齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

学校教育と奴隷化

「ただより高いものはない」とはよく言ったものです。

 

学校は、私たちが社会で生き残るために、職業に必要な技術を身に着けさせるのだ、私たちの「面倒を見る」のだと教える。しかしシステムは、私たちの幸福になど興味がない。興味があるのは、私たちが「彼ら」のために何ができるかだ。公教育の過程は、裕福な権力者に奉仕するための、必要な基本的知識の組み合わせである。さらには、私たちが資本家や政府の下僕となったときに、「正常な」行動の内―規範化によって、現状に疑問を抱かないようにする。

 

あらゆる国家が「教育」に力を入れています(北朝鮮でも)。

しかし、教育は慈善事業ではありません。教育はだれのためにあるか。私たちのものではなく、「彼ら」のものかもしれません。

 

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匿名の方が書いた、「学校を信じない理由」より。 

Why Not To Trust Your School | The Anarchist Library

資本主義社会における公教育の第一の役割は生徒たちに「権威を尊敬」するよう教えることにある

このことは教師や学校官僚が生徒の親や保護者の役割を持ち、家庭で慣れ親しんだ権威者の役割を持つことによってなされる。権威者は、規範に応えなかったり、言われたことをしない人々を罰するシステムを課す。廊下の右側を歩けというような、バカバカしい、些細な規則への厳格な遵守は、いかに命令がバカげていても彼らが従わなければならないことを教え込む。私たちは、だれかが私達に命ずるべきなのだと教えられる。これらのことによって私達は、上司、警察、政治家、そして軍人の指示を受け、バカで無能のように私たちを扱うことに準備させられる。

資本主義社会における公教育の第二の役割は、私達の個性を奪うことにある

――私たちがやれと言われたことをやり、自らの理想、欲望、才能を持たないようにするために。このことは、私たちを同年齢の数千人の人々がいる環境に置き、権威的な人物を用いて、同調しない者を軽蔑に値するとラベルすることによってなされる。これが私たちの知るところの「同調圧力peer pressure」であり、本質的には無垢な子どもたちに、平凡さと服従、さらに従おうとしない者に嫌がらせをするようにするシステムである。社会規範からの逸脱はただちに非難され、個性は逸脱とみなされる。このことによって、私たちはみながしていることを行い、列からはみでることを恐れ、迫害されることを恐れて、盲目的に「流れに乗る」ことに慣れてゆく。この形態が、私たちを職場において、「トラブルメーカー」とラベルされるよりも、搾取を受け入れるようにしたり、たとえ最低の賃金労働についていて、ほとんど利益が得られないとしても、上司に仲間の労働者を売るようなことをさせるような、社会コントロールのシステムの根底である。

資本主義社会における公教育の第三の役割は、統制である。

資本家のシステムにおいては、人々は肉人形以上に見られていない。つまり、資本家たちのために金を生む資源であり、彼らの商品を買い、彼らの戦争で死ぬ。現代の産業社会は24時間可動し、金を生みだし、富裕層のために奉仕するよう組織されている。産業社会は、フレッドリック・テイラー、ヘンリー・フォード、マックス・ウェーバーの3つのアイデアに基づいている。テイラーは、労働者の動きを機械に代替させてゆくことを提唱し、それによって資本家はいつでも利益を最大化できるようになった。フォードは、すべての労働者がロボットの動きをひとつの無意味な労働に変えさせた。ウェーバーはナチスにおける多数の人々を軍事的に組織化する現代的官僚制を構築した。彼のアイデアは第二次大戦後、世界中の資本家によって採用された。数千人に人々がこの種の労働環境で働けるようになるために、彼らは幼いときから「時間どおり」に生きるよう条件付けられた。工場以外のほかの領域やサービス業界においても、同様の組織的原則はさまざまな程度適用された。公的な学校システムは、学校や授業に時間どおり出席しなかったり、時間どおりに課題を終わらせなかったものを罰することによって、生徒たちが厳格な時間割を求めるように条件づけた。このことが、私たちを「時は金なり」の工場やオフィスの人生へと準備付ける。生徒たちが労働力となったときに最大限搾取されるためには、時間どおりにやってこなかったり、権威者によってつくられた時間期限に従えなかったときに、ナーバスになったり罪悪感を感じなければならない。

資本主義社会における公教育の第四の役割は、反抗を抑えることにある。

このことは、学校における私たちの成績が評価されるようなシステムから始まる。私たちはその意味を理解しているかどうかにかかわらず、事実や数字、フレーズを繰り返す能力によって評価される。暗記は、私たちから問題の原因を解明すること、教えられたことに疑問を抱くような私たちの能力を奪う。このことは、すべての質問にひとつの「正しい」答えが存在し、その答えを知っているときのみ受けいられるという錯覚を与える。権威者が信じ込ませようとすることとは自らの人生の経験が矛盾していても、正しい答えを知っている権威者を信じることが常識なのだと人々に教える。このことは、私たちが教えられたことに疑問をいだき、問題を推察するよりも、「正しい」答えを持つ「リーダー」に信仰を抱くことへと導く。創造性、分析、好奇心や批判精神を抑え込むことによって、生徒たちは人生の問題の答えはすべてテレビ、政府、組織宗教によって教えられるといった成人期に準備される。このことによって人々は、明白な矛盾、ひずみ、嘘が教え込まれたときに、政府や資本家のプロパガンダに受容的であり、批判精神をもたないようになる。また、生徒は学習は退屈なものと認識し、人生の後半、学ぶことができなくなる。

