齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

刑務所は国家に奉仕する

 

本当に悪い人は捕まりません。

 

―― 3万円を窃盗したスリ師は捕まりますが、300万円の賄賂を受け取った官僚は捕まりません。

――交通取締りでは高級車は捕まらず、おばちゃんや学生の乗った原付きや軽自動車ばかり狙われます。

――職質で揉めて警察を「転ばせた」人は捕まりますが、厄介な人物を「消した」ヤクザは捕まりません。

――シングルマザーの息子の非行は捕まりますが、「有力者」の息子の変態趣味はなかったことになります。

――原発事故に責任のあった人は捕まりませんが、反原発デモの参加者は捕まります。

 

 

これが世の中の常です。

 

私たちは「刑務所は悪い奴を捕まえるところ」と教えられています。しかし、受刑者たちはほんとうに悪人でしょうか?

 

実のところ、本当に悪い人は刑務所にはいないのではないでしょうか。もしそうであれば、刑務所の役割とは何なのか。だれをなんのために、閉じ込めるのでしょうか。

 

ちょろっと調べてみました。 

監獄の役割

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Peter Gelderloos:The Function of Prison | The Anarchist Libraryより翻訳(一部省略)

現代の共和政体においては、刑務所の機能は矯正にあると言われている。もし個々人が法律を破り、公益の脅威となった場合、一般的な考えでは、彼らは社会的に協力的で寛大となるよう、処罰されるか教え込まれるとされる。

 

しかし私の監獄での体験によれば、刑務所が教えることはただひとつ、服従だ。「矯正された」市民は、路上においても刑務所の規範を内在化させた者である。

 

刑務所は絶え間ない脅威となる。政府や企業が私たちの集団的資源を用いてゆくことに反対するすべての者に対して。

 

次のような批判があるかもしれない。刑務所は法律を破った反体制派のためだけにある、と。しかし問題は、政府に根本的な変革をもたらす合法的な手段は存在しないということである。

 

選挙は単純に、ポピュリストの文学的修辞がヘタなやつを取り除く、ダーウィン主義的な方法に過ぎない。

 

もしあなたが政府に求めるものが新しい銃法や企業責任法であれば、民主主義は実現するかもしれない……しかし、もしあなたが望むのが、マキャベリ的国家と企業利益よりも、人間と環境を益する社会だったとしたら、君は幸運から見放される。

 

君の政府は、君の代表者ではなくなる。そこに被統治者の同意はない。私たちはすべて民として生まれている。しかし政府は私たちの意志や参加によって生まれたのではない。実のところ、政府は私たちが存在しないほうがうまく機能する。もし君のもつ選択肢が同意だけならば、そこにコンセンサスはなく、ただ「服従」だけがあることになる。

 

私たちの仮定的批判は、私たちが言論の自由を持ち、社会に影響を与えられることを示しているかもしれない。この国の言論の自由への尊重は恣意的であり、事実上規制の対象であるという事実を脇に起こう。私は刑務所内での観察から関連づけたいと思う。

 

最大限に保守管理された独房の中に閉じ込められているとき、私は「言論の自由」を、より緩い管理の下にいるときよりも感じた。私はシャバの警察や役人たちから逃げられるときよりも、看守たちを批判し、汚い言葉で罵ることができた。つまりは、言葉は権力の壁を破壊することはできないということだ。

 

「穴」の中でだけ、あなたは好きな言葉を叫ぶことができる。刑務所では、釈放が近づくに連れて、彼らは言表しないことを学んでゆく。このことが、もっともよい教育となる。監獄の外は「超最小管理社会」として知られていると思うが、そこでは人々は抵抗しないよう訓練されている。彼らは権威的秩序established orderへの脅威ではないことを示す限りは、刑務所に入らなくてよいことを信じ込まされる。

 

もちろん、異論への抑止が刑務所の役割というわけではないし、アメリカでは異論をあげる人がほとんどいないため、そういった機能は部分的である。少なくとも中産階級においては、ガソリンが安く、贅沢な車が潤沢である限りは、自由に対する懸念はほとんどない。米国市民は最大の消費者主義であるため、私の知る外国の人々よりもファシズムと全体主義への傾向がある。アメリカ人は何でも買う。最新の政治家の嘘や、ウォルマートの最新の安いプラスチック製のクソ。

 

もっとも長い間購入された嘘は、刑務所は社会に奉仕するものであるということだ。現実には刑務所は、しばしば麻薬所有(米国では死刑の対象ともなる)などの些末な犯罪をとりあげて、黒人やラティーノ、先住民族のコミュニティのある年齢層のマジョリティを閉じ込めるために機能した。刑務所はまた、安価な強制労働を提供する。一時間一ドル以下で(しばしば刑務所生活の支出を超えることはない)、受刑者は政府機関や軍隊のための製品を生産する。実際、奴隷制を禁止する憲法改正は、投獄された場合に強制労働を可能にする抜け道を故意に作った。

 

現時点では、世界の「文明化された人々」が、即時的な罰と報酬に反応する訓練された犬よりも高いレベルで暮らすためにいかに生き、行動すべきかを学ぶまでには時間がかかる。世界中の刑務所で生命を食われている数百万人の人々に、より多くの団結と支持を与えることが私の望みである。

 

Peter Gelderloosという人はアメリカのアナーキスト作家です。1982年生まれだからまだ30代半ばですが、良い文章を書きます。彼は25歳のときにスペインで不法テロの疑いで捕まってます。彼のいう「監獄での体験」はそのときのものでしょう。


社会学界隈では、犯罪者は悪くないよ、いややっぱり悪いよ、という議論で割れているようです。でも、アナーキスト的には明白です。

 

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The Captivity is as Barbarous as the Crime - Francisco Goya · 1815

 

警察や刑務所は国家の道具です。国家は悪ですから。人民にとっては、マイナスサム――つねに悪い働きしかしません。

 

Peterの指摘する刑務所の役割については、イバン・イリイチの指摘と似ています。

刑務所は、治療的、矯正的で、同情をかもすイメージを装っている。かつて、それは獄舎に閉じこめること自体が目的であったが、現在では囚人の性格や行動を矯正するのに有効であるという目的をもって、社会の不同調者までをも犯罪人にしたてあげている。それは、精神病院、療養院、孤児院と同様の役割をもち、学校も同じものとなっている。(学校・医療・交通の神話/イワン・イリイチ 山本哲士)

結局、国家の道具であるという点で刑務所は、精神病院や学校と同質のものであると言えそうです。