齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

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アナーキズムとスピリチュアル

スピリチュアル用語である「アセンション」について調べていたら、以下の記述がありました。 

 

地球は一つですが、アセンションによって精神的な意味で2つに分かれていくようです。

一つはポジティブな地球、もう一つはネガティブな地球です。

アセンションに成功する人はこのポジティブな地球へ行けるそうです。

 

ポジティブな地球は、政治や官僚システム、貨幣制度など人を支配するものが一切ない世界のようです。愛と調和に溢れた幸せな世界です。

 

一方、ネガティブな地球は、今よりも遥かに支配制度が高まり、戦争などの争いが耐えない”恐れ”で作られた世界のようです。

アセンションとは?アセンションの意味についてわかりやすくまとめてみた。 | More Than Ever

 

ぎょっとしました。

 

「政治や官僚システム、貨幣制度など人を支配するものが一切ない、愛と調和に溢れた幸せな世界」

 

おいおい、完全にアナーキズムだぜ、それって。

 

……アナーキズムって、実はスピリチュアルと関係が深い?

スピリチュアルな人の特徴

まず、「宗教的信仰心」と「スピリチュアル」は別のようです。

「人々はスピリチュアリティと宗教を混同しやすい。人は宗教的にもスピリチュアルにもなれるが、スピリチュアルなしに宗教的であることもできるし、宗教的であることなくスピリチュアルでいることもできる」

 

とハフィントンポストの記事、「What Does It Mean to Be a Spiritual Person? | HuffPost」にてマーガレット・ポール博士は述べています。

 

スピリチュアルな人ってどんな人なんでしょう?

 

あなたは毎週日曜に教会に行き、毎日祈りを捧げる。このことはあなたがスピリチュアルであることを意味するか?

NO。

 

あなたはヨガと瞑想を毎日行う。あなたはスピリチュアルか?

NO。

 

あなたはスピリチュアル団体に所属し、その団体の教えに献身的である。あなたはスピリチュアルか?

 NO.

……
スピリチュアルな人は、自分自身と他者を愛することを最優先させる人々である。スピリチュアルな人は、他の人々のことや、動物、地球のことを気遣う。スピリチュアルな人は、私たちはみなすべてが一つであることを知っており、自覚的にワンネスを尊重しようとする。スピリチュアルな人は、優しい人である。

 

だから、自分や他者、地球を愛することなくして、毎週日曜日に教会へ行くことは可能だ。愛とは何か、何が愛ではないかという自覚なしに、ヨガの実践や瞑想を毎日続けることは可能だ。スピリチュアル団体に所属し、その教義を実践しながらも、自分自身や他者に批判的であることが可能だ。

 

全く無宗教で、瞑想もせず、祈りや集団に所属することなくして、非常にスピリチュアルな人々はたくさん存在する。彼らは自然に他者に配慮する。彼らは、どうすれば他者を助けられるか考えている。彼らの思考は、批判的であるというよりは、優しい。もし彼らを見れば、彼らの眼のなかにはやさしさを見つけることができるだろう。

 

非常に批判的で、厳格で、まったく優しさとはほど遠い、宗教的な人は多く存在する。宗教的でスピリチュアルであることは可能か? もちろん! しかし自分の宗教を、教え込まれたドグマによってではなく、自分の心によって行うことでだ。

 

……

 

もしスピリチュアルな人になりたければ、やさしさをあなたを導く光とすることだ――自分にやさしくし、他者にやさしくし、動物に、そして私たちの住処である美しい地球にやさしくすることだ。

 

スピリチュアルな人は、単にやさしい人のようです。自分にも、他者にも、世界にも。

 

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The Radiance of Attention - Luc Tuymans

 

世の中には、オカルトや占いに熱中したり、奇妙な服装や奇行を繰り返し、妄言めいたことを呟く人がいます。それはスピリチュアルとはあまり関係ないのかもしれません。

  

宗教とスピリチュアルがほとんど無縁であることは重要です。アナーキストの大部分は、no masters, no gods――つまり無神論者ですから。 

縁遠いアナーキズムと身近なスピリチュアル

この世でアナーキズムほど誤解されている思想哲学はありません。

 

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アナーキストはこんなんじゃない

アナーキストはこんな感じ

私たちは敵ではない(by Swoboda)

