齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

「普通の人」ほど凶悪になりやすい

1960年――アイヒマンが捕まりました。

 

史上最大の極悪人、ホロコーストの責任者である彼が、逃亡生活の果てにモサドによって捕まったのですが、蓋をあけてみればどこにでもいそうな平凡なおっさんでした。

 

f:id:mikuriyan:20180310221958j:plain

 

悪魔のような犯罪人を予想していた世界中の人びとは「どういうことだ」と動揺しました。世界中が注目する裁判で、彼は「命令に従っただけだ」とサラリーマンのように主張しました。 

アイヒマンの衝撃

世界にとって、アイヒマンは極悪人でなければならなかった。というのは、「彼がどこにでもいそうな会社員」だとすれば、だれもかれもがアイヒマンとなってしまう恐れがあり、一生懸命ナチスを倒したのに、第二第三のナチスが生まれることになります。戦争で勝ったのになんとも煮え切らない結末です。

 

はたしてアイヒマンは「凶悪」だったのでしょうか? このような疑問からなされた実験が、1960年の「ミルグラム実験(別名アイヒマンテスト)」、それにインスパイアされた1971年の「スタンフォード監獄実験」でした。いずれの実験でも、「普通の人」が役割や命令によって「極悪人」となることが明らかになりました。私たちの心の中にアイヒマンあり、ということです。

 

またアイヒマンのように、普通の人が悪に転ずることを哲学者のハンナ・アレントが指摘しています。彼女は「悪の陳腐さ」と表現しています。

彼は愚かではなかった。完全な無思想性―――これは愚かさとは決して同じではない―――、それが彼をあの時代の最大の犯罪者の一人にした素因だったのだ。このことが〈陳腐〉であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してもアイヒマンから悪魔的な底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、これは決してありふれたことではない。(ハンナ・アレント「エルサレムのアイヒマン」)

 

つまり、アイヒマンは特別に悪い存在(悪魔)ではなく、かえって凡庸な無思考な人間だったゆえに悪行をなしえたのだということです。

 

普通の人は自分の行動を理解していない 

戦時中のような異常な環境では、平時では「優しいお父さん」だった同じ人が、戦場では民間人を虐殺し、金品を強奪し、レイプして回ったというのは日本でもよく聞く話です。このように、環境が変われば「普通の人」がもっとも恐ろしい存在になりかねません。

 

「普通の人」の問題は、自分がしていることを批判的客観的に見ることができないという点にあります。

 

彼らは自分の行動の責任を取れません。「だってみんなそうしているし」「上司がやれって言ったから」「そうしなければ自分や家族の立場が危うくなるから」というわけです。「私は自分の意志でそれをやった、私が悪かった」とはぜったいならないわけです。自分が悪いという自覚がないから、凶悪な行為にも歯止めがきかないのです。

 

平時であれば、「良いお父さん」である彼も、周囲が金品強奪をしていれば自分も強奪し、レイプしていれば自分もレイプするのです。そういう人が、終戦後は何事もなかったかのように「良いお父さん」に戻ることは大戦後の日本でもよくあった話のようです。

 

詳細を調べたわけではありませんが、「普通でない人」はそういった戦争犯罪に加担しなかったのではないかと思います。

 

というのも、彼らは一般的に「命令」に対して不服従ですし、また、平時から白い目や好奇の目で見られるので、自分の行動を批判的客観的に思考することが習慣化しています。つまり彼らは「私はなぜそれをするか」という点について理性的であると言うことができます。

 

自分が何をしているのか知ること

大半の人は「自分がなぜそれをするか」を考えていません。なんとなく学校へ行きなんとなく会社へ行きます。学校では利口な学生になれというので利口な学生になりますし、会社では勤勉な社員になれと言われるのでそうします。ポケモンGOやインスタグラムが流行ればそれをやります。そこには理性はありませんし、意志もありません。

 

f:id:mikuriyan:20180310230217j:plain

 

ふつうの人びとは、「残虐な兵士になれ」と言われればそうなります。相手国は犬畜生だ、極悪人だ、と言われれば「そうなのか」と信じて、敵国の民間人を犬畜生のように虐殺します。

 

現代でも組織犯罪には極悪人というよりは普通の人が関与しているケースが非常に多いのです。 

 

警察の腐敗を指摘すると「なかにはまじめな警察官がいる」というような反論もあるのですが、まじめな人ほど危険なのであり、彼は上司の命令にしたがってまじめに不正を行います。金をせびるための交通取締りとか、職権乱用の職質も一生懸命取り組むのが「まじめな警官」です。 

 

このように考えると、世の中普通の人間ではおかしなことになるから、風変わりな変人も必要なのだということがわかるでしょう。また、「国家一丸となって」「一億総○○」などという文言には大いに警戒すべきだと言えます。