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社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

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一次元的人間とはなにか―マルクーゼと資本主義

マイホーム、自動車を求めて働く――「普通に」生きていても人生がつまらない理由

「人々は自らを自らの商品のなかで認識する。彼らは自動車、ステレオセット、二階建ての家やキッチン設備のなかに魂を見いだす」(「一次元的人間」)

 

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 もっとも資本主義を強烈に批判したのはマルクスです。

 

彼は資本主義社会の「労働」に焦点をあてました。ひとびとが労働から疎外されることによって、生きていてもつまらなくなってしまう、と言った。

 

マルクーゼの主張はそれに加えて、資本主義社会における「消費」がひとびとを縛りつけていることを指摘しました。消費者主義consumerismが人間の魂を奪っていると。

 

よく、資本主義の擁護者はいいます。「世の中にはさまざまな商品があって、なんでも購入することができる。資本主義を批判するなんてバカバカしい」。

 

マルクーゼはそれに対して、「商品の購入(消費)こそが人間を不幸にしている」と言いました。

 

生産活動の外の時間――消費活動や政治活動などのプライベートな領域において、私たちは「自由に」生きることができていると考えています。が、実は文化などによって管理され操作されているのだ、というのが彼の主張です。

 

マルクーゼ「一次元的な人間」の概要

マルクーゼは1964年に、「一次元的な人間――先進産業社会におけるイデオロギーの研究(原題:One-Dimensional Man: Studies in the Ideology of Advanced Industrial Society )」を出版した。

 

タイトルの「一次元的人間one dimensional man」とは、一行で書けば「言説、想像力、文化や政治に対する理解やパースペクティブが、支配秩序に適した、平板である人*1」のこと。

 

マスメディアや学校教育、大量生産大量消費が成立した近代以降に生まれた画一的な人々であり、リースマンやオルテガの指摘した「大衆」とかなり重なります。

 

私はまだ「一次元的人間」を読んでいないのですが、以下、Wikipediaを参考に概要を書いていきます。

 

マルクーゼは消費者主義を強烈に批判した。消費者主義は社会コントロールの形態だからである。

 

「私たちの社会は民主主義だ」と主張される。しかし、実際には少数の人々による権威主義社会である。「幸福のために購入する」という選択肢しか与えないことによって、私たちの自由な認識を専制する人々による。

 

この「不自由」な状態においては、消費者は生存欲求を満たすため以上に、必要以上に働くような非合理的な行動を示す。心理的に破壊的な影響を無視し、廃棄物や環境破壊を無視し、物質的商品を介した社会的コミュニケーションを求めて。

 

新しい商品を創造し、古い製品を捨てることを求め、経済を促進させ、より多く働き、より多く消費することを求めることはさらなる非合理である。

 

個々人は自らの人間性を失い、産業機械の道具となり、消費者機械の歯車となっている。加えて、広告が消費者主義を加速する。広告は社会的な態度を崩壊させ、大衆に幸福は購入できるものと教え込む。この考え方は、心理的な損傷を与えるものである。

 

消費者のライフスタイルのカウンターとなる、代替手段がある。反消費者主義はあらゆる不必要な消費を捨て去り、同時に不必要な労働や無駄遣いを拒絶するというものである。しかしこの代替手段も複雑なものである。すべての商品が、実際に必要なものでさえ広告によって介入を受け、商品化されているからである。

 

私たちは「何かを買えば幸福になれる」と信じているわけですが、実際にはそんなことにはなりません。

 

10万円のiPhone Xを買ったところで、数年で魅力のないロースペック・スマホとなります。

 

一次元的なひとびとは、次第に満足できなくなり、最新の20万円のiPhone 20(?)を買うわけです。彼らにとって、商品がアイデンティティの一部だからです(マルクーゼに言わせれば、彼らの存在は商品の内部にとりこまれているのですが)。

 

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イラスト by Steve Cutts - consumerism - YouTube

 

結果的にひとびとは、消費者的生活を維持するために必要以上に働くことになります(日本人のよう?)。労働と消費のシーソーで生きていく一次元的人間は、「幸福は金で買える」と信じ込まされているのですが、労働力と生命を資本に捧げるよう管理され、操作されているわけです。

