齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

国家は戦争を欲望する

「戦争は人間相互のあいだではまったく起こらず、国家間でのみ起こる」ルソー

 

支配者はつねに戦争をしたがるものですが、それは巨大なメリットがあるからです。

  • 「戦時中だから」と重税を課して富を収奪し、人々を奴隷のように私物化することができる。
  • 言論統制を行い、人心を管理できる。
  • 反逆者を合法的・非合法的に抹殺できる。
  • 戦争に勝った場合の資源の利益。

しかも敗戦によるリスクは小さい(昭和天皇のように逃げ切れます)。

 

というわけで戦争は、権力者にとっては非常に望ましいものです。

 

ルソーが戦争批判をしていたので引用してみます。以下はルソー・コレクションの「文明」編からの引用です。

 

 

 

自然状態には戦争がない

まず、ルソーは自然人のあいだには戦争はなかったと主張する。 

人間は本来の性質から平和を好み、臆病であり、ほんのわずかな危険に出会った場合でも、最初の反応は逃げだすことである。戦争に慣れるというのも、習慣と経験を積んだためにほかならない。

名誉や利益、偏見、復讐、危険と死をものともせずに立ち向かうことのできるあらゆる情念は、自然状態における人間とはかけ離れたものである。

自然な状態における人々は、外敵に出くわした場合、まず逃げました。

 

野生動物を見ればわかることですが、彼らは危険を察知した場合、とりあえず逃げます。熊のようなフィジカル・エリートでも逃げます。闘争が必要な場合や逃避困難な至近距離での遭遇ではない限り、わざわざ危険に向かうようなことはしません。

 

人間は戦争においてそういうことをします。名誉や復讐によって。これは社会的な条件づけだというのがルソーの主張です。

国家と人間の違い

私たちはしばしば国家と人間を混同するのですが(国家の擬人化)、人間と国家は異なります。

人間の場合には、実際はその同胞とどうしても関係を持たねばならぬ必要はまったくないし、あらん限りの気力をふるい起こせば他人と協力しないでも生活していくことができる。他人の配慮よりはむしろ大地の果実のほうがはるかに必要で、しかも大地はそのすべての住民を養うのに必要以上の収穫物をつくってくれる。

 

……人間の寿命は短く、年齢にも限りがある。その胃袋は財産がふえるようには大きくならないし、情念がいくら高まっても、快楽には限度があり、心情はそのほかのすべてのものと同じく限りがあるし、楽しさを味わう能力はいつも同じである。(p. 184)

 

人間は他者から離れて、自分の力で生きていくことが可能だし、快楽や生存についても有限性がある。

 

一方で、国家はそれと逆である。 つまり、富や権力を永遠に追い求める。

国家は人為的な集合体だから、きまった限界はまったくないし、国家にふさわしい大きさには再現がなく、どこまでも拡大させることができるので、国家は自国よりも強大な国家がわずかでもあるかぎりは、弱小だと感じる。……国家は隣国を犠牲にしてはじめてその勢力を強大にし、充実し、行使することができるが、自国の生存に必要な食料を国外に求める必要がない場合でも、さらに揺るぎない強固さをもたらしてくれる新たな構成員をたえず国外に求める……つまり、人間相互の不平等には自然の手によって置かれた限界があるが、社会(国家)相互の不平等はたえず増大してゆき、ついにはただひとつの社会が他のすべての社会を併合してしまうこともありうる。

 

こういった差異によって、国家は人間とは異なり、無限の権益と拡大を求めるようになるのです。これは企業の関係と似ています。

支配関係の拡大

ある社会(国家)が誕生すれば、それに対立する社会が生まれてゆく。

最初の社会が形づくられれば、その結果かならずほかのすべての社会の形成が行われる。その社会に属するか、またはその社会に対抗するために団結するかせなばならない。真似た社会をつくるか、またはその社会にそのまま併合されるかしなければならない。 

 

他者を支配しようとする権力追求型の集団社会(国家)があらわれた場合、自然のなかで生きているひとびとははじめ、逃げました。「標高」が盾となります。彼らは険しい山脈などに逃げ延びた。

 

国家が肥大化したり、また、土地資源が貧弱な場合、彼らは戦うことを選びました。その場合、国家と同等の力を手に入れる必要があります。これは自然状態の喪失を意味する。

大地の表面はすっかり様相が変わってしまう。あらゆるものを通じて自然は姿を消す。あらゆるものを通じて人為の技術が自然にとって代わる。独立と自然的自由とは法律と奴隷状態とに道を譲った。もはや束縛されていないものは存在しない。哲学者は人間の本来の姿を探し求めるが、そうしたものはもはや見つからない。

 

自然の対照としての「社会」という形態が生まれると、その社会に対して連鎖反応的に社会が増殖していく。そして、社会的空間が地表を埋め尽くしてしまい、「不自然な人間」ばかりになる。

 

