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左翼の問題点―過剰社会化

左翼は奴隷道徳か?

 

テッド・カジンスキーは、左翼の心理学的特徴として「劣等感」と「過剰社会化oversocialized」をあげました。

 

「劣等感」の項目については以前訳したのですが、今回「過剰社会化」について公開してみます。

 

左翼は過剰社会化されている

ワシントン・ポストに公開されている「ユニボマーマニフェスト」より(原文:washingtonpost.com: Unabomber Special Report

 

24.心理学者が「社会化」というとき、子どもたちが社会の要求するように考え、行動するようになるプロセスを指している。ある個人は、社会の道徳規範を信じ、服従して、社会の一員として適応したときに社会化されたと言われる。左翼が過剰社会化されていると言うことは支離滅裂に思われるだろう。左翼は反逆者rebelと受け入れられているからだ。しかし、この見方は擁護されうる。多くの左翼は見た目ほど反逆者ではないのだ。

 

25.私たちの社会の道徳規範は、非常に要求が多いため、だれも道徳的にものごとを考えたり、感じ、行動することはできない。たとえば、私たちはだれも憎んではならないとされる。しかしほとんどだれもが、ときにはだれかを憎むことがある、本人がそれを認めようが認めまいが。道徳的に考え、感じ、行動しようとするあまり、深刻な負担を自らに課すほど高く社会化されている人もいる。罪悪感を避けるために、彼らはみずからの動機について、自分自身を欺かなければならい。また、実際には非道徳的な動機による行動でも、それに道徳的説明を見つけださなければならない。私たちはこのような人々に「過剰社会化」という言葉を用いる。

 

26.過剰社会化は低い自己評価、無力感、敗北主義、罪悪感などを導く。社会が子供たちを社会化するもっとも重要な方法は、彼らが社会の期待に反した行動や発言をしたときに、恥ずかしい思いをさせることである。これがいきすぎたり、そのような感情に対して特に感受性が高い場合、彼はついに自分自身を恥じるようになる。

 

過剰社会化された人間は、軽度に社会化された人々よりも、行動や思考が社会の期待にしばられることになる。大部分の人は、かなりの量の、軽度の、悪意ある行動をしている。彼らは嘘をつき、軽犯罪を犯し、交通違反を破り、職場でダメになり、だれかを憎み、汚い言葉を吐き、他者を出し抜くために、不正をはたらく。過剰社会化された人は、そういった行動ができない。もし彼がそういったことをすれば、自己憎悪や羞恥の感情が生まれる。過剰社会化された人々は、受け入れられた道徳に反対する思考や感情を、経験することさえできない。彼は「不潔な」思想を考えることができない。そして社会化は道徳の問題にとどまらない。私たちは、道徳以外の多くの行動規範に従うよう社会化されている。過剰社会化された人々は心理的な綱渡りを続け、社会が彼のために敷いたレールの上で人生を費やし続ける。多くの過剰社会化された人々にとって、この結果は束縛感と無力感であり、ときに深刻な困難に至ることもある。私たちは、過剰社会化は人間の与えうるもっとも深刻な残虐行為の一つであることを示唆する。

 

27.私たちは現代左翼の非常に重要で影響力のあるセグメントは過剰社会化であり、過剰社会化は現代左翼の方向性を決定する上で非常に重要であることを主張する。過剰社会化タイプの左翼は、インテリで、アッパーミドル階級であることが多い。大学知識人は、私たちの社会でもっとも社会化されたセグメントでありながら、同時にもっとも左翼的なセグメントであることに注意せよ。

 

28.過剰社会化タイプの左翼は、心理的な束縛を取り去り、反逆によって自律を主張しようと試みる。しかし、ふつうは、社会のもっとも基本的な価値観に反抗できるほど彼は強くはない。一般的に言って、今日の左翼のゴールは、受け入れられた道徳と衝突するものではない。それどころか、左翼は既存の道徳原則を受け入れ、それを採用し、主流社会がその原則に違反していると非難しているのである。たとえば、人種平等、性の平等、貧者の救済、戦争の反対としての平和、非暴力、表現の自由、動物へ優しくすること。より根本的には、個人は社会に奉仕し、社会は個人の面倒を見る、というものである。これらすべては私たちの社会に深く根ざした価値観である(少なくとも、中流や上流階級にとっては長い間そうだった)。これらの価値観は、主流のメディアや教育システムによって、明示的か暗示的に、表現的され、前提されている。左翼、とくに過剰社会化されたタイプの左翼は、通常これらの原則に反逆することはない。彼らの社会に対する敵意を、社会がそれらの原則を守っていない(それはある程度事実だが)ということで、正当化しているのである。