 

「不必要な労働や無駄遣いを拒絶せよ」とマルクーゼは言うのですが、まさに現代の日本に当てはまる指摘です。
 

マルクーゼと資本主義 

Wikipediaを読んでいたら(wikiばかりですが……)マルクーゼの資本主義に対する考え方が書かれていたので翻訳してみます。

 

マルクスは資本主義が人間を搾取していると信じていた。労働者たちが疎外され、非人間化されると。マルクーゼはこの考え方を拡大していった。彼は資本主義と産業化は労働者たちを、彼らの生みだすものの付随品とみなすようになった。

 

「一次元的な人間」においてマルクーゼは次のように書く。「人々は自らを商品のなかで認識する。彼らは自動車、ステレオセット、二階建ての家やキッチン設備に魂を見いだす」 。

 

つまり資本主義社会においては、人々が、自ら買う商品の延長物となり、このことが商品が人間の精神と肉体の外延とさせる。大衆産業社会では、人々は完全に管理され操作される。大量生産大量消費社会では、個々人の労働者は単に商品を購入し、完全に商品化された生き方をすることになる。現代資本主義は、人々が商品を消費するように誤った必要と認識を生みだす。一次元的人間に対し、一次元的な社会は人々にニーズを与え、その内部に閉じ込める。

 

もっとも重要なことは、消費者主義の圧力が、労働者階級を資本主義システムに完全に統合させたということである。政党や労組は、完全に官僚化され、否定的な思考や批判的な反応の能力は急速に落ちていった。労働者階級はもはや、革命的な変化を与える能力を持つ、破壊の潜在力をもった存在ではなくなった。

 

結果として、労働者を革命的な先人と見るのではなく、マルクーゼはラディカルな知識人と一次元的な社会に取り込まれていない人々に期待を抱いた。つまり社会の辺縁に存在する、少数民族や有色人種、失業者や無職のひとびとである。これらの人々の生活水準は耐え難い状況や制度の終結を要求する。彼らの反逆は、彼らが想像せずとも革命的である。

マルクーゼは資本主義の支配体制を維持する上で、消費者主義が巧みに機能していることを描きだしました。日本でも政党や労組に期待している人なんて稀でしょうし、大半の労働者階級は政治的に無力です。

 

一般的なプロレタリアートは、マルクーゼに言わせれば一次元化しているので、いくらインテリが説諭しようが、マルクスの夢想したようには蜂起しません。

 

というわけで、マルクーゼはマージナルな人々――日本でいえば派遣労働者やニート、精神病者、在日外国人などでしょうか? などのマイノリティの蜂起によって資本主義の打倒が可能かもしれない、と言います。

  

マルクーゼはまた、つぎのように主張します。

大企業と国家が、(かつての家族のような)伝統的な権威に置き換わって、中心となった。このことが学校システム、ライフスタイル、エンターテイメントを生みだし、労働者階級を受動的にし、無批判的で無思考にさせた。彼らは自由だと信じているが、実際には操作されている。彼らは幸福だとされているが、人々は現実には「不幸の多幸感euphoria of unhappiness」のなかにいる。

というわけで、マルクーゼは「資本主義社会における自由の虚妄」を鋭く批判していると言えます。

まとめ 

Marcuseの主張は、

  • 私たちは自分を自由だと信じているが、実際は操作されているということ
  • 消費は決して人間を幸福にしないということ
  • 商品を理想化し追求することは、商品の延長物となること
  • 解放されるためには、少ない消費、少ない労働のライフスタイルが重要であること
  • 一般労働者よりも、マージナルな人々が革命に重要となる

というわけで、マルクーゼの主張はマルクスを深化拡大し、現代にも射程を伸ばしているようです。

 

私がマルクーゼに強い関心を抱くのは、彼の「文化」に対する徹底した批判にあります。最近、「文化を解体する」という試みをやっていますが、なかなか難しいです。

 

もっとマルクーゼを追っていきたいです。