齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

マルクスの「疎外」とは何か

私たちはこの傷ついた世界を癒やさなければいけない。私たちが今日見る混沌、絶望、無感覚な破壊は、人々が互いから、環境から感じる疎外の結果だ。マイケル・ジャクソン

私たちは疎外されています。

 

幸福や自己充実感はあなたのものだ。資本主義はそう約束します。

 

「アメリカン・ドリーム」
「良い大学に入って大企業に就職」

 

しかし、 現実には悲惨な人生ばかりです。

私たちの周りを見渡せば、現実はあまりにも乏しい。離婚率、幼児虐待、DV、アルコール依存、薬物乱用、ストレス、メンタル・イルネス、そして多くの人が感じる孤立とフラストレーションの全般的な感覚から、その反映を見てとることができる。

 

自己実現や意義のある生活、充実した生活を達成するよりも、多くの人々はある程度の疎外を感じており、ある者は自己や自分の境遇のもつ幻想によって自己欺瞞の形態をとっている。

 

「充実した人」はテレビやインスタグラムの中にしかいません。つまり、演技か自己欺瞞のどちらかです。

 

現代では、だれもが疎外感に苦しみながら生きています。

それが現実です。

 

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New York Movie by Edward Hopper

 

今日はカリフォルニアはノートルダム・ダムナール大学のPhil Gasperという学者の記事「Capitalism and Alienation」が良かったので要約しつつ紹介します(上引用文も同記事から)。

 

疎外とは何か。どのように疎外を解決していけばよいか。マルクスの考えを見ていきましょう。

 

 

疎外とは何か

「疎外」は英語ではAlienation。直訳すればエイリアン化です。

 

サルトルやカミュなどの多くの哲学者は、疎外は人間の条件であり避けられないものだと考えました。

 

これはマルクスの見方とは異なります。彼は疎外は大部分が階級社会、特に資本主義が生みだしているとした。

 

彼は経済システムを抜本的に再構成したときに疎外を特徴とする社会はなくなると考えたのです。

人間には自由でクリエイティブな労働が必要である

労働は本来喜びであるというのがマルクスの考えです。

 

労働は本来、人生を意義深いものにするクリエイティブな自己表現だった。自由な労働は、人間が完全な人間となるために必要である、とマルクスは言います。

 

労働が私たちにとってつねにそのようなものであれば、私たちの生活は充実した満足なものになると彼は言います。

 

資本主義はこの必要を満たすことができません。なので資本主義は疎外のシステムだとマルクスは言うわけです。

疎外はなぜ生じるか

マルクスは「労働の疎外」を第一に考えています。それが疎外の中心形態だと考えたからです。

 

マルクスが「経済学・哲学草稿」を書いたのは1840年。彼は第一に、工場労働の単調さや残酷さを考えていました。しかし彼がブルーカラーについて書いたことは20世紀初頭のホワイトカラーにも当てはまるーーとPhil氏は社会学者のJuliet Schor氏を引用します。

 

「アメリカ成人の30%が、ほぼ毎日高度のストレスを経験している。また、さらに多くの人々が週に一度か二度、高いストレスを報告している。…アメリカ人は文字通り、死ぬために自らを働かせているーー仕事は心臓病、高血圧、胃腸障害、鬱病、過労、そしてさまざまな病気に寄与する。」

 

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(引用元:http://www.waltzer.net/wageslave/)

 

資本主義において労働はサイテーな代物になるのはなぜか。マルクスはふたつの理由をあげています。

 

労働の細分化  資本主義では生産過程が非常に細かく分断されます。お弁当屋さんは弁当ひとつひとつを自分で作りあげますが、弁当工場では盛り付ける人、ごま塩を振る人、ラップする人、と分断されていきます。細分化は生産性を向上させるために必須ですから、労働者はさまざまな力や活動を失うことになります。

 

資本家が生産手段を持つ 第二の理由です。生産手段ーーたとえば工場や生産機械はほんの少数の資本家の所有物です。こういった状況ではほとんどの人は生き残るために自らの労働力を売るしかありません。つまり、労働者は「他人のために働く」ことを余儀なくされます。そういった労働は、労働者にとってほとんどまったく価値をもたないとマルクスは言います。

 

また、私たちは自分の生活が複雑な官僚機構や経済的なパワーバランスのような、非人格的な権力に支配されていると感じています。究極的にはそれらは人間が生みだしたものですが、私たちにはコントロール不能なわけです。 

