齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

信号なき道路、警察なき社会

信号をなくしたら事故が減ります。

 

これってすごい言葉じゃないですか?

いいですか、もう一度言いますよ。

 

信号をなくしたら事故が減ります。

 

「ラーメンを食べたら腹が減ります」 みたいなイキフンですよ。

「え、じゃあ信号って何のためにあるの?」となります。

 

信号をなくしたら事故が減ります。

Want Less Car Accidents? Remove Traffic Signals and Road Signs | Big Thinkより。(しれっと私の大好きな人類学者James C. Scottが引用されてて興奮しました。)

「人々をバカのように扱うと、彼らはバカになる」

 

「交通エンジニアの厄介な点は、何か道路に問題が起きたときに、彼らは何かを付け加えようとすることだ。」「私の考えでは、物を除去した方がずっといい」

 

「電気的な障害で信号機の昨日が失われたとき、その結果起きたのは渋滞ではなくスムーズな流れだった。」

 

「実験では、彼はDrachten(オランダの都市)の交通量の多い、一日2万2000台の車が多い交差点を、環状交差点に変え、自転車通路と歩行者領域を拡張した。二年間で次のことが起きた。……事故数は、それ以前の四年間の36件の事故から、たった2件に急落した。彼らは自らの注意と良識が求められていると知っているとき、交通トラブルroad rageは消え、キビキビとした交通の流れが生まれた。

 

彼はこのことを、混雑したアイススケートリンクで、流れに乗って走ることができることと関連づけた。

 

彼は信号機がドライバーの視線をそらすため、道路上の安全を損なっているとも信じている。

 

もっとも、これでは環状交差点の優越性はわかるのですが、単純にすべての信号機を撤廃したら事故数が減るかはわかりません。

 

ただ、「信号をなくせば事故が減る可能性がある」と考えてみることは重要だと思います。

 

www.youtube.com 危ないような、危なくないような……

 

信号機がなくなれば事故だらけでカオスになる! と警察や道路利権にぶらさがる団体・企業は言うでしょう。

 

でも、ほんとうにそうでしょうか。私は、交差点で譲り合う微笑ましい光景が思い浮かぶのですが……。私は譲るのも、譲られるのも大好きです。ほっこりした気持ちになりますから。

 

たぶん、人は基本的に譲るのが好きなのではないでしょうか? 性善説的に考えて……。ちなみに、私は平和主義者ではなく。割り込む人にはクラクション鳴らして煽りまくりますよ。場合によってはミラーを叩き割ります(前科あり)。

 

警察のいない島

筆者はインドネシアのバリ島から離れたところにある、警察がいない小さな島に滞在したことがあります。

 

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すんげー静かで、美しいところでした。また行きたいです。

 

そこで感じたことは、「バリ島よりもずっと安全だな」ということでした。というのも、バリ島の警察は賄賂でどうとでもできますが、「島の掟」はたぶん買収できないからです。

 

バリ島で過ごして数日目、私はおバカなことに両替詐欺に遭いました。でも、警察には届けませんでした。というのも、そもそも警察が機能していれば、詐欺師はおおっぴらに店舗を構えられません。私の詐取されたお金の何割かは警察の取り分になっているのです。こういうことは第三国ではよくあるわけです。

 

しかし、島の村長は買収できないでしょう。そんなことがおおっぴらになれば、村長は島から追い出されますから。

 

島民の自衛意識も強いものです。たぶん彼らは、スリや暴行が起きたら、昔のイギリス民衆のように総出となって犯人を追いかけ回すでしょう。いわば、全員が拳銃を持たない警察のようなものです。犯罪者にとっては居心地が悪いでしょうが、善良な人にとっては頼もしく、安心感がありました。

 

警察がいなければ、人々は自らが警察になります。自分の身を守るのは自分。自分たちを守るのは自分たち。……当たり前のことじゃないですか? なぜ他人に身の安全を任せなければならないのでしょう。

 

信号がなくなったら事故が減るのと同様。警察がいなくなれば、かえって犯罪は減るのではないでしょうか。というか……犯罪が減ったら一番困るのは警察なんですよね。

 

「犯罪無き社会を夢見たのが一八世紀の末。ところがそれも束の間、犯罪は有益な面が多すぎて、それの無い社会を夢見るほどばかげた危険な話はないということになった。犯罪者が無ければ警察はいらない。だって警察の存在、警察による取締りを民衆が容認するのは犯罪を恐れればこそでしょう? それをあなたはまるで天からの授かり物のように言う。警察というこんなにも歴史の浅い、こんなにも抑圧的な制度が存在する根拠はそこにしかないんです。我々には武器が持てないのに、そこに武器を持った制服姿の奴等がいて、身分証の提示を求めたり、玄関先をうろついたりしてもいいなんて、もし犯罪者が存在しなかったらいたい誰が認めるっていうんですか? それに、犯罪者がいかに多くていかに危険かを毎日のように書き立てる新聞記事がなかったらね。」(フーコー・コレクション 4 権力・監禁)

 

私はこのフーコーの発言が大好きで。たしかに、警察は近代国家になって始めて生まれたものですし、なんでこいつら偉そうにしてるんだ? と思いますね!

 

いまは正義の味方みたいな面をしていますが、本来警察は与太者や被差別民が行うDirty workで、鼻つまみ者だったわけです。これはヨーロッパでも日本でも同様でした。

 

人々は自由に生きるべき

 じゃあ警察はなんで存在しているのか。といえば、私たちを捕まえるためですよ。国家に服従しない人々。徴兵制に反対する人。戦争に反対する人。納税しない人。ささいな交通違反、駐車違反をする人。体制――警察や国家、資本家に敵対する人。

 

1%くらいにしか共感してもらえないことを書きますが、国家は最大の犯罪者です。だって、国家ほど巨大な詐欺、強盗、殺人を好きなままにしているものはないでしょう。徴兵という名の殺人で数百万人殺しています。税金という名の強盗で何十兆円も奪います。民主主義だの自由と平等だの言ってますが、特定の階級の人しか勝てないシステムで、ひどい詐欺です。

 

私は、人々は、自分のことは自分で決めるべきだと思います。自分のことは自分でする。自分で考える。自分で生活する。自分で守る。自分で戦う。

 

自分で、自己を統治するのです。だれかに統治されるのではなく。そこに幸福があると思います。まあ、こんな当たり前のことも、あまり響かない時代なのですが。

 

 

昨日は胃の具合が悪くのたうち回っていたので更新がありませんでした。今日からまた毎日更新します……

 

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なんとなくのツーリング画像