、そして他者に奉仕する愛すべき人間であることを答える。私たちは自己から疎遠となったとき、苦しむのである。

資本主義はひとびとに永遠の不満足をもたらす。

商品やサービスに対する慢性的な飢餓が 資本主義の駆動力となります。

 

実際には、人々に必要なのは共同体的感覚だったり、意義深い仕事なのですが、資本主義経済はそれらから人々を切り離して、非本質的な偽の欲求を与えます。

不公正で不自然な社会が鬱病をもたらす

より平等度が高くなるほど精神的病が減ること、自然の中におらず都市で暮らし、屋内で仕事をすることが鬱病や不安障害をもたらす強力な科学的エビデンスが存在する。 

これはわかる気がします。デスクワークばかりしてると農業や林業がうらやましくなる……。

私は精神療法を信じているし、薬物治療の短期・中期的な効果をなんども目にしている。しかし、鬱病と不安障害の流行拡大に真に取り組むのであれば、よりラディカルで社会的な政治的変化を考慮しなければならない。

 

不平等をへらすことは、単に正義に与することを意味するだけでなく、鬱と不安障害を劇的にへらす可能性がある。

 

さらに、より民主的で平等な労働構成に変化させる企業実験では、労働からの疎外、疎遠の感覚を減少させ、市場の成功を犠牲にすることなくストレスを減らすことができることを示している。

社会的格差は人々を殺すということです。

 

そして、社会的平等はひとびとが生き生きと働くことを可能とし、経済市場に不利益をもたらすことはありません。

終わりに 文明社会と鬱病

彼らが苦しむのは、彼が異常だからだ――

 

「鬱病は個人の問題だ」と考えることは楽です。そうすれば、私たちの社会は何も問題なく、自殺者や鬱病は「彼らの問題だ」として切り離すことができる。

 

たとえば身近な人が自殺しても「彼の問題だから仕方がない」となる。ほんとうはだれかが彼に理解をしめし、黙って抱きしめてあげれば自殺はなかったかもしれないが、彼の脳の問題なのだから、何も考えなくていい。

 

しかし、鬱病が発生する社会は明らかに問題を抱えています。 動物界には鬱病はありませんし、原始的な狩猟採集民でもほとんど見られません。

 

鬱病は病んだ社会がもたらしたものです。うつ病患者は社会不適合者ではなく、むしろ現代社会が人間に不適合な社会になっていると言えるでしょう。

 

科学が進歩すればするほど、鬱病は増え、そして抗うつ剤の適用例も増え続けます。たしかに、精神医学は進歩し続けるでしょう。そしてまさにそれによってうつ病患者も増え続けるでしょう。

 

ルソーは言いました。

 

「文明は、それ自体の生みだした邪悪の治療法を見つけだす、望みのない競争である。“Civilization is a hopeless race to discover remedies for the evils it produces.”」

 

最後にJohann Hari氏の引用を。

「あなたは部品の壊れたロボットではない。あなたは必要が満たされない動物なのだ。あなたにはコミュニティが必要だ。意義深い価値観が必要だ、幸福は金銭やモノを買うことが幸福への道だと教え込む、君の人生のすべてに満たされたジャンクな価値観の代わりに。君には意義深い仕事が必要だ。君には自然の世界が必要だ。尊敬されているという感覚が必要だ。君には確実な未来が必要だ。君はこれらとのつながりが必要だ。君は虐待を受けたことで感じた恥を解放する必要がある。」 

関連:文明病としての鬱病 - 齟齬