齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

反国家勢力としてのアイヌ民族

その昔この広い北海道は、私たち先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、まさに自然の寵児、何という幸福な人たちであったでしょう。……平和の鐘、それも今は昔……(『アイヌ神謡集』序 知里幸恵)

 

世界中いたるところで国家vs反国家の動きがありました。

 

それは同時に自然vs文明の対立でもありました。

  • 自然な社会では、狩猟採集社会、共有財産に基づく比較的平等な社会が特徴づけられる。口頭伝承の文化。
  • 文明社会においては、農耕社会、階級社会、徴兵や徴税に基づく中央集権を特徴とする。筆記中心の文化。

農耕社会は土地資源と人的資源を要求します。そのため必然的に「侵略」的な性格を持つ。

 

一般的に、西洋でも東洋でも「野蛮人が文明人の豊かさや合理性に惹かれて統合されていった」とされます。

 

そういった民族があったことも事実でしょうが、実は多くの土着的民族が国家を毛嫌いしたことも事実です。初期国家においては、その住民の大半は奴隷や戦争捕虜でした。つまり、管理・強制・抑圧によってつなぎとめておかなければ逃げてしまうのが「国民」であった。 

 

文明vs自然の対立は世界中で起きていたことです。そして、日本ではアイヌ民族が代表的な反国家的な勢力だった。

 

……というようなことを、新谷行(1932-1979)が1972年に「アイヌ民族抵抗史」に書いていたました。新谷はアイヌ民族の血が混じった歴史家です。

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はじめに

彼の記述は半世紀以上前のものです。「本書の刊行以後、アイヌ研究は格段に進化し、拡大した。その結果、本書の記述の多くは今日の研究の成果からみてすでに議論に堪えないものとなっている」と巻末にて歴史学者の友常勉が書いています。

 

したがって以下の記述はある意味「新谷史観」となるので注意してください。

アイヌ民族の天皇国家への抵抗 

「蝦夷征伐」という侵略戦争

3世紀頃国家が誕生しました。彼らが蝦夷を「侵略」するところから民族への抑圧が始まります。

3世紀またはそれ以前より朝鮮半島から日本列島各地に渡来した民族のうち、北九州に集団的に勢力を拡充した部分が近畿地方に進出し、大和国家を確立した。

 

豪族連合的な「先プレ国家」から「天皇国家」にいたるプロセスは、各地における原住民族との、また支配者層間の絶えざる争闘の連続であり、それはいいかえれば権力確立のための政治的・軍事的・制度的な強化と「発展」の過程であった。彼らが大陸の中華帝国に奴隷をふくむ貢物をもって頻繁に朝貢し、印璽や称号を欲しがったのは、日本列島内の支配権を帝国直属の「権威」を借りて確定しようとしたあらわれだった。帝国との交通、朝貢は、政治制度、軍事力、緒種の「文化」を輸入する。当然、異族や同族の下層民を支配する狡智にたけた教義や方法も学んだであろう。

 

――こうして畿内に定着し、強大になった征服民族を核とする「文明」国家(中華帝国の亜流)が、東国に向かってその触手を伸ばし、辺境の異族を滅ぼし、「まつろわぬもの」は殺し、版図の外へ追い、従う者は拡大した国家の内部に被支配者として編入する。すなわち、「蝦夷征伐」とは、天皇族による蝦夷侵略にほかならない。 

かなり強烈な記述ですが概ね肯定できます。

天皇国家による殺戮と奴隷化

天皇国家のとった蝦夷制服の方法は、一方では一村を全滅させるような殺戮をくりかえし、他方では降伏した部族を熟(にぎ)蝦夷また俘囚と称して策の中に住まわせ、農耕させるという方法であった。この柵はゲットーと考えてよいし、熟蝦夷または俘囚というのは奴隷にされた原住民のことである。

奴隷狩りによって成立する。初期国家はそんなものですね。

今日の歴史学者たちは、俘囚のことを「帰順した蝦夷」と称している。「帰順」といえばいかにも蝦夷の方から進んで天皇国家に服従したように聞こえるが、実際はそうではなく、天皇派遣軍が侵略戦争によって原住民を捕えては天皇に献上したり、他国の遠い柵の中に入れたりしていたのである。