 

多くの人は、アナーキズムは無秩序で、カオスであり、暴力であると信じています。

 

アナーキズムはたしかに危険です――国家や企業や王族(皇室)にとって。だからこそ、幸徳秋水も大杉栄も虐殺されました。国家とは要するに「人民の支配権力と貧民の搾取を各自に保障するため、地主、軍部、裁判官、および牧師のあいだで結ばれた相互保険会社である(クロポトキン)」。

 

いったい、企業や政府に敵対する思想が、どうやって大衆に誤解せずに流布されるでしょうか。誤解は意図的につくられます。アナーキストは火炎瓶と暴力に取り憑かれた、「頭のいかれた連中」として描かれます。 

 

現在、ほとんどの日本人は政治的に無能化されています。自民党という伝統と信頼の政党があり、そのカウンターとしての民主党があり、そして、公明党。その残り滓としての、社会党や共産党。

 

社会主義とはなにか? 共産主義とはなにか? と日本人に問うても、まともな答えがかえってくるのは5%にも満たないでしょう。無政府主義とはなにか? となればほとんど絶望的。アナーキズムをマスメディアの描く姿以上に理解している人は、もしかしたら0.1%もないかもしれません。  

身近なアナーキズムとしてのスピリチュアリズム

スピリチュアリズムとは、「身近なアナーキズム」なのかもしれません。

  

スピリチュアル系の人は、直感的(霊的に)に物事を述べます。彼らは既存の価値観や慣習にとらわれない。そして、彼らは正直です。自分を信頼し、他人を信頼しているから。

 

したがって、スピリチュアルな人は直感的にアナーキズムに到達できるのかもしれません。たぶんですが、ふつうの人は、資本主義への疑念から、共産主義や社会主義といったカウンター的な政治思想の手続きを経てアナーキズムに至ります。でも、スピリチュアルな人は、霊感によって一気にアナーキズムに到達することが可能なのかもしれません(アナーキストという自覚はないでしょうが)。

 

また、受け手の問題もあります。スピリチュアルなサイトや書籍は、そもそも、「予想外の言説」「突拍子のない発言」が許される土壌にあります。たとえば、巫女や占い師がどのような支離滅裂なことを言おうが、一生懸命解釈しようと試みます。「彼女はでたらめなことを言っているだけだ」とはなりません。

 

科学的な言論の場、政治討論の場ではそうはなりません。私たちはそういった場でオープンネスを持ちません。スピリチュアルに対して、人々は異質に対する許容度が高くなるのです。

 

スピリチュアル界隈で、驚くほどアナーキズムと共通する思想を見つけることは少なくありません。そして、人々がすんなりとアナーキズムを受け入れていることにも驚かされます。

 

まとめ

スピリチュアリズムは、アナーキズムとかなりの点で共通しています。どちらも、自分に信頼をおき、他者に、人類に、信頼をおきます。

 

アナーキズムとスピリチュアリズムは、同根なのかもしれません。アナーキズムが、いささか実践的、政治的なのに対し、スピリチュアリズムは感情的、霊的という違いはありますが。

 

いずれにせよ、私はスピリチュアルもアナーキズムも好きです。人が人を支配するのは、間違っているからです。こういう当たり前の感情をとりもどし、みんなが「ポジティブな地球」に住むことができればよいと思っています。

 

 補遺「幻の桜」とアナーキズム

スピリチュアル、とは言い切れませんが、私は「幻の桜」のファンです。ちょっと昔の記事からアナーキスティックな文章を紹介します。

 


税金や法律
戒律や道徳も


序列づけのために
構築された

 

国や宗教も
序列の為に
作られた

 ……


序列はなくなる


世界の
あらゆる不快な現象に
その言葉で報いよ

世界が消滅するまで
その言葉を唱え続けよ 


世界とは序列を作ったことで始まった

人の上に神という存在を置いたことで


神の言葉を伝える者達の序列を作ったことで
世界と言う地獄は作られた

 

自然には序列はない

太陽も 
月も 
海も 
動物も 
虫も 
人も
細胞も
そのすべては同格であり 


太陽も月も友であり
動物も木も友である


自然は
崇める存在ではなく 

互いにたすけを求めあう
対等な存在 」 

幻の桜 序列はなくなる