まるで伝染病のようです。

戦争はなぜ起きるか

ルソーによる戦争の描写は、痛烈なものがあります。 

支配者の理想は支配の拡大と徹底

まず、権力者たちはなにを望むかについてルソーは以下のように書いています。

王たちの、あるいは王からその職務の委託を受けている人々の念願は、ひたすらただ二つの目的につながっている。つまり、王の支配を、国外に対しては拡大し、国内に向かってはさらに絶対的なものにすることだ。

権力層ののぞみは、支配の拡大と徹底だということです。

 

そんなわけで、権力者たちが何かしようというとき、民衆は悲鳴をあげます。

「公共の福祉」とか「臣民の仕合わせ」とか「国民の栄光」といった立論……こうした言葉は……ただ不吉な命令を告示するだけになり、人民は自分の支配者たちがその国父としての配慮について話す場合は、まず悲鳴をあげる。

 

たとえば……現代日本では、「働き方改革」が「臣民の仕合わせのため」という名目でなされているのですが、民衆は悲鳴をあげています笑

支配者による「民衆」への戦争

たやすくわかる話だが、一方では戦争と制服が、他方では専制政治の進行がたがいに補い合い、奴隷状態の人民のなかからは、ほかの人民を制服するために勝手気ままに金銭と兵士が調達され、逆に戦争は、金銭を搾取する口実と、人民を制圧するための強力な軍隊を常設するというやはりもっともらしい口実を提供する。結局、だれにも十分わかることだが、征服者である統治者は、ともかくその臣民に対しても敵に対するのと同じ程度に戦争を行っているし、勝者の状態が敗者の状態より一段と良いわけではないのである。(強調は引用者)

戦争は自国民の殺害でもあります。

 

この上の記述が明確にわかるのは、「デモサイド(民衆殺戮:wikipedia)」という概念です。

 

戦争でもっとも日本人を殺した主体はなにか。アメリカやロシアではなく、中国人でもなく、日本の支配層でした。

(参考:政府は最大の殺害者である - 齟齬

戦争と官僚たちの利益

重臣たちにとっては、自分たちが必要とされるために、自分たちがいなければうまく切り抜けられないような窮境に統治者を追いこむために、また必要ならば、自分たちの地位を失うより国家を滅ぼすために、戦争が必要である。国家の緊急事態という口実で人民をいじめるために戦争が必要である。自分たちの手下に地位を与え、取引で金を儲け、ひそかに無数の忌まわしい独占を行うために戦争が必要である。自分たちの情念を満足させ、おたがいに仲間を追放するために戦争が必要である。宮廷で自分たちに反対する危険な陰謀が企てられるとき、統治者の心をしっかりととらえて宮廷から連れだすために、重臣は戦争が必要である。

私はこれを読んでびっくりしたのですが。「重臣」を「官僚」とおきかえると、怖いぐらいWW2中の日本です……。 

まとめ

  • 戦争は国家に奉仕する。
  • 戦争の主体は国家である。
  • 国家はその民衆に対して戦争をしかける。
  • そして、国家がなければ戦争は存在しない。

もちろんルソーはアナーキストではなく、契約に基づく国家(社会)像を理想としています。また、彼の自然状態の主張は考古学的には批判できます(原始社会にも戦争はあったでしょう)。

 

ただ、彼の主張はアナーキスト的に共鳴できるものです。

 

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Burning ship (the episode of the Russian-Turkish War) - Ivan Aivazovsky

 

私たちは、戦争がだれのためになされてきて、今後なされるか、しっかりと考える必要があるでしょう。  

補遺:日本人は戦争を望んだか

よく、「日本人はかつて戦争に熱狂した、反省しなければならない」とか言われますが、これはひどい考え方です。

 

戦場なんてだれも行きたくないですし、プロパガンダ洗脳や同調圧力などの間接的な強制力が働いていただけです。そうでなければ、だれが「国家」のために自分の命を投げ捨てようと思うでしょうか?

 

第二次世界大戦は(現在のエスタブリッシュメントに連なる)政官財+皇の権力者が、戦争でさらなる権力と富を得たかったから起きた戦争でした。 

 

当時の民衆の声に耳を傾けてみましょう。

「こんなに骨折つて子供を育てても大きくなると天皇陛下の子だと言つて持つて行かれて仕舞ふのだもの嫌になつて仕舞いますよ、子供を育てても別に天皇陛下から一銭だつて貰ふ訳でないのに大きく育ててから持つて行くなんてことするんだもの天皇陛下にだつて罰が当たるよ」ある母親 

「俺は日本の国に生れた有難味がない、日本に生れたことが情無く思ふ斯様な事だつたら俺は天皇を恨む。兵隊は人殺ぢや、青訓の生徒は人殺の卵ぢや、兵隊は戦地で天皇陛下万歳と言つて死んで行きよると言ふがそうぢや無い、必ず恨んで死による」四十九歳の農夫、政府の農業政策について(詳細

 

不敬罪にあたるためこういった言説はあまり残っていません。

 

しかしこれらは合理的で、当たり前の主張です。洗脳されてない民衆のあいだでは共通する考え方だったでしょう。

 

当たり前ですが、戦争はクソです。戦争は人間の闘争本能とは無縁であり、支配者が自分の都合のよいように自国民を殺すプロセスです。