齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

天才が孤独な理由

天才はいつも独りぼっちでいます。

 

去年、なぜ知性ある人や思想家は孤独なのか? ということを書きました。

 

「なぜ天才は孤独なのか」について、もうすこし調べたので書こうと思います。

 

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天才は人間の悪意に敏感である

私はほとんどの人より賢いと自慢する気はない。ただ、賢い人々が孤独である最大の理由は、すぐに人々の邪悪さを感じ取るからだ。

 

考えてみよう。味方のふりをした敵だとわかっている人々と一緒に居続けることは難しい。そして賢い人々は、ほんとうの友人と友人のふりをしている人々をすぐに見分ける能力を持っている。

 

さらには、人生はほんとうの人々に囲まれている方がはるかに容易である。だから、生活において少数の人間と関わることは、手間や手続きが減ることになる。それが賢い人々が孤独である最大の理由である。

 

そして、賢い人々はまた、友人たちにある程度の知的レベルを求める。残念だが、その知性は多くの人間がもっているものではない。

 

だから、正直に言うが、賢い人々は物事の現実を知っているから孤独なのだ。

(Gary Miller氏のQuoraの回答 Do-smart-people-feel-lonelier) 

 

わかります。賢い人って、「この人とはわかりあえないだろう」と思ったときの見切りが早い。

 

そして「味方のふりをした敵だとわかっている人々と一緒に居続けることは難しい」。この意見にはまったく賛同できます。

ふつうの人は天才に憎悪を抱く

ディオゲネスは昼間に街なかを灯りをつけてうろつき、「人間を探しているのだ」と言いました。

 

私はもう30歳なので、多くのひとびとと関わってきました。でも、知性そのものの差を感じることはあまりありません。そのかわり、関わる人が囚われていると感じることは頻繁にあります。

 

囚われている――とは自由ではない、ということです。

  • 私は自由にはなれないのだ。
  • 自由に生きることは恐ろしい。
  • 世間の価値観や、規則や命令に従うことは大切なことだ

このような、いわば奴隷的な考え方をしている人。

 

目上の人や規則には絶対忠誠。芸能ニュースやグルメの話ばかり。順応主義的な生き方(良い企業に入って結婚してマイホーム、お受験)が絶対だと信じる。

 

人口の大半はこういった人々です。「大衆」の特徴と言っていいでしょう。

大衆から離れる理由

第一に、大衆から得るものは少ないです。楽しみ、共感、知識、広さや深さに欠けます。関わるメリットはあまりない。

 

第二に、大衆は退屈なだけではなく「怖い」存在です。というのも、この手の人は非常に攻撃的だからです。もちろん、彼らはふつう温厚です。でも知性ある人に対しては……。

 

なぜか? 知性ある人は自由にふるまいます。智慧は自由。知性ある人はしがらみや規則に縛られず、生きたいように生きます。 

知性のない人は同僚や学友などの「猿真似」をすることが多いのに対し、知性がある人はそうしないことが可能だ。(頭のいい人はなぜ優しいのか - 齟齬

大衆のような順応主義者はそういう人を嫌います。そして攻撃します。

  • 「あなたはいまのままではダメだ」
  • 「自分を変えなければこの先やっていけない」
  • 「辛いかもしれないが、あなたのためなのだ」

表向きは善意の形をとります。攻撃者も善意と信じています。かつては同じ「善意」によって彼らは囚われの身になったのですから。

 

でも知性ある人は知っています。こういった発言の根底にあるのは憎悪だということを。「私が不自由な生活をしているのに、解放されているのは許せない」。つまり「不平等」だと感じるのです。

 

なので……彼らは、自分が解放されることよりも、自由に生きている人を縛りつけようとします

 

これが、無知の怖いところです……。だって、他人を縛りつけるよりも、自分が解放された方が良いでしょう? でも、無理なんです。彼らは自由を恐れていますから。

 

無理もない話です。自分のいままでの生き方をすべて否定するなんて、特に年をとった人にはあまりにも大仕事ですし、耐えられない苦痛が伴います。 

 

ともあれ、知性ある人はこういう大衆から極力離れることを望むようになります。

量産される大衆

現代社会では大衆が量産されます。

 

テレビをつければ愚者が写る。ただの愚者ではなく「成功した愚者」です。日常的にマスメディアに触れている人は、それらに憧れてだんだんとバカになります。

 

また、学校教育では「お前はバカだ」と教え込まれます。質問に答えられないお前はバカだ、教科書にあることを知らないお前はバカだ。教育を通じて、考えることはだれか権威的な学者なり官僚がしてくれるのだと信じます。

 

こういった痴愚化は、印刷技術とそれに伴う教育/マスメディアの発達以前にはなかったでしょう。(なので近代以降、リースマンやオルテガのような哲学者が大衆を問題視するようになった)。

 

ともあれ現代では大衆だらけです。知性をもって生まれた人でも、大部分は大衆化される。

結論:天才の孤独は必然である

  • 天才は人の悪意にすぐ気づいてしまいます。
  • 大衆は天才にとって退屈であり、脅威でもあります。
  • 大衆はますます増加しています。
  • なので天才は孤独に逃げる。

 

現代では、孤独は一種のタブーになっています。

 

ひとりで生きることは異常であり、病的であり、不幸になると教えられています。

「いいかい、孤独がいけないという警告は少なくとも二十五万回はきかされてきたんだからね」
「われわれは人びとが孤独を憎悪するように仕向ける。そして、孤独を経験したりすることがほとんど不可能なように人びとの生活を設計してある。」(「すばらしい新世界」ハクスレー

孤独は実効的に禁じられてもいます。私たちは職場やクラスの人間関係に強制的に閉じ込められます。そこから逃げることは許されない。だから、大衆とうまくやることが知性ある社会人や学生の重要な使命となる。

 

でも、職場や学校の人と仲良くすることがはたして本当に良いことでしょうか? 凡百の、操作されたひとびとと協調的にやるよりも、書籍やインターネットを通じた賢人――「本当の人間」とつながりをもった方がはるかに有益ではないでしょうか?

 

答えは明らかです。人生の時間は限られている。関わりたい人と関わって、嫌な人とはかかわらない。 

 

そしてなにより、「内なる自己」の声に耳を傾けること。

 

独りでいられる能力の発達は、脳がその最良の状態で機能するためにも、個人が最高の可能性を実現するためにも必要である。人間は容易に自分自身の最深部にある要求や感情から遊離してしまう。学習、思考、革新、そして自分の内的世界への接触を維持すること、これらはすべて孤独によって促進されるのである。(「孤独」アンソニー・ストー