齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

文化としての資本主義――管理される日常

資本主義は病んだ文化である。資本主義は私たちを殺し、病ませる文化である。

資本主義を単に経済システムと考えることはその影響力を過小評価することになります。

 

いじめ、差別、メンタルイルネス、自殺――そういった社会的問題を考えるときに、資本主義に言及しない主張は何も語っていないのと同じです。

 

私たちが今存在している世界――つまり、資本主義社会を理解することが社会思想のスタートになります。

 

資本主義という制度がどのように私たちの生活や価値観に影響を及ぼしているかについて見ていきましょう。 

 

ニーチェとアナーキズムの関係を描いた論考「Nietzsche and Anarchy」を読んでいると、資本主義の文化的側面について記述があったので紹介します。

 

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by Gary Waters

文化としての資本主義

著者のShahin氏は、資本主義を単に経済的に見ることは文化的側面を無視することになると指摘します。

資本主義は病んだ文化である。資本主義は私たちを殺し、病ませる文化である。私は資本主義を文化と呼ぶ、なぜならこれは単なる経済以上のものだからだ。

 

文化を語ることはそれ自体に問題があるかもしれないが、そのことで資本主義が価値観、規範、風習、習慣、態度、欲望、生き方であることを思い出させてくれる。

資本主義は私たちの生活の一部分に限定されるのではなく、生活全体を包み込んでいるということです。

資本主義とは何か

まず、資本主義とは何かについて。

資本主義は支配と侵襲が特徴である。資本主義は他の文化や人生のあり方を侵し、分裂させ破壊し、新しい支配の状態をもたらす。 

16世紀頃のイギリスに始まった資本主義は、いまでは世界中に広がり、先進国は(少なくとも経済的には)すべて資本主義です。

 

資本主義は以下の特徴を持つ。 

  • 個人と企業の私有財産権の強力な形態。
  • 行動決定機関としての市場の強力な役割。
  • 多くの存在と資源の物品化――つまりそれらを売買できる所有財産とする――人間や人間以外の時間、エネルギー、クリエイティビティを含む。
  • 侵略し新しい市場を「開拓」し、さらに機能を強めるような、財産権と市場の法律を強化する中央集権国家

 

資本主義は人間の活動や時間、自然を物品化します。

 

また、財産権や市場を保護拡大するような中央集権国家が必要となります。

資本主義を文化として捉える

なぜ文化として資本主義を捉える必要があるのか?

第一に、市場スクリプトの役割と行動は、規範と法律、そしてその価値付けの複雑な枠組みの中でしか意味をもたない。

 

これらはすべて人間にとって「自然」ではない。人類史のほとんどの市場では、賃金労働と物品の所有は社会的生活の組織化においてマージナルな役割しかもたなかった。資本主義経済のスクリプトは過去数百年、発展の蓄積において構築され、かつての相互関係の形を劇的に変えた。

資本主義は限定的な役割しかもたなかった物品の所有、賃金労働を全体にまで押し広げました。

 

人と人との諸関係も物品、金銭と同じく所有的な関係へと変化します。

第二に、人間の活動の特に制限された領域としての、まさに経済の理想は、資本主義文化のなかで成長した価値観の形態の産物それ自体である。たとえば、どのようなものが経済的な物品としてみなされるかという規範の発展と変化は、市場と資本主義文化の発展の中心的な役割を持つ。

資本主義ではあらゆるものが商品化され、個人が所有できるものとなります。

 

土地や人間といった、かつては共有すべきもの、あるいは他者の所有物となるべきではないとみなされたものが、売買され所有されるように価値観が形成される。

第三に、経済は資本主義文化の心臓部であるために、資本主義は人生のすべての側面を愛から戦争へと変える広範な社会的変化をもたらす。

人々は経済的価値観を主軸に置くようになります。だれか他者よりも稼ぐこと、他者よりも得をすることが行動規範となってゆく。

 

結果として資本主義社会では人々が、争いあい憎しみあうようになります。 

第四に、私が焦点をあてるメインの点だが――私たちが発展のダイナミクスを理解したいのであれば、資本主義をより広範な評価的スタンスによって見る必要がある。

 

たとえば、譲渡可能な強力な財産権を定める規範と法律は、世界は個々人によって所有できるという世界観を人々が築き上げることによってはじめて可能になる。

 

