齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

労働に救いはない

諸君――私は労働が嫌いだ。再就職して四日目。早くも辞めたい辞めたいと考えている私である。

 

30歳近くになって新しい会社に勤めるのは、夢も希望もないことだ。入社前の私は、まちがっても「良い職場でありますように」とは願わなかった。「最悪のクソよりも少しマシなクソ」であることを祈るだけだった。新卒のときはもう少し労働に希望があったと思うが……。

 

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私は労働が嫌いだ。人に指図されるのが嫌だ。通勤が嫌いだ。人に管理されるのが嫌だ。他人のために働くのが嫌だ。朝早く起きるのが嫌だ。上司が嫌いだ。同僚が嫌いだ。

 

会いたくない人に会い、やりたくないことをやり、いたくないところにいつづけ、決して長くない人生をだれかの奉仕によって消耗させる。それが労働だ。労働は美しくない。尊くない。善いことではない。快楽ではない。人を成長させない。役立つことではない。助けになることではない。人生を充実させるものではない。

 

労働は、クソだ。クソは、クソだ。

 

嫌なことはやめろ

人は言うだろう。「みんな嫌だけどがんばって働いてるんだ。我慢しろ」、と。

 

で、がんばったら何か良いことがあるんだろうか。ない。がんばったら、がんばらない人が吸い取っていくだけだ。経営者や自民党や官僚や皇室が奪っていく。日本は、既得権益が好きなだけ搾取することにかけては妙に完成度の高い国だと思う。 

 

「嫌だけどがんばる」精神が低賃金の長時間労働を生んでいる。他者の弱さに不寛容な社会を生んでいる。「嫌だけどがんばる」人は過労死したり、企業に良いように搾取され、ろくに貯金もできずに退職する。これが美徳だろうか。単なる無思考、無行動でしかない。洗脳されたラジコンロボットの戯言だ。

 

「嫌だからがんばらない」人の方がずっと立派だ。自然で合理的で理性的だ。

 

働く以外の道はないのか

私にとって、「会社にいる人間」はそれ自体がルーザーの証のようなものだ。すでに初老と言える年齢(彼らからすれば「まだ若い」のだろうが)で会社員をしている人は、私には奇異に見える。彼は死の間際に人生に満足して死ねるのか。

 

かといって、それ以外でどうやって生きていけというのか、と言われるかもしれない。たしかに「労働か、破滅か」という状況に置かれている。そこに人生の悲惨がある。

 

私たちには無数の自由があるように思われる。努力さえすれば何にだってなれる、と聞いて育ってきた。でもどうだろうか。私たちの大半は、したくない仕事を「嫌だけどがんばる」しかない状況に置かれている。いつ私たちに選択肢が与えられていたのだろうか。「若いときには、何にだってなれる気がしていた」という常套句がある。しかし、若いときだって、そんな選択はなかったのではないか。

 

「賃金労働者として働くか破滅か」。95%くらいの人はそのような状況に置かれている。結局、自由労働者といっても、鎖に繋がれた奴隷と大した違いはない。