齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

ヴィーガンはなぜ間違っているか

人間は雑食です。

 

ヴィーガンという人々についてどう思うでしょうか?

私は、あまり好きではありません。

 

昔は、好きでした。

私もベジタリアンでした(非常に短い間)。

 

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Les Animaux de la Ferme (1974) by Marcel Broodthaers

  

ヴィーガンの中には尊敬できる人もいるのですが、全体として賛同できない点があります。

 

反ヴィーガニズムの主張を見ていきます。 

はじめに ヴィーガニズムとは

ヴィーガニズム(絶対菜食主義)を軽く説明しておきます。

 

ヴィーガニズムは、特に食習慣における動物性の製品を用いることを拒絶すること、また動物の商品化に拒絶することに関連する哲学。(Veganism - Wikipedia

 

ようはアニマルライツ(動物の権利)への配慮や、環境意識などの理由によって、動物性食品を一切とらずに、植物性の食品だけ食べて生きていくことです。

 

また、毛皮のコートや羽毛布団、動物実験を行った化粧品など、動物性商品を消費しないことも意味します。野菜だけ食べるベジタリアンとは、「意識の高さ」において違うといえます。

 

ヴィーガニズムは消費者運動である

アナーキストのPeter Gelderloos氏が「ヴィーガニズムは消費者活動だ」と主張していたので読み解いていこうと思います。

人間は雑食である

人は自然状態ではどのように生きてきたでしょうか。そのことを考えるとき、イデオロギーと無縁ではいられません。

 

資本主義の信奉者はだれもが利己的に競い合って生きてきた、と言いますし、共産主義者はだれもが平等だったと主張します。

 

で、ヴィーガンは人間は「菜食主義者だった」と主張することがあります。 

ヴィーガンは原始的な人々においては自然と協調しヴィーガン的な食生活をしていたと主張する。これはライフスタイルが消費選択であるとする見方の誤りから生じている。

私たちは生活を自由に選び取れるという消費者主義に浸かっています。しかし現実にはそんなことはありえない。私たちのライフスタイルは、環境に支配されていました。

自然と協調的な社会は、自然環境のなかで維持可能な生活によって決定づけられる。言い換えれば、消費者主義の外では、地域の環境条件に従ってライフスタイルが決まるのである。ヴィーガンのライフスタイルは率直に維持困難である。食料、燃料、衣類の原料や道具が輸入されなければいけない。言うなれば、人類にとって動物を殺すことが環境的に維持可能だったのである。

肉は重要なカロリー源でしたし、毛皮や骨は貴重な資源でした。

動物を殺して食べることを悪だとする自然にもとづく倫理性や道徳性は存在しない。自然では、殺して食べることは尊重すべきことであり、根源的な行為であり、自然のサイクルの必要な部分である。これを悪だとみなすことは、驚くほど疎外された、文明化された視点である。この視点は、動物たちを権利を必要とする準市民として扱うことによって、形而上的なレベルで動物を家畜化する。ファックなクソだ。

アニマルライツを全否定ですね。

食肉は食糧危機を促進するか?

食肉に必要な土地資源は膨大であり、菜食主義にシフトすることで食糧問題を解決できると主張されます。そう物事は簡単ではないとPeter氏は主張します。

ヴィーガンはまた産業資本主義では食肉の消費は世界の飢餓を生むという。家畜を放牧するためには餌として大量の資源を消費するからである。

 

これは産業農業においては当てはまるが、しかし他の状況ではそうではない。パーマカルチャー(永続可能にデザインされた農場)では、鶏を農場に導入することで食料供給が増大する。鶏は人間の食べない切れ端や雑草を食べ、虫を食べ、土壌を通気させ、糞によって肥沃にする。また、生産する卵と、必要ではないが肉によって、食糧生産を向上させる。生態系は動物なしでは完成しないのである。

放牧は維持可能な農業において必要な仮定だということです。ヴィーガニズムの食生活はむしろ非効率だとPeter氏は主張します。

ヴィーガンは政治的な効力を持たない

「ヴィーガニズムは政治的立場としてしばしば盲目的で、反生産的である」とPeter氏は言います。これには同意します。ヴィーガンが世の中を変えて、動物と人間が協調的に生きる社会が実現すると信じる人はいるでしょうか?

 

問題の核は、ヴィーガニズムは消費者活動であるということである。ヴィーガニズムの究極目標は、資本主義と人類の文明を、ある個人の消費者としての特権を行使することによって変えようとする試みである。これは不可能なアプローチだ。 

「肉を食べない」ボイコットはまったく無意味である

ヴィーガンは肉を食べなかったり、動物実験を行う化粧品などを用いなかったりするのですが、それだけではまったく効果がないというのがPeter氏の主張です。

政治戦略としてヴィーガニズムは効果的だろうか。(驚くべきことに、ヴィーガンがこの質問を自らに問いかけるのをほとんど聴いたことがない)。ボイコットでは業界を潰すことはできない。努力が効果をもたらす部分的勝利すら私は知らない。

「肉を食べることはやめる」ことはほとんど普及しようがない。

もっとも成功した例は南アフリカのシェルオイルである。このキャンペーンでは、人々に石油消費を抑える必要がないことに注意すべきだ。

 

日本ではあまりないことですが、先進国ではヴィーガン向けの食品が多く存在します。ヴィーガンはそれらを喜んで消費しています。

 

