齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

ニートと悟りへの道

ニート期間もあと少し。結局、仕事を辞めてから9ヶ月間ニートしたことになる。

 

私はニートになってよかったと思っている。それどころか、もしニートにならなかったら……と思うとぞっとする。それくらい有意義な時間だった。

 

学生でも会社員でもない、「ただの人間」という宙ぶらりんな状況をはじめて経験することができた。何をするでもない、ただ気の向くままに漂う。そんな生活のなかで、世界がほんとうに広いことを知ることができた。

 

私は「社会」のなかに人間が存在すると思っていた。でもそれは違った。既存の社会は、一個の片隅だ。いわゆる社会人とか、学生というのは、それだけでは壁ばかりを眺めているに等しい。

 

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何かを追い求める必要はない。立ち止まって、周囲を見渡すだけでよかったのである。

 

私は特にニート期間でなにかしたわけではない。海外旅行に行ったけど、それは本質的なことではなかった。

 

旅行から帰って、ただただ部屋に閉じこもってネットや読書をしたり、図書館へ行ったり、気ままに勉強していた。実は、その何気なくしていた勉強が、もっとも大事なこと、私の本性が求めることだったと思う。

 

「しなくてはならない仕事を、執着することなく行え。執着せずにおのれの仕事をなす者こそまことに至上の到達点に達するからである。」

「本性により定められた行為をすれば、人は罪に至ることはない。」

バガヴァッド・ギーター


もっとも、本性は人によって違う。家庭や労働を大事にする人、富や権力を大事にする人がいる。だから、だれもがニートになれば良いというわけではないけど――

 

 ぶらぶらと、自由に、求める知を追求する。どんなエリートでも、ふつうそのような経験はできるものではない。むしろエリートこそ慣例や社会通念に束縛されているものだ。

 

だから私は、東大卒の官僚や大学教授といった知的エリートが怖くなくなった。彼らは実のところ、知に祝福されていないのだ。

 

ニートが東大教授を超越するなんて冗談のようだ。しかし、もっとも下等とみなされている道が、ほんとうは至高の道ということがありうる。きれいはきたない。きたないはきれい。ドラクエの「遊び人」のキャラが「賢者」になる感じで。

 

 

もし人間の知識のすべてが巨大なヒエラルキーを構成しているとすれば、精神の高地は、最も一般的かつ抽象的な考察において、その最上部に位置している。


しかしここに足を踏み入れる人はほとんどいない。そうしたところで何の実益もえられないからである。だがここには、この物質世界同様、それ特有の厳粛な美がある。ここを旅する人にとってその辛苦が報われるのは、この美あればこそなのだ。(禅とオートバイ修理技術/ロバート・M・パーシグ)