裏切られたときほど腹が立って憤ることはありません。
物に当たったり、怒りのあまり泣きだすということもあります。
私たちのだれもが、人生のなかでさまざまな裏切りを経験します。
- 友人が陰口を言っていた
- パートナーが浮気をした
- 同僚が仕事のミスを押し付けた
裏切りは信用を前提とします。愛情や信頼がまずそこにある。だからこそ耐えがたい怒りとなる。
今回は自分を裏切った人に対してどう接するのが良いのかを考えてみたいと思います。
'Self acceptance' (ii) by Lesley Oldaker
裏切りとは何か
WikipediaのBetrayalの項を調べると以下のようにあります。
裏切りとは事前に想定された契約、信頼、また自信を破壊、侵害する行為のこと。裏切りは個人間、個人―組織間、組織間における道徳的、心理学的な摩擦を生む。
裏切りはどのような結果をもたらすか。
裏切り行為は被害者と加害者の両方に否定的な考え、ふるまい、感情を引きおこす。相互作用は複雑である。被害者は怒りや困惑を示し、加害者に償いを求める。加害者は今度は罪や恥じらいを感じ、後悔の念を示す。もし、加害者が謝罪や後悔を示したあとに被害者が怒りを示しつづけるならば、今度は加害者が防御的となり、憤慨するようになる。
あまり責めると、被害者が今度は加害者になる。わかる気がします。
裏切りは極度の怒りを生む
裏切りは悲しみや恐怖ではなく怒りを生じる。
あまり聞いたことがないですが、精神医学にはPTSDとは別に「裏切りのトラウマ(Betrayal trauma)」が存在するようです。
PTSDと違う点は、PTSDが「極度の恐怖」によって引き起こされるのに対し、裏切りトラウマは「極度の怒り」に対する反応ということです。
恐怖と怒りの二つは、「闘争か逃走か反応」(アドレナリン上昇時に起きる生物的反応。人類だけでなくほとんどの動物に見られるもの)の両極です。
PTSDは生物的な限度を超えた恐怖(戦場や家庭での虐待)を受けたときに起きますが、裏切りトラウマは限度を超えた怒りによって生じるのです。
裏切りの対処法――許すか、離れるか
裏切りは腹が立ちます。大いに個人を悩ませます。どのように問題解決をすべきでしょうか?
以下の方法があります。
- 許す――相手の誤ちを許し、関係を存続させる
- 逃亡――関係を断絶させる
許すことは相手の裏切りに対して真正面から問題改善に取り組みます。
離れることは、関係それ自体を解消することで状況を改善しようとします。
裏切りを許すべきなのか
英語圏のネットを調べる限り「裏切りは許すべきだ」という考えが強い。キリスト教の関係でしょう。
「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」マタイ福音書5:39
「許し」はキリスト教道徳の最大のテーマです。
また、コーランにおいても「許す」という言葉は頻回に登場します。コーランで神はいろんなことを許してくれるので「アラーは誠に寛大である」と何度も書かれています。
神は絶対善。こういった宗教においては神は許してくれる存在なので、許しが善となります。
ただ、許すことが正しいのでしょうか。裏切った相手を許すことで私たちの問題は解決するでしょうか。神は許すことができます。でも私たちは人間ですから……。
許しの問題点
私は裏切りに対する対処法として「逃走」――つまり関係解消をおすすめしたいです。
関係解消はすべての状況で合理的なわけではありませんし、リスクが伴うことがありますが、しかしその選択肢はつねに頭に入れておくべきだと私は思います。
再び裏切る機会を与えることになる
「あなたは裏切った人を本当に信用できますか?」というQuoraの質問に対して、Vatsal Rathodという人の解答を一部引用していきます。
もしあなたが彼を許せば、あなたは間接的に彼にふたたび裏切ってもよいのだと教えることになり、関係を続けられるだろう。彼に第二のレッスンを与えるとしても、それはふたたび裏切りのチャンスを与えることになる。
裏切りグセは治せない――そして人生は短い
またさらにこう言います。
第二に、私は裏切りは基本的に本能によるものだと思っている。それは内的なものなのだ。あなたにはそれを取り除くことができない。破滅的な結果の恐怖なくして、ペテン師をまっとうな道に戻せることは稀だ。そして人生は二度目のチャンスを与えるには短すぎる。
たしかにこれは正しいです。一度裏切った人が変わることは稀です。
当たり前ですが、一度裏切った人にチャンスを与えると再び裏切る可能性は高いです。映画や漫画では裏切り者は簡単に改心してくれますが、ふつうはまた裏切られるだけです。
そして、はたして一度裏切った人を「更生させる」ほどの価値が一体あるのでしょうか? 彼の言うとおり、私たちの人生は短いのです。
裏切りは侮辱である
……許しは過大評価されている。恨みを抱いてはいけないし、許してもいけない。だれかがあなたを裏切るならば、彼らはあなたの知性を侮辱していることになる。あなたの知性を侮辱するものはだれでも、間接的にあなたをお人好しのバカだと呼ぶことになる。あなたは自分をお人好しのバカだと呼ぶだけでなく、あなたがそういう人間だと(苦痛をもって)証明した人を許そうというのか? 私には無理だね。
「裏切りは侮辱」という言葉が好きです。「攻撃は許せるが、侮辱は一生許せない」とだれかが言いましたが。
裏切りは、相手を下等の者と見ます。あいつは対等に扱わなくていい、並以下の人間だと考えていることになります。
そんなふうに考える人を相手にする必要があるでしょうか?
もしも相手を許せるなら
もっとも、裏切りはさまざまです。なかには裏切りというより「過ち」に近いこともある。
そういった場合、関係修復は可能です。許すための手続きは以下のステップがあります。
- 相手に何が悪いか、何が不当であったかを教える。
- 相手に傷ついた代償に何をするのがよいかを考えさせる。
現実には裏切り行為を埋め合わせできることはほとんどないのですが、それでも考えさせることが重要です。
うまくいけば関係修復は可能です。ただしあまり責めるとこちらが加害者のようになりますのでバランスが重要です。
結論:裏切る人間と一緒にいるのは無駄
敵を許すことよりも友人を許すことの方が難しい。ウィリアム・ブレイク
自分の気持ちに素直になりましょう。
- 一度でも裏切った人と一緒にいたいですか?
- 信頼関係の再構築がほんとうに可能だと考えますか?
私は、裏切る人との関係の再構築は無理だと考えます。一度裏切りがあった場合、もはや二度とその人と真の信頼関係は構築できません(相手も望んでないでしょうが)。
人間関係から自由になろう
私たちは自由に関係を解消できます。友人だろうと上司だろうと伴侶だろうと家族だろうと、です。
「常に解消できる」関係でないと、しばしば腐敗し、片方が奴隷や主人の役割を演じて支配従属の関係になることが多いです。一方が許し続けて相手は裏切り続けるという関係です。
もちろん、関係断絶は難しいです。私たちは職場やクラスの人間関係、家族の人間関係から「離れられない」状況に常に置かれています。
しかし、人間はみな、一人で生きていく能力を持っています。ただ何事にも慣れが必要というだけで。
ひとりで立って、だれにも依存しないときに本当の自由があります。人間は自由なとき、裏切りにも容易に対処できます。
ただひとりで歩めば良いだけですから。