齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

学校は悪である

私は学校が嫌いです。

 

巷間では、学校は良いもので、子どものためになると言われています。

 

でも、これはひどい嘘です。

 

学校が良いところなら、なぜ子どもたちは学校へ行きたがらないのでしょうか。

 私たちはなぜ、子どもたちを強制的に学校へ送りこまなければならないのでしょうか。

 

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↑百回夢見た

(Ernie Bushmiller - Nancy Is Happyより)

 

学校へ行かずに引きこもりでいることは許されません。学校が嫌いだったり不適応な子どもは、家族や行政機関、ボランティア団体や医師によって「矯正」あるいは「治療」されます。

 

いずれにせよ、子どもたちは自由を奪われます。

 

単純な論理。

  • 学校は人の自由を奪います。
  • 人の自由を奪うことは悪です。
  • よって、学校は悪です。

証明おわり。

 

学校は監獄である

心理学のニュースサイトでPeter Grayのこんな記事がありました。

“Why Don’t Students Like School?” Well, Duhhhh… | Psychology Today

 

Peterは記事のなかで、認知科学者のDaniel T. Willinghamの著書「なぜ子どもたちは学校を好きにならないか」に対して論駁しています。その本では、教師がより深い理解を示せば生徒たちは学校を愛するようになるだろう、と結論付けているようです。

 

まるで部屋の中にいる象を無視して話しているかのようだ。

 

学校生徒になぜ学校が嫌いかを問えば、教えてくれるだろう。「学校は監獄だ」。彼らはこの言葉をつかわないだろう。なぜなら彼らは礼儀正しすぎるか、学校が自分たちのためのもので、監獄ではありえないとすでに洗脳されているからだ。しかし彼らの言葉を解読し、翻訳してやれば概して「学校は監獄だ」となる。

 

もう少し言わせてほしい。学校は監獄だ。学校は監獄だ。学校は監獄だ。学校は監獄だ。学校は監獄だ。

 

Willinghamはもちろん学校は監獄だとしっていた。知り得ぬはずがない:だれもが知ってるのだから。しかし彼は「なぜ生徒は学校を好きにならないか」というタイトルの本を書きながら、生徒たちが学校を嫌うのは、彼らが自由を愛し、学校のなかでは自由でいられないからだという可能性を考慮しない。

 

……

 

もし学校が監獄ではないのなら、違いを説明してほしい。

 

私が考える唯一の違いは、刑務所に入るためには犯罪を犯す必要があるが、学校は年齢によって通わせるという違いだけだ。それ以外はまったく一緒だ。どちらの場所でも、自由と尊厳を剥奪される。何をすべきかが正確に教え込まれ、もしそれに従うことに失敗すれば罰せられる。実のところ、学校は大人の監獄よりも強制的に言われたことに従う時間が長いため、監獄よりも悪いと言える。

(*部屋の中にいる象=タブーのこと)

 

Peter Grayってけっこう有名な心理学者だったと思いますが、思いの丈をぶつけてますね~。

 

学校は監獄だSchool is prison」という言葉を連呼してますが、まさに洗脳を解くための呪文のようなものですね。

 

「国家は悪だ」「税金は泥棒だ」と並んで声に出して読みたい日本語(英語)だと言えます。

 

国家のイデオロギー装置としての学校

George Cairncrossという人の「教育と民主主義の神話」からかいつまんで引用してみます。

Education and the Democratic Myth

 

子どもはふたつの主要な環境、家庭と学校に直面する。社会の価値観と圧力にさらされる家庭のなかで、子どもは家庭の価値観と圧力にさらされる。学校では、子どもは国家の価値観や教育水準、教師や同級生に従うことを課され、ついに彼は自分が親となり、同様の基準や価値観を彼の子どもたちに課すようになる。

 

……教育システムは自ら考える個々人を生みだすことができない。民主主義的な方法が、社会や政府の最良の形態であると考えるような内―規範化された個人を生みだす役割をもっている。

 

私たちの社会は競争的である。成功には報酬が、失敗には処罰が待っている。……教育システムは社会の価値観と基準を反映しており、子どもたちは学校においてそのシステムに従うことが求められる。

 

子どもたちのヒエラルキーの擁立はしばしば、教職員、家庭、チームキャプテン等によって、良いふるまいや結果に対する「チームの得点」や「スターシステム」など手法を用いて行われる。反逆の徴候をもつ子どもはトラブル・メーカーとみなされ、効果的に処罰される。

 

成人の世界がそうであるように、もし彼が一種の平和的な存在であれば社会と協調できるが、もしそうでなければ社会が不満を持った場合の最悪な事態に用意する必要がある。

 

報酬と処罰によって子どもを体制順応者につくりあげるのが学校の役割です。もしそれに反すれば、学校や家庭は子どもを処罰します。同様の処罰が生徒たちによって行われた場合、「いじめ」となるのでしょう。

 

現代のひとびとは手枷も首輪もつけられることもありませんが、結局は内なるドクトリンに支配されていますので、事態はより悪いと言えそうです。

  

それにしても、現代社会に生きる子どもたちはほんとうにかわいそうですね。「国家のイデオロギー装置」である学校と家庭から逃げ場がないですから。私自身、小学生や中学生に戻ったら……と思うとぞっとします。子どもたちは本当に不幸だと思います。

 

イバン・イリイチの言ったように、「良い教育、悪い教育があるのではない。教育は暴力であり、悪である」ということが正しいようです。