資本主義社会における公教育の第五の役割は、自己中心性の奨励である。

――生徒たちに強制的に競わせることによってなされる。生徒たちは互いに助け合ったり、低い点数を取ることの助けを求めると罰せられる。体育では、生徒たちは互いに肉体的に競争させられる。彼らは負けたり、良い成績をあげないものは劣っているのだと教えられ、結果として、社会における貧しい生活の人々は、怠け者で働かないからそれは当然の報いだとみなされる。彼らは強者が弱者を支配することはOKであり、弱者を助けようとする人々は「女々しい」奴であり、自分自身のことだけを考えるべきだと教えられる。

学校はまた、「チームプレイヤー」となることを教え込む。私たちの個人的な利益を求める能力や意志は、指導者に言われたことを行うことに犠牲にされるべきだとされる。私たちはそれらによって、「チーム」のために自分を犠牲にすることで、利益を得ると教えられる。私たちはこれらのことによって、「チーム」とは資本家の企業であり、「チームプレイヤー」となることはよき奴隷であり、モラルや上司の命令が及ぼす個人的な結果に対する無思考を導くような労働世界に準備される。

いじめと資本主義 - 齟齬

資本主義社会における公教育の第六の役割は、私たちを社会階級や性別で分断することである。

早くから、子どもたちの中にはテストの点やその他任意の基準によって「賢い」とみなされる者がいる。……学校の残りの年数、それらの子どもたちは最良の教師と設備を与えられる。彼らは将来ミドルクラスとなるため、大学へいくよう教えられる。残りの生徒たちはアカデミックへの意欲は最小限で、明日の労働者階級となるための職業訓練に従事する。中退したり退学となったものは、劣っており、人生はおしまいだとラベルされる。不幸にもそれらは非常に多くの場合、実現する予言となっている。上流階級の子どもたちは彼らの周りにはいない。彼らはすべて、スーツで授業を受け、非特権的な人々を軽蔑することを学ぶ私立学校にいるからである。少女たちは、数学のような科目では男子と同じような成績を取らないようにと統制される。彼女たちは工学や体育のような「非女性的」な科目は奨励されない。学校集団は、所得、社会集団、性別に基づいて形成されることが多い。収入や性別が資本主義社会に合致する生徒は、自分自身が優れていると考え、より互いに団結し、高慢な態度をとる。「人気」(エリート派閥)ではないと考えられる人々は、彼らを尊敬しなければならないと教えられる。このことが彼らに、テレビショーで「お金持ちの、有名人の私生活」「産業界の帝王」「アメリカの城」といったタブロイド紙や雑誌を敬うような労働世界へと準備させる。なぜ彼らが私たちから富を奪ったのか、と問うことなしに!

資本主義社会における公教育の第七の役割は、私たちを搾取するような社会を守るよう説得することにある。

現代の公教育は、移民の子どもたちを「アメリカ人流の生き方」「アメリカ文化」「アメリカの政治システム」に内―規範化するために当初導入された。移民たちの文化的違いや、忠実で服従的な市民へと単一化するようなはたらきかけへの移民たちの感情を抹殺した。生徒たちは、私たちはいわゆる「地球上もっともすばらしい国」に住んでいるのだと、それと比較して、世界の残りは、劣った文化や価値観をもった未開発の農民や、邪悪な「テロリスト」で満たされていると教えられる。資本主義は、もし一生懸命働けばだれでも金持ちになれる一方で、貧困は劣っており、十分に働かなかった個々人の失敗であるというように機能するシステムだ彼らは教えられる――資本家が利益を生むために数千人の生活を破壊するシステムではなく。彼らは命を賭けるに値する、法律で平等が保証される「自由の国」に生きていると教えられる。しかし生徒たちは皮膚の色や彼らが18歳以下で法的に僅かな力しかもっていないということで、日常的に警察暴力による屈辱を受けているのだが! 私たちは、私たちに課せられたシステムが民主的なもので、「抑制と均衡」によって腐敗から遠ざけられていると教えられる。現実には、システムは富裕層の経営者たちの派閥にコントロールされている。彼らは政治家を「彼らの」利益を代表させ、政治マシンを政権に就かせ続ける。私たちはまた、社会価値を権威に依拠させている。このことはセックスとドラッグに対するタブーと態度、運転者教育、友人や家族の警察への密告を含む。私たちが高校で教えられることの巨大な部分が、社会コントロールや政治的内―規範化につながっているが、私たちが楽しく自由な人生を送るためには役立たない。

 

まとめ

学校は悪です

 

この文書は、アメリカの公教育に向けて書かれているのですが、驚くほど日本にも当てはまります。

 

批判精神を剥奪された、勤勉で、時間を守り、労働環境の劣悪さを訴えるよりも自殺を選び、マスコミや政府の言いなりとなっている日本人は、(まちがっても国民性や民族性ではなく)資本主義的な教育の産物だと言えそうです。

 

日大のラグビー部が問題となっています。が、あれは教育の「異常例」ではなくて、「本質」です。

日本の教育は、私たちが考える以上に資本主義的ということです。