齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

後悔する母親たち――子育ての理想と現実

親でいることが大好きだという人は、嘘つきかヤク中だ
“Anyone who says they loved being a parent, is a liar or on drugs.”(知らん人)

 

子どもを持つことと就職はよく似ています。

 

仕事も子育ても、それを始めるまでは、すばらしいことだ、やりがいがある、立派なことだ、幸福だ、厳しいことで大変なこともあるが、いつか報われるときがくる……と教えられます。

  

でも、きれいな嘘を一枚剥けば、醜い現実があるのがこの世の常です。

 

「私の妊娠は完全に計画されたもので、そのときはよい考えだと考えていた。妊娠するまでは、だれもネガティブなことは言わない――彼らは子どもをもつことがすばらしい考えで、きっと大好きになるだろうと信じ込ませる。でも、これは親たちだけに共有された秘密だと思うけど……彼らは自分が惨めだから、他の人にもそうあって欲しいのだ」(引用元

 

「これは私の物語です――他の人には言えないけど。……私は妊娠計画を立てました。死ぬほど子どもが欲しかったのです。死ぬほど欲しかったので、私と子どもをつくりたいという最初の男性と結婚しました。脳裏では、そのとき失敗したと思っていた。でも私はそうするだけの力があると考えていたのです。」

 

娘が産まれて二年も経たずに、父親は不在がちになり、ついに失踪した。彼女は食いつなぐことを第一に奮闘したが、それは本当の問題ではなかった。「私は深く考えた」。彼女が産まれたまさにそのとき、彼女が小さな赤ちゃんを腕にかかえたその瞬間に、「私は感じた。今でも感じている。私は間違いをおかした、と」。(同:Quoraの回答者より)

 

「母親時代の現実は、過労、退屈、体重減少、無残なおっぱい、鬱病、ロマンスの終わり、睡眠不足、失望、キャリアの不振、性行為の減少、貧困、欠乏感である。」Sarah Fischer(引用元

 

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男性にとっても、恋した女性が「母親」になった場合の危険を予期すべきです。

 

「あなたは自立したキャリアウーマンに恋しました。彼女は炊事洗濯掃除のお母さんに変身しました。そして彼女は、突然子どもにばかり話したがるようになり―それか鬱病になって―あなたを無視します。……母親が生まれたとき、彼女だったものは道端に捨てられている」Sarah Fischer(同)

 

母親はほんとうに幸福なのでしょうか。

 

漫画に出るようなキラキラしたサラリーマンを見たことがないのと同様、キラキラしたお母さんを見たことがないです。疲れ切っており、余裕がなく、ピリピリと苛立っている母親ばかり見ます。端的に言えば、「怖い」のであって、満員電車のなかで殺気立ってるおっさん/おばさんよりも戦闘力がありそうです。

 

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“無敵モード”のお母さん” Illustration of depression - 64698696

 

仕事は疲れたら脱サラやニートという手もありますが、子育てを脱サラすることはできません。鬱病になってもひどい貧困であっても、子どもを棄てることはできず、20年近くの苦役を耐えることになります。

 

この世にタブーは数あれど、「子どもを産んだのは間違いだった」と言うことほどのタブーはないんじゃないでしょうか。そんなことを公言すれば、「最低の悪魔のような母親」と見なされることは必定です。

 

でも、そういうことは正直に言って良いのかもしれません。

 

「子どもを産んで楽しく幸せに暮らせるかと思ったけど、ちっともなれなかった。大変なことばっかりで、金も時間も奪われて、いいことひとつもなかった」

 

「(内心では深く後悔しているのにもかかわらず)あなたがいてよかった、あなたがいてお母さんは最高に幸せだった」

 

どちらが子どもにとって良い言葉でしょうか? 母親の嘘なんて子どもは直感的に見抜いていますから、正直に言った方がいいのかもしれません。というか、後者の毒親感……。

 

子どもをつくる理由がないのだから、少子化は当然 

ここのところ懐疑的に出生・子育てを考察しています。調べるたびに確信に変わってくるのですが、現代の社会において、個人の主体が子どもを育てることに合理的な理由はないというように思えてきます。

 

少子化が進むのはある意味当たり前で、危機でもなんでもなく、「人類の合理的な選択」だと言えます。

 

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しかしながら、国家はつねに、国民に「生産」を要求します。

 

学生とはよい生産者になる前過程であり、社会人とは生産をする人です。そして「主婦」とは、未来の生産者を生産する人です。

 

そんなわけで、国家は「学生・社会人・主婦」以外の人々をあらゆる手段でバッシングします。でも、学校も労働も子育てもクソであることは理性ある人には明らかです。

 

「子どもを産むことは時代遅れ」という思想がこれからの主流になるのかもしれません。