本棚を見ればその人がわかる
「私の読書歴が知りたい」
というようなメールがあったのでこちらで回答します。
学生時代の本棚。汚いです……。
- ティーンエージャー「俗物図鑑」にハマる
- 読書への目覚め「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」
- 本格的な読書ライフ「自由からの逃走」
- 岡本太郎に出会う「美の呪力」
- マズロー 自己実現の心理学者
- 疎外感を使命感に「アウトサイダー」コリン・ウィルソン
- 「ツァラトゥストラ」私の父ニーチェ
- ヘッセ 最上の詩人
- 終わりに
ティーンエージャー「俗物図鑑」にハマる
小さな頃から本が大好きだった――というわけではありません。私は大学の後半くらいまで熱心に本を読むことはありませんでした。
ただまったく読まないということはなく、SF御三家――星新一から筒井康隆へ、そして少々の小松左京。あとは田辺聖子のエッセーが好きだった記憶があります。
とりわけ私は筒井康隆の「俗物図鑑」が好きで、小中学生の頃はずっと読んでいました。たしか父の本棚にあった本です。
主人公を含め、様々な社会的立場にある18人の登場人物は、「接待」「吐しゃ物鑑定」「口臭鑑定」「宴会」「月経評論」「皮膚病」「性病」「薬物」「痰壺」「自殺願望」「爆弾」など、およそ人には言えないような趣味・趣向・性癖・特技の持ち主だった。
彼らの個性・特技を堂々と発揮するために、彼らは各々の地位・立場・家庭を捨て、評論プロダクション「梁山泊」を結成し、評論家として活躍した。
彼らの強烈な個性がマスコミに取り上げられ話題を振りまいたが、マスコミに仕立て上げられた悪役としての振る舞いに収拾がつかなくなり、反社会的勢力として摘発され、最後は自衛隊との戦闘になり、主人公を含む登場人物のほとんどが殺される、という凄い展開のストーリー。(アマゾンのレビューより)
筒井康隆の得意とするエロ・グロ・ナンセンスの長編小説です。小中学生向けの本ではないと思いますが、少なくとも10回、もしかしたら20回読んだと思います。
なぜか? 単純におもしろいからです。500ページがテンポよく進み、しかもコンスタントにおもしろい本はなかなかないです。
いま考えると、結構アナーキスティックな内容ともいえます。 また、私は筒井康隆の影響でジャズ・ミュージックへ傾倒したのでした。
読書への目覚め「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」
大学生になった私はありがちなことに突然「意識が高く」なりました。たしか「ちきりんの日記」の全盛期で、彼女のブログがきっかけだったと思います。
私はビジネス書にハマりました。ゴミのような本を読んで自分が変わった気がしていました。
そんななかの一冊にブックオフで105円で買った「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」という本がありました。この本はカナダの製薬企業の成功したCEOが、実際に息子へ当てた手紙を編集して出版したものです。
「この本は他の本と違う!」と思いました。明らかにビジネス書のなかでも格の違う本でした。他のビジネス書にはない「教養」「知性」、そして「誠実さ」を私は感じとりました。
他人と異なることは、成功の必要条件のひとつだが、あえてそれを試みる人は非常に少ない。
夢を見るがいいー試すがいいー失敗するがいいー成功するがいい。
「もっと大きくなれるのに、なんと小さな俗物(ポテト)であることよ」
訳者は城山三郎氏。さすがに優れた訳です。
私を読書に目覚めさせたのはこの本なので特別な思い入れがあります。なぜか4冊ほど買ってしまいました。
ちなみに二番煎じ三番煎じの「ビジネスマンの父より娘への25通の手紙」「ビジネスマン、生涯の過し方」はあまりおもしろくありません。
本格的な読書ライフ「自由からの逃走」
「ビジネスマン~」によって読書に目覚めた私は、そのなかで紹介されていたV. E. フランクルの「夜と霧」……ではなく、それと関連するエーリッヒ・フロムを読むことにしました(「夜と霧」は難しかったのです)。
いわゆる「名著」「古典」なるものを初めて読んだのは、文学を除けばエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」でした。
筒井康隆やビジネス書ばかり読んでいた私は大学の図書館にある堅苦しい表紙の本を手にとって、このような本は読めないだろうし、読んでもおもしろいものではないだろうと考えていた。
しかし、読み進めると非常におもしろい! 私が求めていたものががそこにある! と感じました。 ぐんぐんと読みすすめて、あっというまに読了です。
当時の書き抜きはいま見ても共感できます。
我々は古いあからさまな形の、権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食となっていることに気づかない。
近代人は自分の欲することを知っているというまぼろしのもとに生きているが、実際には欲すると予想されるものを欲しているにすぎない。
自分自身に対して自らの目標を与える危険と責任は、深く恐れてとろうとしない。
風変わりにならず、他人の期待に順応することによって、自己の同一性についての懐疑は静められ、一種の安心感が得られる。心理的に自動人形であることは、たとえ生物学的には生きていても、感情的、精神的には死を意味する。
真理は力なきものの最強の武器である。
私が熱中したのはフロムの権威主義に対する強烈な批判があったからでしょう。
当時の私は、自分が反権威主義者であることにはじめて強い自覚を抱いたのでした。
岡本太郎に出会う「美の呪力」