ヴィーガンはヴィーガン向けの食品を消費し、市場を拡大することによって肉食を減らすことができると考えているようです。しかし、肉の消費量は減りません。

ヴィーガンとなることは今日では簡単である。資本主義があなたの望みを満たすから。しかし工場で閉じ込められた動物たちが殺される数は減っていない。

 

ボイコットとしてのヴィーガニズムはうまくいかない。資本主義では、需要の低下は価格を低下させ、消費量は増大する。ここ十年あまりでヴィーガンは爆発的に増大したが、肉の総消費量は減っていないし、実のところ上昇している。  

 

結局、市場原理は肉の需要が下がれば安く供給するだけですので……。

ヴィーガンは動物を殺さないか

結局、いくら肉を食べなくても、ヴィーガンは動物たちを殺しています。

私のベジタリアンの友人たちは自らの食事法のために動物たちを殺す責任を負わなくて済むという。しかし彼らは産業的に栽培された植物を食べ、プラスチックを用い、石油燃料の輸送に依存し、石油にせよ風力にせよ核にせよ水素にせよソーラーにせよ、電力発電は精肉工場よりも動物を殺すのである。あなたは資本主義社会においては動物を殺し、環境を破壊せずには生きていけない。

動物虐待の根幹は資本主義にある

ヴィーガンが成功して、豊かな国ではだれもがヴィーガンの食事法をとるようになったとする。何が起きるだろうか? 食肉産業は破滅するだろうが、他の産業や資本主義は依然として続くのであり、みんながその他の搾取や虐待は続く。 

まずPeter氏は重要な前提として、動物をひどく扱っているのは資本主義であると指摘します。 

 

多くのヴィーガンが、出荷する酪農家や、精肉工場、スーパーマーケット、ステーキ屋に対して抗議活動をしているわけです。

 

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そんなことは枝葉であって、意味ないよ、と言います。

食肉の生産はたしかに残酷だが、それは搾取にたいしてもっとも心なく、感情を抱かない「市場の論理」が行使している。たしかに精肉業界の労働者はサディズムの傾向があるが、これはマシンとして行動しなければならない人間の必然的な心理的反応である。

私は以前、2chで屠殺場で働く人のスレを見たことがありますが、ひどく精神的に参っているようでした。彼らを責めることにまったく意味がありません。彼らもまた、苦しむ労働者に過ぎないからです。 

イデオロギーとして、ヴィーガニズムは資本主義と環境を理解することに失敗している。動物や地球を守るためには、資本主義が廃止されなければならない。消費者の選択的サボタージュによるあいまいな力を強調することは、資本主義と環境破壊に対する戦いを妨害することになる。 

結局、資本主義をなんとかしない限りは動物への虐待はどうにもならないということです。

 

これは自然な考え方です。だって、労働者が虐待されていますから。人間が同じ人間に虐待されているのに、動物が人間に虐待されないことはないでしょう。

 

なので、Peter氏は「ヴィーガンが肉食家の環境活動家はありえないという嘘を広めることは、資本主義の環境活動家はありえないという真実を抑圧する」と主張します。

 

動物の権利を守るのであれば、明らかに、まず同じ人間の同権を実現することから始めなければならないでしょう。

ヴィーガニズムは宗教である

個人的に非常にしっくりきたのが、ヴィーガニズムは宗教だ、という記述です。

 

私はヴィーガニズムは自由化の戦略というよりは、宗教に近いものだと考える。

 

……ヴィーガニズムは何が万人にとって適切かを主張することによって、個人的な、感情的な思慮を棄却する。これは宗教の特徴だ。

 

第二に、ヴィーガニズムは論理的ではなく、特定の歴史的コンテクストにおける道徳的禁忌を普遍化し、神話化する。

 

第三に、ヴィーガニズムは宣教師である。動物の置かれている環境、精肉業界、環境破壊に対する情報を広めることは、尊重すべきだし、必要なことだ。唯一の解決策が、人々があなたの戦略とライフスタイルを真似すべきだと主張することは、キリスト教的である。

 

結論 ヴィーガンは動物を救わない

以上、辛辣な記述が続きましたが、Peter氏は元ベジタリアンです。

 

私は個人的に、8年間菜食主義者だった。その最期のあたりでは、ヴィーガニズムに近づいていた。しかし突然雑食に戻った。それは白人ヴィーガンの人種差別的排除を目撃したからである。

 

そして家畜化された哺乳類の肉は現在も食べていない。極めて個人的なレベルだが、私は感情的な関係を築けるような動物を、殺すことを目的として育てることはできない。私は鳥や魚であれば食べるために殺すことができる。彼らは私を他人から認識することができないからである、。……私はまた、野生の動物を狩ることは尊重すべきだし、感情的に健康的だと思う。

 

ちなみに、私も元ベジタリアンです。^^; そしてPeter氏の食肉のスタンスと同じ。私も、牛や豚は食べないが、鳥や魚は食べるスタイルです。自分で「締める」ことができるから。

ヴィーガンは本当に動物のことを考えているのか?

ヴィーガンの気持ちはわかるし、何も考えずに肉を食べる人よりも好きです。しかし、結局ヴィーガンとはキリスト道徳と消費者文化の融合であるように思えます。

 

 

彼らは動物のことではなく、自分のことを考えています。

なので、動物は救えません。

 

…… 

 

 

ヴィーガンはなぜ牛や豚を守るが、ゴキブリは守らないのか? 動物を殺すことに反対し、植物の殺戮には反対しないのか? 

 

こういったヴィーガンの問題点も批判したかったのですが、長くなったので今日はこれまでです。