賃金労働に基づく経済は人々が賃金のために長時間労働するよう訓練されてはじめて可能となる。財産と市場の法律を強化する中央集権は、国家の合法性を要求する。人々が日常的に物事を消費し、集め、またはそれから利益を得るものとして商品を価値付けることによってはじめて市場の相互作用が人間生活の中心となる。

 

そして20世紀からの「発展した」資本主義の形態の中では、市場のさらなる拡大のために世界人口の全体にまで過激な消費を広める必要がある。 

資本主義経済はひとびとを教育し、改造し、洗脳することによって成立します。

 

「ある土地に囲いをして、これは俺のものだというのを最初に思いつき、それを信じてしまうほど単純な人々を見つけた人こそ、政治社会の真の創立者であった」とルソーは人間不平等起源論で書きましたが。

 

週に40時間、だれか自分以外の利益のために働き、その対価としてわずかな賃金を得る。多くの人がこのことに疑問をいだきません。

 

そういった「不自然な」人間を生みだすことによって初めて資本主義は成立するのです。 

支配の形態としての資本主義

資本主義のもっとも支配の特徴的なパターンは、財産の所有権の不平等に基づくと言えるだろう。市場の相互作用は、主に何か交換するものを持つ者の権力関係である。

 

この相互作用は支配の状態を生みだす――比較的固定化された非対称的な権力、つまりヒエラルキーである――というのも構造的に、ある者は他者よりも交換可能な資源を持つからである。

 資本主義は物品の交換によって成り立ちます。

 

ある商品や生産手段を多く所有している人はより多くの力を持ちます。そこに階級が存在する。特に、なんら商品を持たない人は、自分自身を売る――つまり賃金労働者になるしかありません。

支配形態の基本を超えて、市場と所有の関係は他の支配関係が栄えることを助ける。疎遠と疎外が市場の相互関係に影響を与え――ラッピングされ水で薄められたピンクの肉がスーパーマーケットに並ぶのはどのようにしてか?――多くの残酷な権力関係をマスクすることに役立つ。

私たちがある商品を購入するとき、その背景にある残酷な搾取や支配関係を想起することは稀です。

 

iPhoneは中国人労働者の手によって作られていますが、しばしば工場労働の低賃金・長時間労働が指摘されています。私たちは「偉大なるスティーブ・ジョブズ」に関心を向けるが、ほんとうにiPhoneを作り出している労働者を見ようとしない。

 

市場はそこに「距離」をもたらし、残酷な支配関係を見えなくします。

物品化は他者との関係や自然界との関係を変えるという大きな側面を持つ。蓄積、利益、成長をもっとも重視する価値観を上書きすることによって、不平等を自然で不可欠のように見せかけるか、あるいはまったく存在しないように見せる。

資本主義は不平等ですが、多くの人々が「努力すれば報われる良い制度だ」 と考えます。

 

そして不平等は必要なことだと考えます。「怠け者が飢えるのは当然だ」とはよく言われていることです。

 

利益や成長は、だれかが犠牲になることを肯定するのです。

資本主義は自然な制度のようにふるまう

資本主義は他の形態の生活と共存することができるが、劇的に社会的環境を変化させる侵襲性をもっている。

その支配の技術は、
A. 対立する生活様式を乱し、
B. 資本主義的価値観と実践を社会環境に広め、
C. それらをノーマルでニュートラルにすることによる。

 

現代のような成熟した資本主義社会では、ほとんどの人々が資本主義はノーマルでニュートラルだと考えています。

 

そのようにして今なお世界中に広がろうとしています。

まとめ 資本主義は心を変える 

資本主義経済は人間の本性に即した自然なものだ――と考えられています。しかし、現実には資本主義は不自然なシステムです。

 

資本主義社会は人々の心を変え、資本主義的なライフスタイルを受容するような働きかけがあってはじめて成立しています。

 

私たちは子どものときから、不自然・不平等・不必要な制度を自然で平等で必要なものだと信じ込まされています。

 

そのような社会化のプロセスが必要だからこそ、学校や家庭、マスメディアというイデオロギー装置がある。かつての教会以上に強力なイデオロギー装置です。

 

資本主義社会では、個々人のもっともプライベートな領域においても操作や管理が働いています。

 

単に経済システムとしてではなく、文化的側面を資本主義として捉えることで、より多くの物事が見えてきます。

 

今いる社会を相対化し、客観視し、「井の中の蛙」であることをやめない限り本当の問題は見えてこないといえます。