齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

齟齬

お知らせ:mikuriya-tetsu.comに引っ越しました

怒りを受容する

「怒ってはいけない」

「怒りは幼稚で子どもじみた感情だ」

「怒りは病的で不健康である」

「怒りは社会的不利益であり、管理されなければならない」

「怒りは道徳的に悪で間違っている」

 

とされます。

 

怒りは悲しみや楽しみなどとは違い、抑圧すべき、非難すべき「下等」の感情なのでしょうか?

 

でも、それなら人間はなぜ怒るのでしょうか。

 

誤解された感情である怒りについて考察したいと思います。 

f:id:mikuriyan:20180818053709j:plain

Angry Sea - Gustave Courbe

 

怒りとは何か

Psychology TodayよりPaul C Holinger氏のAnger: A Misunderstood Feelingを見ていきます。

怒りは「助けて」のサイン

怒りは「何かが間違っている、助けてほしい」というサインだと書かれています。これ、なんとなく納得できる記述です。 

怒りの原因は「過剰な刺激」

光やノイズ、痛みなどの「過剰な刺激」は怒りを引きおこします。

 

怒りは量的である」と書かれています。ある人間の悲しみや恐怖、恥じらい、ストレスがあまりのも過剰になって、ある一定のラインを超えたとき、それは怒りに変わっていくということです。

 

例えばある程度の悲しみであれば悲しみのままですが、それがあまりにも過大なものだと怒りへ変容するということです。

 

怒りは悲しみや恐怖と質的に異なるのではなく、ネガティブな刺激の「過剰」によって生じるようです。

怒りの抑圧は病である 

私たちの社会では怒りはマイナスなものだとして扱われています。怒りは受け入れがたい、禁じられた、恐ろしいものだとみなされている。

 

ほとんどの現代人は怒りの感情を抑圧するよう教育されています。しかし、抑圧したところでそれは解消されるわけではありません。さまざまな病を引き起こします。

強迫性障害

怒りを抑圧すると神経症を招きます。

怒りは許されないとか、悪い影響を持つとして育てられた人々は鍵をかけたか、電気を消したかを何度も確認するような強迫性障害を引きおこす。臨床的な研究は、怒りやコントロールを失うことへの恐怖がこれらの症状の背後にあることが多いことを示している。(同記事より)

私も神経症だった(いまも多少ある)のですが、この記述は腑に落ちます。神経症は不治の病的な扱いですが、怒りの解放で治療できるのかも?

被害妄想

また、怒りを抑圧することは多かれ少なかれパラノイドを引きおこすと 書かれています。つまり被害妄想です。

 

被害妄想の原因は外的環境と内的感情のふたつがあります。外的環境は、虐待を受けた児童や帰還兵のように、不安感や危害に対する警戒を学習していったパターンです。

 

内的感情は「投影」によって説明されます。つまり、ほんとうは「自分が怒っている」にもかかわらず、それが抑圧されることによって「他者が怒っている」に変換されるのです。

 

ちなみにこの「投影」――つまり内なる感情への恐怖の外化――は、悪夢や、怪物への恐怖などに転嫁されることがあると書かれています。

 

ホラー映画で恨みや怒りをもった幽霊や怪物は人気キャラですが、それは私たちの深層心理を反映しているのかもしれません。(そういえば、「リング」の貞子は井戸から這い上がってきますが、「イド」のメタファー?)

鬱病

別の記事(The Simple Truth about Anger)では、鬱病との関係が示されています。

 

怒りの抑圧は、自己批判や自己嫌悪をもたらします。この結果、鬱病や無価値感に導かれると。

 

鬱病と怒りに関しては以前も考察しました。→鬱病と社会への怒り - 齟齬

 

身体的病

同じ記事では、怒りの感情を隠すことは頭痛、高血圧、心血管疾患、または癌などのさまざまな病に関与するとあります。抑圧された怒りは癌の原因となり、また進行を早めるようです。怒りの抑圧は死を招く、のです。

怒りの政治的抑圧

話は個人から社会へと変わります。

 