 

歴史学者たちは、東国・東北地方の原住民からの土地強奪や、出羽や陸奥における奴隷狩り戦争を否定して、中央国家による辺境開拓という美名を使っているが、それは皇国史観をほとんど何歩も出ない、きわめて自分勝手な幻想をもって事実を糊塗するものにすぎないのである。

歴史の勝者にとっては「開拓」でも、敗者にとっては「侵略」となる。言葉の問題は難しい。

 

ただ、戦争による奴隷狩りがなかったとする歴史家がいるならそれは問題でしょう。そんな初期国家はほとんどありえないですから。

原住民による抵抗

こういう侵略者に対して、この地方の原住民族が容易に従わなかったのは当然である。

 

第一、農耕のために樹を刈り、土を掘りおこすなど、狩猟民族としての原住民にはなんとしても納得がいかなかった。川にいけば魚がいる。山へ行けば鳥や鹿がいる。木の実がある。

 

彼らはこれらの獲物を自然(神)からの贈物として狩猟し、自分たちもまたあくまでも自然の一員として生きていた。

自然と調和して生きている彼らにとって、文明的な考え方は馴染めなかったでしょう。砂漠地帯や豪雪地帯ならともかく、潤沢な自然の恵みがある地域では特に抵抗が激しいでしょうね。農耕社会って3K労働 ですし。

「地の利」で戦う蝦夷部族

蝦夷部族にとって何よりも強力な武器となったのは、自然そのものであった。アザマロの乱の時の按察使藤原小黒麻呂が、蝦夷首長の戦術について、「蜂の如く屯し蟻の如くにあつまり、首として乱階を為す、攻むるときは則ち山藪に奔逃れ、放つときは則ち城塞を侵し掠む」

……と書いているようである。

 

ゲリラ戦術ですね。弓矢による狩猟を生業とする狩猟採集民は基本的に戦争がうまい。また、雇われの兵士や奴隷による戦力よりも、統率が優れており、戦員の士気が高いことは予想できる。

 

あと、蝦夷の民がどうだったかはわかりませんが、辺境民は基本的に「山の民」化します。「もっとも急で険しい場所はつねに自由の避難先であった」とフランスの歴史学者ブローデルは述べている。

 

彼らの住処は低地民が辿り着くだけでも非常にコストがかかる場所にあります。いわば天然の要塞となっているわけです。

松前藩による謀殺

これらの記録を見てきて目につくのは、謀殺、つまり騙し討ちの多いことである。蠟崎の二代目光広、三代目義広と、いずれもアイヌ部族音指導者を欺いて殺し、蜂起の芽をつみとっている。……権力者は卑劣な手段を用いることをためらわない。

 

アイヌ民族の叙情詩ユーカラを読んでも、危地に陥って神の加護の下に自分の全身の力を揮う英雄はうたわれても、騙し討ちの例などない。一度和を結べば心から信じる。狡猾な和人にとって、剛毅だが素朴な北方の戦士を欺くくらい容易なことはなかったのであろう。

和人が特別に狡猾だったとは思いません。基本的に土着の人々は文明人に欺かれ、騙されるというのが世界史のパターンです。

 

基本的に文明人は手段を選ばないマキャベリアンですからね。

奴隷的労働に酷使されるアイヌ

近世になると、蝦夷の物産に関心をもつ投機的な商人がやってきた。

彼らはアイヌを賃労働者として酷使しました。

出稼人の横暴は、クナシリ島においていっそうひどかった。彼らのほとんどは南部からの流れ者で、飛騨屋の大量略奪の手先となってアイヌを徹底的に虐使した。先にも述べたように、当時の生産技術は刺繍、曳網などの大型漁法であり、和人の出稼人がこれらの網の使い方をアイヌに教え、監督するという立場で酷使した。……アイヌは一介の労働者、それも奴隷的な労働者とさせられてしまったのである。

技術を教えるという名目で酷使する。

 

