齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

すべての社会には革命が必要

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今日は特になにもすることなく終わったのです。

 

プルードンクロポトキンバクーニンシュティルナーあたりを読んでいます。

 

これらの思想家は、先月までノーマークでした。一気に世界が広がった感じがうれしいです。直感したとおり、彼らのアナーキズム思想はアルプスの湧き水の如くすんなり飲みこめます。

 

バクーニンはこう言っています。

 

「自立して願望し、自主的に思考する、と言えるような人間は、千人のなかでかろうじて一人あるくらいなものであろう。……圧倒的な数の人間は、彼らのまわりのすべての人が望み、考えることしか、望み、考えようとはしないのだ」

 

ほんこれ。私が1000人で1人だというのではないですが、本当に人々の頑迷さや蒙昧さには唖然とさせられることがあります。

 

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最近まで私は、「日本人は目を開いていない」と考えてきました。つまり外国人はきちんと物事を判断できており、一方で日本人は自分が何をしたらいいのかもわかっていない、と。

 

これは比較としては正しいと考えていますが、結局、先進的な国でも大半の人は無知蒙昧で、大きな差はないのではないかと考えています。(欧米先進国でもデイビッド・アイクは大人気なのです)

 

結局、世の中の三分類を再考することになります。

  • 支配する者
  • 支配される者
  • 支配と無縁な者

このうち、もっとも自由な者はいちばん下であることは、言うまでもありません。支配する者も、支配される者も、不自由で、迷妄にとらわれています。支配と無縁な者こそ、「1000人に1人」になれる人なのです。

 

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世の中というのは、社会のつまはじきものの少数者が変えるものです。少数者が火をつけて、多数者が燃料となって、一気に社会を作りかえます。

 

その社会では、新たに支配者と非支配者が生まれます。そして支配とは無縁の少数者も。時間が経てば、新たな変革のときがやってきます。

 

この「革命」の段取りは、社会の異常ではなく、一種の必然といえます。プルードンはこう書いています。

 

「反動の本能がすべての社会的制度にとって固有なものであるように、革命の必要もまた同様に不可抗力である」

 

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つまり、社会とはそれ自体が保守的で、現状維持的conformismなのではありません。あらゆる社会は崩壊の芽を内部に含んでいます。社会のホメオスタシスは、定期的な自己の破壊を求めるのです。

 

今の社会や制度が永遠に続くように考えていても、気づいたら一気に崩壊して変わってしまう、ということがあります。

 

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もっとも、それが必ずしも「進歩」とは言えないこともあるでしょう。いくら社会が変革を繰りかえしても、それが完全だと思っても、次には破壊が待っています。

 

完全な人間が存在しないのと同様、完全な社会も実現は不可能なのでしょう。社会は永遠に安定せず、ひっくり返り続けなければならない。まあ、一種の業といえるのかもしれません。

 

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「あの絵ってなんだっけ?」と思い立って調べたら、パロディがたくさんあっておもしろかったので貼りました。

タイトルは「アメリカン・ゴシック」ですね。