このあたりから私は情熱的に本を読むようになりました。大学の後半期です。
古典作品に目覚めると共に、芸術にも目覚めた私です。芸術や文学、哲学といったハイ・カルチャーは庶民出の私にとって新鮮な喜びでした。
岡本太郎にハマりました。美術館に足繁く通った記憶があります。
Ecce homo。ニーチェの「この人を見よ」の原題でもあります。
絵画や彫刻だけでなく、彼は詩人としても優れています。「美の呪力」は何度も読んだ。
怒りは宇宙に透明に広がる情熱、エネルギーだ。それが現実の抵抗に向かって行動するとき、挑戦の形をとる。挑戦は美であり、スタイルだ。
純粋な人間は子供のときから身の内側に燃えつづける火の辛さに耐えなければならない。その火の故に孤独である。暗い。それが聖だからこそ、冒される予感におびえる。純粋に燃えているにかかわらず、火を抱いているということは不安であり、一種の無力感なのだ。
なかなかに強烈な文体です。ニーチェのスタイルを踏襲したものでしょう。彼はニーチェアンでしたから。
マズロー 自己実現の心理学者
心理学でもっともハマったのはマズローでした。彼は「欲求段階説」で有名ですが、実際の彼の思想はずっと広い。
彼は病人の精神分析をしたフロイトとは異なりますし、当時主流だった人間をラットのように行動分析する行動主義とも違います。「健康な人間」つまり自己実現した個人を分析する「第三の心理学」を打ち立てたのでした。
何より彼の本で優れたものは、彼自身が書いたものではないですが「マズローの心理学」という本です。
たいていの人間は、自分達に差し出されている幸福と自尊心のなかへ踏みいることを、かたくなに拒否している。
現代の究極的な病理は価値喪失である。
自己実現した人間:老齢者だけに見られるもので、生涯にわたるダイナミックな活動の過程ではなく、事柄の究極的あるいは最終的な状態、すなわち目標、言い換えれば生成よりは存在とみられる傾向である。→完全な人間性
人生を明瞭に見る。
人間を正確に判断する。適切な結婚。正確な未来の予想。
世界をあるがままに、広大な没批判的な、無邪気な眼差しで眺める。
疎外感を使命感に「アウトサイダー」コリン・ウィルソン
いまも昔もアウトサイダーの私ですから、必然的にコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」を手に取ることになりました。
この本はたしかコリンが25歳頃にホームレス生活をしながら図書館に通いつめて書いた本です。そういった経緯もおもしろいですが内容も優れています。
とにかくいろんな思想家や芸術家を「アウトサイダー」として考察する本です。
もうこれ以上ためらうことなしに「アウトサイダー」は自覚すべきだ――わたしが他の人と違うのは、もっと偉大なものに運命づけられているからだ、と。そしてまた、詩人たるべく、あるいは予言者ないしは世直しの人たるべく運命づけられたものとして自分を考えよ。そうすれば、「アウトサイダー」の問題は半分まで、解決されたことになる。
あくまでも重要なことは、ありきたりの昼間の世界を去って、地獄と天国との中間にある無人地帯に踏みいることであり、そのとき人間は「アウトサイダー」になる。
「アウトサイダー」たるものは、「なぜか?なぜ大部分の人間は失敗者なのか?アウトサイダーはどうして破滅しやすいか?」という疑問を絶え間なく発していなければならない。
疎外感を抱くひと、社会とうまくやっていけない人、自分はアウトサイダーだという自覚がある人はこの本を読むべきです。
アウトサイダーには役割があり、果たすべき使命があると感じさせてくれます。
「ツァラトゥストラ」私の父ニーチェ
ニーチェは私の父です。
いや、ウソです。
でもニーチェがショーペンハウアーを父のように感じていたように、私もニーチェを父のように感じています。
先のマズロー、岡本太郎、コリン・ウィルソンはニーチェの影響を強く受けた人物です。
私が何度も読んだ本は、「善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラ」です。いずれも読みやすい本でしょう。個人的には岩波文庫版が好きです。
ツァラトゥストラって、あきらかに前編の方がおもしろい気がします。
まあ、この人についてはあまり語ることがありません……。
ヘッセ 最上の詩人
すっかりニーチェの世界に入れ込んだ私はニーチェから影響を受けた人物の著作を読むことにしました。
そのひとりがヘルマン・ヘッセです。私がもっとも読んだ小説家。アル中の鬱病で、ノーベル賞を受賞したおっさんです。
ヘッセといえば「車輪の下」が有名ですが個人的にはあまりおもしろくありません。後年のヒッピーテイストの「荒野のおおかみ」や「シッダールタ」もあまり好きではない。
私が好きなのは「デミアン」、「郷愁」、「春の嵐」。もっとも好きなのは「知と愛」です。「デミアン」は特にニーチェ臭が強烈で、20代のうちに読むべき本です。
「ぼくたちの心の中にだれかがいて、それがなんでも知っている、ということを心得ておくのは、とてもいいことだよ」(デミアン)
古い恋は私の心の中で静かに燃え続けた。それはもはや以前の、求めるところの多い花火ではなくて、ありがたい長持ちする熱い火で、心の若さを保ってくれ、希望のないひとり者も、冬の晩にはときおり指をあたためることのできるものであった。(郷愁)
評判は悪いのですが私は高橋健二の訳がもっとも好きです。
終わりに
長くなったのでおしまいです。前編として青年期に影響を受けた著書をあげました。
読書はあきらかに人格の発展に重要です。
本を読む人と読まない人ではほとんど違う世界を生きることになります。
後編は私がおっさん化した後に読んだ本を紹介する予定ですが、あまりおもしろくないかもしれません。