齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

社会が狂っているのか、個人が狂っているのか

「精神病は“正常の狂気madness of normalcy”からの逃避なのだ。」

 

「精神分裂者は、内なる世界を精神分析家に教えることができる――精神分析家が患者たちに教えるよりも」

 

「すべての狂気を破壊breakdownする必要はない。それは打破breakthroughでもありうる。狂気は奴隷化と存在的死であるのと同じくらい、解放と革新の潜在的可能性である」 

 

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Neurotic Turnという本を読んでいて、R. D. ラインの存在をはじめて知った(上記は同書から翻訳)。ラインは「反精神医学」の走りらしいが、日本ではあまり有名な学者ではないような気がする。

 

彼は61歳で心臓発作で死亡。2008年に息子さんがインタビューに応じており、記事になっている(2008年はもう10年前か……)。

My father, RD Laing: 'he solved other people's problems - but not his own' | Books | The Guardian

「私の父は他人の問題を解決したが――自分の問題は解決しなかった」というタイトルは物悲しい。それが父に対する発言であることも。

 

「狂気」は悪だ――conformismとメインカルチャーにおいては

メインカルチャーにおいては狂気は「悪」であり、サブ/カウンターカルチャーでは狂気は肯定的に受け止められる。

 

たとえば会社で「あいつは狂っている」と噂されれば、それは良い意味であるはずがない。しかし個展やロックのライブ、あるいはニコ生で「あいつは狂っている」と評されればそれは「良い」と見なされる。

 

芸術や音楽では、狂気のない作品は認められない。いくら完全で美麗であっても「技巧だけで魅力がない」とみなされる。画家気取り、音楽家気取りの普通人は、「狂気」を持つ人やその取り巻きに嫌悪される。サブ/カウンターカルチャーにおいては、狂人が普通人の上に立つのだ。 

創造的な人間は、創造的熱狂を伴って霊感がひらめく段階においては、過去と未来を失い、今の瞬間だけを生きている。彼は現在に、目下の状況に、今この場にあるものに、現時点の課題に、完全に没頭し、魅了され、熱中している。「現在に没頭」する能力は、いかなる種別の創造にとっても必要条件であるらしい。(マズロー)

 

実際、芸術家や音楽家には精神病者が多い。秀でた哲学者や科学者も同様である。

 

パソグラフィー、という学問がある。偉大な功績を残した者がどのような人間だったかを調べる学問である。その古典である「天才の心理学」において、クレッチマーはこう書いている。

 

天才、少なくとも特定の型の天才の間には、普通人の間におけるよりも、精神病なかんずく精神病質的中間状態の者が圧倒的に多く見られる。

 ソクラテスは癲癇だったし、ゲーテはたぶん躁鬱だった。ニーチェは発狂したし、カフカは神経症だった。

社会が狂っているのか、個人が狂っているのか

私はラインの「統合失調症者は常識という狂気からの逃避である」という主張を判断できるほどの学識はない。 

 

ただ、狂人の声に耳を傾けるべきだと思う。現代の社会構造が間違っていて、狂人が正しいということが大いにありうるのだ。

 

単純に言って、私たちの「当たり前の社会」は狂っていませんか?

どうして「私たちが正しく、彼らが狂っている」と言えるのですか?

 

 

 

マッ、normyたちはこんなブログ読まないからこの問いは意味なさないのだが。(´^ω^`)オッペケペー

 

 

「ある種の精神にとっては一粒の小さな狂気のほうが、わずかな貴族の血にまさるだろう。半狂人がいなくなったあかつきには文明社会は滅びるであろう。溢れる知恵によってではなく、溢れる凡庸さによってである。これは掛け値なしに断言できる」キュレール