齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

鬱病はほんとうに「病気」なのか

抗うつ剤の動物実験をする際の話です。


動物には鬱病は存在しませんので、ラットを鬱病の状態につくりあげなければいけない。

そこで次のような前準備をします。

 

学習性無力:動物をフットショックから逃れられない状態下に長い間置いた後,逃げる意志があればフットショックから逃れられる状態下に置く.抗うつ薬はフットショックから逃げるまでの時間や失敗回数を減少させる.

強制水泳試験はラットを脱出不可能な円筒状のプール内で強制的に泳がせる
脱出できないと分かり、無動状態(水に浮いているだけ)の時間が増える
それを「うつ様状態」と仮定して、抗うつ薬と考えられる物質を与え、無動時間が短くなれば効果があると判断する

アニマルライツセンター「うつ病動物モデル」より

 

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動物愛護団体からの引用ですが、ここでは動物倫理には触れません。

 

メランコリアと鬱病

私はこの実験を見るたびにこう思うのです。「人間にも本来、鬱病はなかったのではないか?」と。

 

もちろんメランコリア(憂鬱質)は文明のかなり早い時期からありました。紀元前2000年のメソポタミア文明に同様の記述があるとされます。

 

そして、メランコリアが「病気」となったのも早い時期です。紀元前5~4世紀のヒポクラテスがはじめとされています。そういう意味では、病気としてのメランコリアの歴史は古いのですが。

 

ただ、それは現代医学的な意味での病気ではなく、「体質」「気質」と不可分だったと思います。

 

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12~13世紀の『サレルノ養生訓』には以下のような記載があるようです。 

 

黒胆汁質(憂鬱質, en.Melancholic):寡黙で頑固、孤独癖があり、運動も休養も社交も好まない。強欲で倹約家、利己的で根に持つタイプ。神経質で自殺傾向がある。注意深く明敏、勤勉で、一人で思索に耽ってばかりいる。黒胆汁は主に悪いイメージを持たれ、狂気・精神錯乱と関連する体液といわれたが、天才を生み出す体液だとも考えられた。土気色で乾燥した冷たい皮膚をして、たいてい痩せている。脈は遅く耳は遠い。欠尿症で、食欲はあったりなかったりである。(四体液説 - Wikipedia

 

身近にこういう人、いますよね? 私の大学の知人は一時期鬱で出席しなくなりましたが、まさにこのタイプでした。「さもありなん」といった感じですね。

 

あらゆる歴史において、苦悩しやすい気質の人は常に苦悩してきたのでしょう。

 

苦しまなくていい人が苦しんでいる

でも、現代の鬱病ってどうなんでしょう。私は彼らが「苦しむように生まれた」人には思えないときがあります。

 

たとえば、現代の鬱病患者に多い性格は「生真面目、几帳面、完璧主義、凝り性」「責任感、義務感、自己責任の意識が強い」と精神科医によって指摘されています(引用元)。

 

これ、メランコリックの「寡黙で頑固、孤独癖があり、運動も休養も社交も好まない。強欲で倹約家、利己的で根に持つ、注意深く明敏、勤勉で、一人で思索に耽ってばかりいるタイプ」と似ているようで、違う気がするんですよね。

 

端的にいえば、メランコリックは自分本位ですが、多くの鬱病患者は他人本位であるような気がします。

 

実際のところ、大半の鬱病患者はメランコリックではないように思えます。彼らは体質的に憂鬱になりやすい気質であるというよりは、「溺れさせられたラット」や「電気刺激を与えられ続けたラット」のように感じられます。

 

たとえばブラック企業でこき使われて鬱病になる人は、メランコリックとは言い難いのではないかと思います。彼はどちらかといえば、素朴で、真面目で、お人好しで、そしてものすごく搾取されている人だと言えます。ブラック企業だけではなく、抑圧的な夫に従う妻とか、毒親のような支配的な親に育てられた子どもは鬱病を発症しやすいでしょう。

  

つまり、こうです。単に「苦しめられている」だけの人が鬱病とされていないでしょうか。それは本人に内在する問題ではなく、外から与えられた苦悩なのではないでしょうか。 社会的抑圧に対する正常な反応が、「病気」として処理・封殺されているのではないでしょうか

 

精神医学という社会システム

 現代の精神医学は権力の道具として機能しているように見えます。

 

たしかに、苦痛に麻痺したラットたちの「痛みを緩和し」「活動的に」変えれば、それはひとつの解決になります。ラットたちは溺れさせられても、電気ショックにも平気になるでしょう。

 

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でも、それでいいのでしょうか。  

 

そんなことは、明らかに「治療」とはいえないでしょう。

 

ほんとうの解決とは、水から助け出してあげること、電気刺激を取り除いてあげることではないでしょうか。

 

そのためには、彼らを苦痛のままにおくこと……それがどんな結果を導こうとも、介入しないこと。それが結果的には、彼らを解放に導くのではないでしょうか。私はそう考えます。

 

苦悩する人間Homo patientsは運命と病気の和解のうちに、彼の運命に対する態度のうちに、一つの――いやもっとも深い意味を満たし、一つの――いや至高の価値を見出すのである。(神経症/V. E. フランクル)