齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

森田療法と修道院の関係性

神経症の治療法として、もっとも有効とされているのは「森田療法」です。これは神経症である私が調べた結果なので、たぶん間違いないかと思います。

森田療法とは

森田療法は入院治療なのですが、必ず以下の「絶対臥褥期(ぜったいがじょく)」という過程を辿ります。

第1期(絶対臥褥期)
絶対臥褥期ともいい、患者さんは終日個室に横になったまま過ごします。食事、洗面、トイレ以外は一切の気晴らしは禁じられます。あらかじめ患者さんは「不安や症状は起こるままにしておく」よう指示されます。

最初の1~2日は心身の安静が得られますが、3日~5日目頃には過去や将来に様々な連想が広がり、しばしば強い不安や苦悩に襲われるようになります。この時に不安をそのままに堪え忍んでいると、悩みが急速に消失することもあり、これを森田療法では「煩悩即解脱」と呼んでいます。
その後6~7日目には退屈を感じて心身の活動欲が高まってきます。これがその後の治療の足がかりとなるのです。(神経症(不安障害)と森田療法〜公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団

 

この段階では、いわゆる「社会的」なものを一切廃絶します。今であれば「スマホ」は厳禁ですし、テレビやラジオ、音楽、書籍、新聞などを許しません。ただ「在る」状態にさせます。

 

いわば洞窟で瞑想する修行僧に近いような状態において、社会の毒気を取り除きます。この一種のイニシエーションが済んだあと、彼を共同生活に送り込みます。

 

第2期(軽作業期)
軽作業期と呼ばれ、4日~1週間程度の期間です。心身の状態を多少欲求不満状態において、活動欲を促すことが目的とされます。患者は庭に出て外界の観察を行い、徐々に軽い仕事をしていくのですが、作業に関しては外から課すのではなく、自発的に気づいた事に向かわすのが原則です。

またこの時期から日記指導を行い、週に1~3回程度、主治医との個人面談も行います。この頃には不安が再燃したり、作業に疑問を抱いたりと心が揺らぎやすい時期にあたります。
この時に、不安や疑問をそのまま抱えながら体験を積み重ねるよう指導されます。 (同)

 

これが第二期です。この後第三期、第四期と続くのですが、ここでは省略します。詳しくは引用元を読んでください。

 

入院患者たちは、完全隔絶の状態から解放され、他の入院患者との交流をはじめます。交流というか、寝食を完全にともにするわけです。また、主治医との日記のやりとりをします。

 

共同生活といっても、それらはただの人ではありません。同じ「神経症者」同士のグループであり、主治医も単なる医者ではなく神経症に理解のある医者となります。

 

ここでの医者の役割は非常に重要です。かつての入院患者は、「森田療法は森田先生の人柄があってこそで、普通の医師が継承するのは難しいのではないか」と言っています。

 

これはそのとおりで、一通りのトレーニングを受けてあとはガイドラインに沿って行えば「治療」となる他の医学分野とは大きく異なります。治療者というよりは、指導者のような役割が求められます。

 

いずれにせよ、ここで重要となるのは社会からの断絶です。親や学友といった「社会的なもの」は慎重に除外されます(そのための入院療法です)。

 

特殊な医者と特殊な患者たちの場空間において、一種独特な世界が構築されます。

 

修道院生活としての森田療法

私はあるときふと気づいたのですが、森田療法は完全に修道院の生活です。独自のルールや価値観が支配する、社会から隔絶された、共同生活というのは、まさに近代国家によって破壊されてきた修道院に近い気がします。

 

修道院といっても、キリスト教的である必要はありません。それに類する宗教集団、あるいはギルドのような職業集団でもかまいません)

f:id:mikuriyan:20180225130701j:plain

 

個人的に森田療法は、一種のアジールの再現であるという気がします。昔であれば神経症者は、寺や宗教者団体に参入し、心の平穏を得ていたのだろうと予測します。

 

現代では国家的な事情によって、そういったシステムを利用できない――国家は「単一の国民(独自の価値観の否定)」「単一のルール(法律)」を求めるからです。そこで森田療法のように「医療」という形でアジールが再現されているということです。

 

森田氏や神経症者のルポを読んでも、直接そのように記述されているのはまだ見たことはありませんが、森田自身、東洋哲学や仏教に造詣が深く、多くの部分でヒントを得ていると言えそうです。

 

ただ、修道院との違いもあります。神経症者はいつまでも修道院にいるわけにはいかず、そこで治療されなければならない、つまり神経症という症状をなくして、社会復帰しなければならないということです。 これが「いつまでもそこにいる」修道院との大きな違いです。どちらかといえば、人生に悩んで一時的に「出家」するタイの仏教徒に近いのかもしれません。

  

いずれにせよ、森田療法はかなりの部分でアジールと似通ってそうです。このことは現代のアカデミズムでは多分指摘されてないことですが、どうなんでしょう?

 

f:id:mikuriyan:20180225130548j:plain


しかし、森田正馬という人物は一筋縄ではいかない人物です。

そもそも、明治政府にしたがって精神医学を策定したのが彼です。つまり日本に近代的な精神病を持ち込んだというか。そんな彼が次には「神経症者は病気ではない」などと言うのですから、大人物ではありますが、なかなか食えない人です。