齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

技術は自由を奪う

「知識は良いものだ」「科学は人類の希望だ」というような、漠然としたドグマが存在する。たしかに知識は良いものだが、それは自由を放棄してまで手に入れなければならないほど高価なのか?

私たちは「技術の発展」を無条件に良いものと考えていますが、実際には私たちの自由を奪っているのではないでしょうか。技術は人生をつまらない、苦痛の多いものにしているのかも?

 

またテッド・カジンスキーから引用していきます。

 

今回は「ユナボマー・マニフェスト」ではなく、1971年のエッセーからです(Progress versus Liberty―原文)。内容としては「マニフェスト」と似ている。

 

 

 

人々の自由を奪う技術の例

まずカジンスキーは、私たちを管理し、操作するような技術の例をあげています。

イメージとプロパガンダの技術

プロパガンダとイメージを生みだす技術。この文脈では私たちは映画、テレビ、文学の役割を拒絶してはならない。それらは一般的に芸術か娯楽とみなされるが、しばしば意図的に特定の視点を用いることによって、プロパガンダとして奉仕する。意識的にそういった視点を用いていなくても、それらは視聴者や読者に特定の価値観を内―規範化することに奉仕する。

 

私たちは過去の偉大な作家を称賛するが、客観的にものごとを考えるひとならば、現代の芸術技法がより技術的に構成された映画や小説を発展させ、もはやシェイクスピアよりも強力な心理的潜在力を有することを認めるだろう。最良の作品は視聴者を非常に強力に掌握し、影響を与えることができる。したがってその価値観を広めることにおいて効果的である。また、今日の平均的な人物がよく言われるように「映画の中に生きている」人が増えていることも注意すべきである。ひとびとは自発的な活動に参加するよりも、記録されたエンターテイメントに莫大な時間を費やしていっている。過剰密度や法律、規制が自発的活動の機会を削減してゆくにつれ、娯楽の技術が発展し記録されたエンターテイメントの魅力が増すにつれ、人々は大衆娯楽の世界のなかに生きていくと想定できる。

 

文化はひとびとに特定の価値観を与えるようにできています。たとえば、恋愛(モノガミー)は、勤勉な労働は、家族(核家族)はすばらしいというような。

科学的教育

子どもの感情的発達を「指導」する教育者たちの間では、教育に対する科学的な態度の重要性が高まっている。もちろん、教育者はつねにいくらか生徒たちの態度を形づくろうとしたのだが、以前までは彼らは制限された程度しか成功しなかった。それらの方法が非科学的だったからである。教育心理学がこのことを変えた。 

 

その他

  • オペラント条件づけ。*1B.F. Skinnerら以降の方式のもの。(もちろん、これは2.と完全に分けられるわけではない)
  • 電極と「chemitrodes(訳注:特定の脳領域に一定量の薬物を放出する埋め込み装置)」の挿入を介した、感情の直接的な心理コントロール。(Jose M.R. Delgadoの「精神の心理コントロール」を見よ)
  • バイオフィードバック訓練*2。Joseph Kamiyaら以降の方式もの。 
  • 「記憶ピル」やその他の薬が記憶力や知性を高めるために用いられると想定される。
  • 遺伝子操作
  • 監視カメラなどの監視装置

時代的関係かもしれませんがよくわからない単語ばかりです。

 

脳内デバイスはテッドが執筆した半世紀後の現在でも用いられていないですが、精神を操作するような医薬品はますます進化し、普及しています。 

少数者に支配される技術

技術が「私たちのもの」であることは、実際には少ない。

機能的に重要な多くのデバイスはコストと大きさの点で平均的な人間の所有物とはならない(コンピューター、テレビの放送装置、ジェット機)。これらは企業や政府のような大組織によって、エスタブリッシュメントの目的を促進させるために用いられる。

 

彼の物理的環境だけではなく、仕事の内容や娯楽も含まれるが、ある個人をとりまく環境は、個人自身というよりは、大組織によって創造され、管理されるようになっている。 

テッドの時代と異なり、コンピューターは普及しました。

 

しかし、私たちは大半の技術を直接的/間接的に利用することはできても、管理や操作をする権限をもたないのは事実でしょう。「原発」はそのひとつの例です。 

技術は「善意」で拡大する

カジンスキーの思想でおもしろいところは、技術は他者を支配しようとする邪悪な意志によってではなく、またそれ自体の自己増殖的な性質でもなく、ひとびとの「善意」によって拡大しているということです。

問題はそう簡単ではない。技術は良い目的に用いられるからである。技術はたしかに善を促進し、悪を駆逐してきた。

 