あれ、なんだかデジャブ……。

クナシリ島では毒殺・レイプ

クナシリ島とはいわゆる北方領土と言われる道東の島のことである。

 

新谷「和人はアイヌに対して、働けない者は残らず殺す、とおどかし、酷使したのである。実際に毒殺された者もあ」ったと書いている。

 

ただ本当に毒殺があったかはまだ確定していないようだ。個人的には大規模な毒殺はなかったと想像します。世界的に見ても「奴隷を毒殺する」という事例を私は聞いたことがなく、非現実的に感じる。

和人の犯した非道の数々は、いちいちあげればきりがない。過酷な労働に狩り立てられ、報酬は欺きとられ、自分の女房は番人のなぐさみものとされ、その飢え、労働に耐えられなくなれば殺される。自由の天地アイヌモシリはこうして地獄の労役場となったのである。

ただ、階級社会にありがちなレイプは多発していたようで、これは事実でしょう。

 

救いのある話もある。ウエテマツという22歳の美女でありながら、雄雌の熊を追い払い、授乳中だった小熊をとらえてきたといわれる豪胆の話。

このウエテマツは相当力が強かったらしく、忍び寄った番人は一年中陰嚢が傷んで番屋にも出ることができなかった。番人はいろいろな衣類を持って行き、いうことを聞かねば殺すとまで嚇したが、ウエテマツは「衣食は是にて足り居りしかば何の不足もなし、又殺さるるとも何か命は惜しからん」と、頑として番人を近づけなかったのである。

明治期――屯田兵による開拓

幕府による支配を逃れたアイヌ民族は土地を国家に奪われます。

アイヌ民族には土地所有の観念はなかった。部族間のイオロ(猟区)はあっても、これは人間の土地ではなく、あくまでもカムイ(神)のものであった。


……しかし、明治政府はこのアイヌ民族の生存の権利を完全に否定し、すべての土地を勝手に没収したのである。ここからアイヌ民族の決定的な不幸が始まる。すなわち、……明治政府による「民族根絶」という、より徹底した、強力な重圧がのしかかってくるのである。 

アイヌ民族が生きるために必要だった土地は国家に強奪された。

そして屯田兵がやってくる。

廃藩や秩録の廃しでこれまで特権的な地位から転落した失業士族が、北海道移住と開拓の主たる担い手として動員された。明治天皇国家は「維新」の変動が生みだした不満分子を新しい植民地である他移動に送り込み、さらに一八七四年には屯田兵制度を設けて、これらの開拓労働力を北辺防衛の軍事力として利用するという一石二鳥の効果を狙ったのであった。

これって、近世イギリスの植民地開拓と一緒ですね。国家にとって失業した軍人ほど始末に困るものはないのです。彼らは遠方へ遠方へと追いやられる。

 

北海道はアメリカやオーストラリアのような扱いだったんですね。

 

そんなわけで、アイヌ民族は近代以降、同化政策を繰り返し受け、現代では本来の風習や言語、アイデンティティをほとんど奪われた状態になっています。

隠蔽されるアイヌの歴史

アイヌと和人が仲良く鮭をとった――と、小学校の社会科教科書に書かれているが、和人のアイヌモシリ侵略の、どこにそのような美しい話があったのだろうか。アイヌ史の真実に少しでもふれた人間にとって、それは恐るべき無神経さと歴史の偽造以外の何ものでもない。

すごいですね。

 

今はさすがにそんな内容は書かれていないでしょう(と思いたい)。

補遺:比較的平等だったアイヌ民族

多くの狩猟採集民と同じく、アイヌ民族は平等社会でした。

少数の血族からなる部落共同体――それがアイヌ民族の社会を構成する単位であった。部落には部落を統べる酋長、すなわちコタン・コロ・クルがおり、一族の長として祖先の共同祭祀、共有財産の管理、狩漁や戦闘の指揮、冠婚葬祭の儀式の司会などを行っていた。
 
したがって酋長たる者は、衆人の中から血統の尊い者が選ばれ、勇と智を兼ね備えて、一族の口碑・伝説に精通した、真に行動力のある人間でなければならなかった。といっても、酋長は「権力者」ではない。あくまでも共同体の一員、ウタリ(盟友・仲間)として、同等な、経験を積んだリーダーであった。