 

29.ここでは、過剰社会化された左翼が、反逆者であるふりをしながら、私たちの社会の慣例的な姿勢に対する本当の愛着を示している方法を描く。多くの左翼はアファーマティブ・アクションを推進しようとする。黒人を威信の高い職業に就かせ、黒人の学校の教育を改善し、そのような学校にはより多くの資金を投入する。黒人の「下層」の生活方法は、社会的に恥辱だとみなされる。彼らは黒人男性をシステムに統合したい――アッパーミドルの白人と同じように、ビジネスエリートにし、法律家にし、科学者にしたいのである。左翼は黒人を白人のコピーにしたいなどと決して思っていないと言うだろう。そのかわりに、アフリカン・アメリカンの文化を守りたいのだと。しかしアフリカン・アメリカンの文化の保護は何によってなりたつか? ブラックスタイルの食事を取り、ブラックスタイルの音楽を聴き、ブラックスタイルの服を着て、ブラックスタイルの教会やモスクへ行くことではないだろう。いいかえれば、それは表面的な問題でしかない。ほとんどの本質的な点において、過剰社会化タイプの左翼は、黒人に白人の中流階級の理想に従わせたいのである。彼らは黒人に技術的な学習をさせ、重役や科学者にさせ、白人と同じくらい黒人は優れていると証明するために社会階級をのぼらせることに生涯を費やさせたいのである。彼らは黒人の父親たちに「責任感」をもたせ、黒人のギャングに非暴力となることを望む。しかしそれらはまさに正確に、産業技術システムの価値観である。そのシステムは、人々がどんな音楽を聞こうと気にしないし、服装や宗教も気にしない。彼が学校で学習し、尊敬される職につき、社会階層をのぼっていき、「責任ある」親となり、非暴力である限りは。結果として、彼がどれだけ否定しようとも、過剰社会化された左翼は黒人をシステムに統合し、その価値観に適合させたいのである。

 

30.私たちは左翼、過剰社会化したタイプでさえ、社会の根本的な価値観に反抗していない、というのではない。明らかにそうしているときがある。過剰社会化した左翼は、現代社会のもっとも重要な原則に対して、物理的な暴力によって反抗してさえいる。彼らの説明によれば、暴力は「解放」の一形式なのだという。言い換えれば、暴力を犯すことによって彼らは、かつて訓練された心理的な拘束を破っているのである。彼らは過剰社会化されているため、拘束は、他者よりも彼らにおいて堅固である。したがって彼らは、自分ではなく他者を解放する必要があるのである。しかし通常彼らは、自らの反逆を、主流の価値観によって正当化する。もし彼らが暴力に訴えれば、彼らは性差別や何かに対して戦っているのだと主張するだろう。

 

31.私たちは、前述の左翼心理学のスケッチに対して多くの反論が可能であることを認識している。現実の状況は複雑である……

左翼は「お利口さん」である 

カジンスキーのマニフェストは、平易な言葉で書かれていますが、内容としてはけっこう難解なように思われます。

 

個人的な解釈ですが、左翼は実際のところ社会の反逆者ではなく、むしろ産業技術社会における既存の・主流の価値観を拡大させ、その権力を増大させる方向に働いているということでしょう。

 

過剰社会化oversocializeされた人とは、日本語で言えば「お利口さん」が近いかと思います。「男子、ちゃんと歌いなさいよ」のタイプ(これ、性差別?)。アニマルライツ(動物権利運動)やフェミニスト、人権運動家ってそんなイメージです。

 

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あまり共感できない動物権利運動。

 

彼らは反逆者rebelというよりは、慣例主義conformistに見える。学生運動もそんな感じだったかも? いずれにせよ、私や多くのアナーキストは反逆者rebellionであるために、慣例主義conformistの「左翼」とは肌が合わないのだと思います。(「叛逆者」とはだれか - 齟齬

 

いわゆる「左翼」は、思想が浅すぎる気がします。たとえば左翼は「万人に優れた教育を!」とかいいますが、学校教育それ自体が暴力であり、自由を奪い、不平等の起源である、というような考えには至りません(「不潔な思想」なので)。

 

左翼は一見反逆者ですが、実際のところは現代の産業社会の維持に寄与しているに過ぎないのかもしれません。

 

もっとユナボマー・マニフェストを読み進めていきたいです。 

 

関連:左翼は偽善者のマゾヒストか - 齟齬