齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

政府は最大の殺害者である

愛国者はつねに自国のために死ぬと言うが、自らの国を殺すとは言わない。バートランド・ラッセル

 

「戦争」というと、映画や漫画で描かれるように、派手にドンパチして、戦ってかっこよく死ぬ姿がイメージされます。

 

そしてまた、英雄たちが崇高な愛国心と自己犠牲によって、外国の脅威から自国を守る逸話を思い浮かべます。

 

しかし、現実に戦争が意味するのは、戦闘というよりは惨めな「死」でした。

 

日本人をもっとも殺したのは、日本政府だった 

 

歴史学者の故・藤原彰氏(一橋大名誉教授)は旧厚生省援護局作成の地域別戦没者(1964年発表)を基礎データに独自の分析を試みた。著書の「餓死した英霊たち」(青木書店)で、全戦没者の60%強、140万人前後が戦病死者だったと試算(毎日新聞

 

藤原氏の試算では、原爆による死者の10倍程度が餓死や伝染病で死んでることになります。まあ実に驚くべき数字ですが、学校で近代史をちょろっとしか教えないのはこの辺に理由がありそうです。

 

彼らの死を「偶然の不幸」で片付けることは簡単ですが、結局は軍部のめちゃくちゃな、杜撰な命令によって死んだ人々がほとんどでしょう。言ってしまえば、彼らは政府に殺された人々です。

 

f:id:mikuriyan:20180414231846j:plain

 

結局、第二次大戦で日本人をもっとも不幸にし、飢えさせ、殺した、憎むべき敵は、中国やロシア、米国や英国ではなく、当時の日本政府でした……ということは、近代史に詳しい人なら当然知っていることでしょう。

国家による自国民の大量虐殺

もっとも国家による虐殺は、日本に限ったことではありません。ナチスホロコースト、中国による民族浄化文化大革命など、数え切れません。また、アメリカやイギリスも日本やドイツの民間人を虐殺しています。

 

米リベラル系のサイトから一部引用します。

原文:This Is the Number of Innocent People Murdered by Governments. Are You Anti-State Yet? - Reason.com

 

単に国家権力に対して懐疑的であるだけでなく、強い反政府感情をもつことは、国家とその働き――血塗られた、ひどい大労働――を精査すれば、自然で論理的な帰結である。

 

2億6200万という数字からスタートしよう。この数字は、R. J. ラムル教授が計算した、政府による大量虐殺(彼の定義する“デモサイド”)によって20世紀の間殺された、名もなき人々の数である。「このデモサイドは、戦争や内戦によって戦闘で死んだ人々の、6倍の数にのぼる」と彼は書いている。

 

驚くべきことではないが、もっとも血塗られた死者数は全体主義体制のものだった。独裁主義体制においてもその数は多かった。

 

民主主義もまた、正当化できない死の責任がある。特に植民地支配の抵抗を抑える場合(ベルギー領コンゴを考えよ)や、民間人を標的とする無差別な爆撃(広島を考えよ)がそうだが、共産主義者ナチス、独裁体制よりもはるかに少ない。

 

ランメルの1997年の本、「Power Kills」は、このことをもっとも強く主張しているが、ウェブサイトでよくまとめられている。

 

「民主的自由が国家と個人の富と繁栄の原動力であることは事実だ。しかし、民主的自由が飢饉、病気、戦争、集団的暴力、虐殺(大量虐殺と大量殺人)から数百万人の命を救うことはほとんど知られていない。すなわち、自由が増えるほど、人類の安全が増し、暴力が少なくなる。反対に、政府が強い権力をもつほど、人々は危険と暴力にさらされる。端的に言えば、私たちが権力による貧困が起きていると自覚するためには、権力による殺人(パワー・キル)のことも認識しなければならない。」

 

したがって、政府権力への反対力の増加――つまり反政府的であること――は、いくらかの人々の政府決定には不都合かもしれないが、しかし同時に、文字通り、命を救うことになる。……どのような種類の政府だろうと、短い紐で縛っておくことは良いことである。

 

f:id:mikuriyan:20180415100002g:plain

 

2億6000万人という数字は、ほとんどが「自分の政府」に殺された人々だということに留意しておくべきです。20th Century Democideより

 

Rummel氏はハワイ大学政治学教授。“Power Kills”は日本語未翻訳で、Kindle版でもめちゃんこ高いです。

 

 

 

単純な論理ですが、

  • 人殺しは悪です。
  • 政府は人を殺します。
  • ゆえに政府は悪だ、となります。

 

私たちは「殺人犯」ばかり恐れていますが、客観的に考えると政府に殺される可能性の方がはるかに高いと言えます。

 

Rummel氏はあきらかに民主主義者ですが、実はアナーキストの立場を肯定しています。全体主義より民主主義の方が平和的なのは事実ですが、究極的には国家権力を完全に廃し、個々人の自由を最大化するアナーキズムが、もっとも平和であることになります。

 

f:id:mikuriyan:20180414234616j:plain

「↑こいつはいらない」とするのがアナーキズムです。いまだにホッブズの寓話を信じているのはアホです。

 

人々がカオスか、国家がカオスか

 「国家をなくしたらカオスが待っている」と考える人が多いようです。このブログにもそういうコメントがあります。

 

現代に生きる私たちは、国家のなかで生まれます。したがって国家なしに生きることを想像することしかできません。

 

また、警察や政治家、官僚の仕事は、「私たちがいなくなれば大変なことになるよ」と信じ込ませることです。 

 

私たちは警察なしに治安を守ること、学校なしに教育すること、医者なしに治療することを考えることすらできなくなっています。それと同じように、「政府なしに統治すること」も難しくなっています。

 

私たちは自分や自分たちの集団を自己統治self-governすることにおいて無能化されています。以上のような理由で、「国家がなければカオスとなる」と信じ込むのも無理からぬことかと思います。

  

しかし、こう批判してみることもまた重要です。つまり、国家がある方が「カオス」であり、国家を廃した方が「秩序」があるのではないでしょうか。大量に人間を殺し、飢えさせているのは個人というよりも政府ですから。 

 

このような可能性を考慮することには大きな意味があると私は考えています。