狩猟採集社会はなぜ平等かについては以前書きました。

 

新谷は遊楽部の推久トヨレタケの談話を引用している。

「鮭はその季節になれば部落の者が総出でこれを獲り、これを分けて貯え、また熊を狩ったときは部落の半里も先から声をあげ、その声をきくと部落全体の者が迎えに行き、めいめいの家では団子をつくって熊をえた人の家に祝いをし、熊の肉の分配にあづかる。」

いい感じの原始共産制ですね。

 

一方で文明社会では権力志向の人々がリーダーになります。

 

初期のリーダーは「貧しい人にご飯を与えてくれる人」だったが、文明社会の指導者は「貧しい人からご飯を奪う人」となりました。

 

国家中枢には権力志向の強いマキャベリアン的・サディスト的な「Dな人」が集まるようになり、多かれ少なかれパソクラシー化していった。

補遺2:新谷氏の文明史観

農耕社会は人口と生産性を増大させ、「富」をつくり出したが、それは必然的に奴隷と奴隷所有者をも生んだ。というよりは、奴隷と奴隷所有者が農耕社会の「富」とその内容をつくり出していったのである。

なかなかアナルコ・プリミティヴィズムな考え方です。

これは事実でしょう。

農耕者は稲・麦などの作物を生育させるために土地を開墾し、雑木や雑草を除かねばならない。稲作にとっては稲だけが「選ばれたもの」であって、雑草はこの選良のために芟除されねばならない。選ばれてあるものと不要なものの抹殺――農耕社会における土地領有と生産性のためのこの思惟と方法が、ローマ帝国であれ秦・漢帝国であれ、農耕民族の支配者による「文明」の行動原理であり、「文化」の基本となったのである。土地を獲得し確保するための征服と略奪戦争、そのための武器と支配の技術、それが「社会発展」の動力源であった。

「雑草を排除して稲だけを選択する」。そういった「選ばれてあるものと不要なものの抹殺」という価値観が文明の根幹にある。

 

この観点は非常にユニークです。実際には国家と農耕はイコールではなく、例えば遊牧民は農耕をしません。ともあれおもしろい考え方です。

まとめ 普遍的な歴史として見るアイヌ史

以上新谷氏の記述を見ていきました。

 

氏の記述からわかることは、日本でもアメリカ・インディアンやアボリジニーと変わらない搾取と抑圧が存在したということです。

 

現在アイヌ民族はほとんど同化――というか浄化されてしまったわけですが、日本には古くから国家に抵抗する民が存在していたことは忘れてはいけない事実でしょう。

 

新谷氏の記述は熱がこもっていて非常におもしろいのですが、「天皇国家」「和人」を邪悪視する傾向が強すぎるように感じました。

 

天皇国家が特別に狡猾というわけではなく、また狡猾な民族が存在するのではなく、国家はすべて狡猾で抑圧的なのです。

 

アイヌvs天皇国家の対立は特別なものではなく、普遍性を持っています。

 

国家のあるところ、つねに国家の内部に生きるか、外部に生きるかの選択があった。

国家の内部に生きるのか、外部に生きるのか。それともその中間部に生きるのか国家という政治形態が隅々まで行き渡っている現在の私たちは忘れがちだが、人類史の大部分においてこれらは現実的な選択肢であり、人々は状況に応じて対応を決定してきたのだった。(「ゾミア―― 脱国家の世界史」ジェームズ・C・スコット )

アイヌの人々は国家を拒絶して生きてきた。同じような人々は世界中に存在した。

 

そして、国家の誕生以前では、私たちはアイヌの人々と同じように国家なしで生きてきたことも事実なのです。

私たちの暮らす世界とは対照的に、本書でとりあげた世界は国家がいまほどには目前に迫りきっていない世界であった。 歴史を長い目でみればほとんどの人類が比較的最近まで暮らしていたのが、この世界にほかならない。(同)

というわけで、アイヌvs天皇国家という視点にとらわれず、「自然vs文明」というより大きな問題を考える必要があるように思います。