四つの疎外

「疎外」についてマルクスは四つの疎外を書きました。

生産物からの疎外

労働者は自分が生みだしたものを自分のものとすることができません。それは資本家のものになりますから。例えば工場でつくられたオニギリを資本家がつまみ食いすることは許されますが、生産者が同じことをしたら怒られるわけです。彼が作ったものなのに、です。

 

こういった状況では、労働者は生産するものに対して関心を失います。ただ彼らの関心は賃金のみとなる。

 

労働の疎外は、第一に、労働が労働者にとって外的であること、すなわち、労働が労働の本質に属していないこと、そのため彼は自分の労働において肯定されないで、かえって否定され、幸福と感ぜずに不幸と感じ、自由な肉体的および精神的エネルギーがまったく発展せず、かえって彼の肉体は消耗し、彼の精神は荒廃するということである。

 

だから労働者は、労働の外部ではじめて自己のもとにあると感じ、そして労働の中では自己の外にあると感ずる。

(「経済学・哲学草稿」より)

 

生産活動からの疎外

資本主義下の労働者は、自分の生産活動から疎外されます。彼らは自分が何をするか、計画を立てたり、目標を設定することができません。

類的存在からの疎外

これはやや難解です。

 

「類的存在species-being」とは、人間の種としてのあり方のことです。元々はフォイエルバッハの考え方です。

 

人間が他の動物から区別されるのは、私たちが自由に意識的に創造的な仕事をすることにある。しかし、疎外された労働においては人間は動物の次元まで落とされてしまうという考え方です。

 

動物は生命活動と切り離すことができません。活動すなわち自己なのです。しかし人間は「意志と意識によって自らの活動を客体化することができる」とマルクスは言います。

 

資本主義下では労働は人間の本性から切り離されるために、「自らの肉体との、外部の自然との、自らの霊的本質との、人間実存との対立を招く」と彼は言います。

労働者同士の疎外

これは上記三つの疎外から起きる疎外です。労働者は互いに疎外しあうようになる。

 

「彼の類的存在との対立は、他者との対立であり、そしてすべての人間の本質との対立である」とマルクスは言います。いじめとかパワハラはその例なんじゃないかと思います。

 

結果として人間が本来の人間から完全に分離してしまう。資本主義における労働の疎外は、やがて自己からも、他者からも、人間のすべての本来的性質からもかけ離れた存在にするとマルクスは言います。

 

思ったよりも疎外は、生全般に適応される広い概念なのですね。

資本主義と疎外

マルクスは資本主義だけに疎外が生じると考えたわけではありません。

 

階級のない初期社会でさえ疎外はあると考えました。初期社会では人間は自然のような外部の力に支配されていました。そして階級社会においてはすべての場合で直接生産者が特権階級に支配されていました。

 

しかしながら資本主義下では疎外が急激に悪化しているとマルクスは言います。現実と潜在的にありえる社会とのあいだのギャップがかつてよりも大きくなっているからです。

 

どういうことでしょうか。私たちはかつてないほどの富と技術を達成しています。かつては国家の維持のためには大多数の犠牲が必要だったかもしれません。しかし、現代ではだれもが充実した意義のある生を送ることが可能です。

 

このことは私たちに想像ではなく、現実問題としてどのような生き方が可能かを示唆します。 そして同時に、現在の労働生活はなにか間違ったもの、あってはならないようなものと感じます。これが資本主義下で疎外が急激に悪化する理由です。

結論:個人の苦しみは社会的なものである

以上マルクスの疎外について見てきました。

 

資本主義社会での疎外は例外ではなく必然です。資本主義は強奪であり、奴隷制であり、鬱病だからです。

 

しかし私たちが疎外感を持つとき、それを個人の問題だと考えてしまいます。

 

現代社会では、エラーを吐く個人を矯正するシステムはひとつの産業になっています。

 

抗うつ剤や抗不安薬。自己啓発書、セミナー、カウンセリング、宗教。そしてアルコール、甘味、ギャンブル、高級車やブランド品の買い物。そういったもので私たちは疎外感を矯正したりごまかそうとします。

 

しかしそれはほんとうの問題解決にはなりません。疎外は個人ではなく社会の問題だからです。 

 

いじめ、鬱病、孤立。社会に馴染めないとか、人生がつまらない。そういった現代の苦しみの原因は社会にあるのです。

 

テレビやインスタグラムのバカを真似してもしょうがないのです。私たちは自分ではなく社会を変えようとしなければいけません。 

 

今日の社会における疎外から逃れるためには、ただひとつの道しか残っていない。前方に退却することだ。
Roland Barthes