私たちは心身に悪影響を及ぼすにもかかわらず、怒りをなぜ抑圧するのか? 理由は単純です。「怒りは悪いことだ」とされるのは、その方が支配に都合が良いからです。

 

資本主義社会は階級社会であり、私たちはいわば奴隷です。支配は不平等であり、理不尽なものです。必然的に怒りを生じます。

 

したがって、奴隷階級に「怒りは良くないことだ」「理不尽なことを受け入れよう」「怒りは病気である」、または「怒る者に共感してはならない」「宥めよ」「排除せよ」と教えることはリーズナブルです。

  

怒りは政治的な衝動です。歴史上の支配に対する革命や反乱のすべては集団的な怒りが関与しています。フランス革命や島原の乱などなんでもよいです。

 

なので、支配においては奴隷から「怒りの芽」を摘むことが国家の誕生以来最重要課題なのです。

 

その例がキリスト教道徳であり「日本人論」でもあります(例:日本人は我慢強く、些細なことで怒らないものだなどという言説)。 

北欧が平等なのは労働者が「怒る」から

ノルウェーやデンマークなどの北欧国は搾取が少なく社会的に平等です。アメリカ人や日本人にとって北欧の国は天国に見えます。

 

そういった国が平等なのはなぜでしょうか。労働者が怒りまくってるからです。経済的に比較的平等な国では、何度もデモやストライキ、訴訟があって人々が暮らしやすい世界が実現しています。

 

医師で社会主義者のSusan Rosenthal氏は極めてシンプルに書いています。

 

労働者階級が優位になれば、不平等は減少し、社会は公平になり、人々はより健康になる。資本家階級が優位になれば、不平等は拡大し、社会はより不公平になり、人々は不健康になる。

How Inequality is Killing Us | SusanRosenthal.com - Socialism is the Best Medicine

 

f:id:mikuriyan:20180818032209p:plain

アメリカの大規模ストライキと上位1%の収入の関係(Union lawyer tells US Supreme Court: “Union security is the tradeoff for no strikes” - World Socialist Web Site

怒りの抑圧=不平等社会

日本はどうでしょうか。デモやストライキはほとんど絶滅しています。たまにそれらが起きても、「迷惑だ」「時代錯誤だ」「左翼だ」などと白い目で見られます。同じ労働者の正当な抗議であってもです。

 

その結果は驚くほどダイレクトにブラック化――低賃金、パワハラ、過労死、鬱病と結びついています。

 

日本人は穏やかで温厚な「特別な人種」ではありません。ただの人間です。強い怒りと不平等感をもつことがあります。しかしそれらは抑圧されるために、怒りを自己に向ける――自殺しているのです。 

 

日本人はもっと、自分の感情に素直になって怒るべきです。

怒りを解放しよう

怒りは普遍的な人間現象である。飢餓、孤独感、愛情、疲労感と同じく基本的なものだ。(Theodore Rubin)

 

あらゆる自然な感情は抑圧されるべきではありません。

 

人間の本質は善です。

 

つまり、自然な感情に従って生きるときに人間は悪にはなりようがない。怒るべきときに怒り、悲しむべきときに悲しむべきです。人間が病にかかり、悪をなすようになるのは、それが社会的文化的に抑圧されたときなのです。

 

もっとも、怒りの矛先が間違っていることは頻繁にあります。自傷行為や自殺はその例ですし、会社で嫌なことがあったので妻を虐待するとか、社会に絶望して無差別殺人を起こすとか、悲惨な例もたくさんあります。こういったことから私たちは「怒りは良くない」と考えます。現実には、ただ良くない、間違った怒りが存在するだけです。

 

怒りの本当の原因はかならず存在します。その原因は必ずしも見えがたい。騒音かもしれませんし、他者からの冷たい態度かもしれませんし、社会構造的なものかもしれません。

 

いずれにせよ、私たちに必要なのは怒りを抑圧することではありません。また、暴飲暴食やサンドバッグを殴れば解消すると考えるのは馬鹿げています。

 

怒りと向き合って、なにが問題であり、どうすれば問題が解決するのかを考えることです。

 

それが真に理性的で人間的な行動だといえるでしょう。