齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

頭のいい人はなぜ優しいのか

たぶん、だれにでも同意してもらえると思うのですが。

  • 「賢い人」は、優しいです。
  • 暴力的、攻撃的、残忍、邪悪な人は「おバカ」です。 

今日は知性と優しさの関係について調べてみました。

知性と優しさに関連性はあるのか?

Is there a correlation between intelligence and kindness? - QuoraのDeborah Edelenの回答から、一部訳します。

 

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス准教授のKanazawa氏は、「知的な人々が好むのは、善いか悪いかではなく、正しいか間違いかではなく、つねに革新的で斬新なことである」ということを発見した。

 

つまり、知性のない人は同僚や学友などの「猿真似」をすることが多いのに対し、知性がある人はそうしないことが可能ということだ。

 

より知性が低い/お馬鹿な人々は、自分の目にした悪い行いを繰り返す可能性が高い。つまり社会に悪行や狼藉を行う犯罪者がいるとき、馬鹿な人はそれらの振る舞いをコピーするだろう。誤った人々のなかから逸脱し、正しい物事をあえて行う人が生まれるためには、知的な人々が必要となる。

 

つまるところ、Kanazawa氏の研究は、知的な人々が何が善で何が悪であるか、特別な関心を抱くことを示しているのではない。

 

彼らは、ひとびとの「善と悪」が不適切な概念である場合においても、自分にとって何がよいかを考え、何が最良の選択であるかを考えることが可能ということである。

 

近年の心理学会(the Association for Psychological Science)の研究によれば、子どもが叩かれたり罰せられると、よりふるまいが悪くなるとしている。この研究が示しているのは、子どもたちは、下劣な行動をコピーするということである。革新的な思考のできるより賢い子供は、慣習を断ち切り、やさしくなり、より自分の子どもに優しく接するようになり、よいサイクルが生まれると思われる。

 

思慮深い子どもたちは、教え込まれたり、サンタクロースの「良い子でいるんだよ」を頭に思い浮かべなくても、善い行動を、善い理由によって行うことができる。彼らは卑しい行動を遠ざけるために監視される必要はない。彼らは賢明であり、やさしく、道徳的なふるまいを行うことができる。

 

頭のいい人は、自分の頭で考えることができるから優しい

 

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Photo:Vivian Maier

 

頭のいい人は、人々の「善と悪」が不適切な概念である場合においても、自分にとって何がよいかを考え、何が最良の選択であるかを考えることができる

 

悪は伝播します。

 

体罰を受けた子どもは、自分が大人となったときに弱い人に暴力をふるいます。部活動の先輩―後輩システムのなかで奴隷化させられてきた人は、自分が先輩や上司になったときに部下を暴力によって支配しようとします。

 

私たちは悪を学習します。

 

暴力は楽しいことだとか、人間は戦争やレイプを望んでいるとか、人間は遺伝子の乗り物であり、したがって競争心が強く、自分だけが良ければそれで良いと考える……などと信じています。ここから、次の考えが生まれます。人間は悪に陥りやすい。だから、懲罰や戒律によって正されるべきだ。これが宗教であり、教育であり、法律です。

 

しかし、人は「悪を望む」生き物ではありません。他者と助け合い、いたわりあい、楽しく幸せに生きることを望んでいます。善良さは教えられるものではなく、人間にもともと備わっているものです。チャップリンの言葉を借りれば、「人間はそのようなものだHuman beings are like that」です。

 

人が悪に陥るとすれば、それは無知ゆえです。人は自分で考えるほど、自分の心に忠実ではありません。自分の本心に気づくためには、知性が必要です。周りの人々の言うことに耳を貸さず、テレビを消し、本を閉じ、自分の本心に耳を傾けることができなければならない。ある意味で、知性とは「ひとりでいられる能力」なのかもしれません。

 

知性のある人は、優しい。それは、「自分自身になれているから」なのです。