齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

「良い国家」があるのではない――国家は悪である

私たちは統治されています。

 

統治とはどういうことでしょうか。それを考えてみましょう。

*1

 

統治されるとはどういうことか

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だれが統治するか:

その資格も、知識も、徳性も持たない連中

 

何がなされるか:

  • 監視される
  • 検査される
  • スパイされる
  • 指導される
  • 立法される
  • 規制される
  • 囲いに入れられる
  • 思想教育される
  • 説教される
  • 統制される
  • 見積もられる
  • 評価される
  • 非難される
  • 命令される

 

あらゆる活動、あらゆる取引、あらゆる動きに対して

  • 記録される
  • 登録される
  • 調査される
  • 課税される
  • 印紙を貼られる
  • 測定される
  • 査定される
  • 賦課される
  • 免許される
  • 認可される
  • 許可される
  • 注記される
  • 説諭される
  • 差し止められる
  • 矯正される
  • 懲戒される
  • 折檻される

 

公益という口実のもとに、また一般的利益の名において行われること

  • 利用される
  • 訓練される
  • 身代金を強要される
  • 搾取される
  • 独占される
  • ゆすり取られる
  • 絞り取られる
  • かつがれる
  • 盗まれる

 

少しでも抵抗したり、また不平を訴えた場合

  • 抑圧される
  • 改心させられる
  • けなされる
  • いじめられる
  • 追跡される
  • こづきまわされる
  • 棍棒でなぐられる
  • 武器を取り上げられる
  • 首を絞められる
  • 投獄される
  • 銃殺される
  • 散弾を射たれる
  • 裁かれる
  • 有罪を宣告される
  • 流刑にされる
  • 犠牲に供せられる
  • 売られる
  • 裏切られる
  • 物笑いにされる
  • 嘲弄される
  • 陵辱される
  • 名誉を傷つけられる

 

→それが政府であり、政府の正義であり、政府の倫理である

 

なのに

 

  • 政府にもよいところがある、と主張する民主主義者がいる
  • 自由・平等・友愛の名において、この不名誉を支持する社会主義者がいる
  • 共和国大統領に候補者を立てるプロレタリアがいる

 

それは

  • 偽善というものだ………

 

(以上は、プルードン「19世紀における革命の一般理念」から作成) 

 

「良い国家」があるのではなく、国家は悪である。

メキシコの社会学者イヴァン・イリイチは、「良い教育は存在しない。教育はそれ自体悪である」と述べました。

 

 

 

イリイチの発言は大きな破壊力を持っています。

 

私たちは基本的に、教育を良いものだと考えています。「教育は良いもののはずなのに、なぜさまざまな問題が噴出するのだろう?」と人々は議論します。このとき、人々は「良い教育」というものが何らかの形で存在しうる、と無意識のうちに前提しています。

 

しかし、「教育それ自体が本質的に悪である」とはほとんどの人が考えません。私たちは「いつか良い教育が実現できる」と考えていますが、「教育は本質的に悪」なのであれば、それは絶対に不可能です。

 

同様のことがいろんなテーマに言えます。良い警察は可能なのか。良いマスコミは可能なのか。良い民主主義は可能なのか。良い資本主義は可能なのか。いろいろな方法論はあるでしょうが、私はこれらのテーマについて、絶対に不可能だと考えています。

 

究極的には、「良い国家は可能なのか」ということにいきつきます。これも不可能です。

 

「民主主義は最悪の政治といえる。 これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」とはイギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの発言です。


実は、この有名な言葉が国家がどうやっても「悪」であることを説明しています。国家というものが本質的に悪である以上、どのような形態をとろうとも、悪なるものに過ぎません。ファシズム全体主義は悪でしたが、民主主義もまた悪なのです。

  

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「民主主義は良い。私がそう言うのは、他のシステムが悪いから。だから民主主義を受け入れるよう強制されているとも言える。民主主義には良いところも悪いところもある。単に民主主義がすべての課題を解決するかといえば、それはまったくの間違いだ。課題は知性と、たゆまぬ努力によって解決されるのだ」。……しかし、知性とたゆまぬ努力の行く先は、国家の否定ではないかと私は思う。

 

脱国家に生きたい

究極的には、「善」とは、支配や被支配と無縁のところに存在します。他者を自分の意のままに操ろうとすることは悪ですし、支配されて他者の道具となり、無知蒙昧でいることも悪です。

 

つまり、本質的に国家の中に善が存在することは難しいと言えます。

 

しかしながら、今日では「国家の外」に出ることが難しいのです。国家は国土内のすべての個人を支配しようとします。たとえば日本という国家は、北端のアイヌ民族や、はるか遠くの琉球民族を飲み込もうとします。近代国家にアナーキストが勃興したのは、国家からの逃げ場を失ったからだと言えます。

 

かつて、私たちには国家の外に生きるという選択肢がありました。いまはありません。 脱国家の空間に生きたい。つまり、自由になりたいとか、人々を自由に解放したい。それがアナーキストの願いです。

*1:……というと、“?”となる人もいるでしょう。 国家に統治されている事実を認識してもらうには、税金を考えてもらえればよいです。

 

所得税や消費税がゼロ円になったら? ビール税やガソリン税がただになったら? 大変にハッピーですね。しかし、私たちはだいたい収入の半分ほどは税金として支払っています。統治されている、ということの証左は税金です。税をとらない国家は存在しませんし、税金を取らなければ「痛い目」に遭うのはどの国家も同じです。