しかし、「善」や「悪」はもちろん社会のメインストリームの解釈である。言いかえれば、技術は社会のメインストリームにその価値観を普遍的に課すことを可能にする。このことは、権力追求のスキャンダラスな陰謀ではなく、人々が誠実によいことを行いたいと思い、自由を信じている人々によって行われる。しかし彼らの自由の概念は彼ら自身の価値観によって形作られており、あなたの価値観や私の価値観と同じである必要はない。

 

自動車は便利ですが、それを望まない人々の生活を苦しめることになります。モータリゼーションは自動車なしでの生活を不便にし、騒音や公害で人々を悩ませる。だが、自動車の普及は「良いことだ」とみなされるわけです。

技術を広める装置としての学校

学校は子どもたちに「クリエイティブであれ」と教えますが、それは子どものためではなく社会のためです。

子どもたちは勉強する代わりに、クリエイティブで、好奇心が強く、科学や技術に感謝するよう教えこまれる。また、彼らは非慣例主義的nonconformityであれとさえ教え込まれる。

 

しかし無論このことは単なる無軌道の非慣例主義ではなく、クリエイティブな非慣例主義である。クリエイティブな非慣例主義は、社会の望ましい結果に直接的に向かう。  

日本でも個性を重視する教育がなされましたが、結局非常に限られた範囲の「個性」しか認められませんでした。

 

このシステムは非常に効果的であり、教師が望む以外の子どもはほとんど現れなくなった。教育制度は心理的強制の形態となっている。

 

操作(manipulation)と、「指導(guidance)」や「感化(influence)」の間に明確な線引きはない。感化が非常に効果的になり、ほとんどの場合に望ましい結果をもたらすようになったとき、それはもはや感化ではなく強制である。したがって科学が技術を発展させるにつれ、発信は強制に進化してゆく。

 

テッドがたびたび主張することは、学校が科学的技術(心理学など)を採用していくにつれ、権限が非常に強力となったということです。

 

たとえば昔は体罰が当たり前でしたが、これは科学的には適切ではないとされる。教え諭すことが効果的とわかり、結果的に子どもたちは「より適切に、効果的に」操作されるようになりました。

 

「完全なインフルエンスは強制である」。示唆的な文章だと思います。

まとめ ――自由か、技術か

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Compression to Purple, 1965 - Max Bill

技術の役割と自由との関係をまとめよう。第一の技術の効果は、社会の権力を集合的に高めることにある。さて、そこには多かれ少なかれ無数の価値判断が存在している。

 

例えば、人はセックスに対してピューリタン的であるべきか? 雨は夜に降るべきか日中に降るべきか? 社会がそのような状況に権力を求めるとき、一般に社会的権力はどちらか一方を正しいとみなす。これらの社会的な権力は社会的機械をもちいて、私たちの選択を普遍的なものとして課すことができる。たとえば、社会は子どもたちを形作ることに成功しており、セックスに対してピューリタン的な態度を示す子どもがほとんどいないまでになっている。また社会は天候技術を雨が夜にしか振らないようにするだろう。

 

このように技術は世界に存在する可能性を狭め続けている。最終的な結果として世界にはたったひとつの価値観の体系しか存在しなくなるだろう。

テッドの主張の根幹は、自由が繁栄すれば、技術は遠のく。技術が繁栄すれば、自由はなくなるというものです。

 

科学や技術といった概念は、現代ではもっとも神格化されていると言ってもいいでしょう。技術が発展すれば人々は幸福になり、自由になれると考えられている。しかしテッドは、技術はひとびとを管理し、自由を奪う方向に働くと主張する。

 

 

現代では私たちは事実上技術から逃れることはできなくなっています。それでも、技術を遠ざけることによって、相対的な自由を得ることが可能です。

 

私たちは日々の生活において、技術か、自由か、の選択を迫られているとも言えるでしょう。

 

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*1:オペラント条件づけとは、報酬や嫌悪刺激(罰)に適応して、自発的にある行動を行うように、学習することである。行動主義心理学の基本的な理論である。(wikipedia) 

*2:バイオフィードバックは人からの脳波、筋電図、心電図、容積脈波、皮膚発汗、体温などによる出力を画像や音など視聴覚等で感知できる形態への変換し、当人に対して再出力する。 この情報をもとにリラックス状態など体の状態を希望する方向へ導くトレーニングを行う。

疼痛管理、ストレス管理、不整脈、頭痛、てんかん、自律神経失調、便失禁、気管支喘息,高血圧などの治療やスポーツや武道などの成績の向上に活用されている。(Wikipedia