齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

クリエイティビティのジレンマ

日本に創造性が生まれないのはなぜか。少し古い社会学の理論であるRobert K. Mertonの「緊張理論」を調べていたら、その理由がわかった。 (なお緊張理論については「緊張理論」概説を参照)

 

現状は「言われたことをこなす」社会

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ほとんどの国民が赤枠に収まっているのが現状の日本だ。つまりconformityとritualismが主流。Conformityなのは、「高学歴・大企業・優等生」といった人々。Ritualismは「低収入・中小企業・従順」といった人々。

 

大企業や官僚といったエリートたちが、従順な高卒者などの工場労働者を率いる――日本型経営、日本型教育は、商品をとにかく大量生産して、安く売ればよい時代では機能した。

 

しかし現代は、脱工業化社会。従順に働く労働力よりも、イノベーションやクリエイティビティの方がはるかに重要な社会になっている。日本企業も大いに危機感を持っているところだ。

 

イノベーション中心社会は

さて、イノベーションが活発となる世の中は、以下の赤枠が活性化する社会だ。

 

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Innovationな人々とは、そのものイノベーションの担い手。社会的目標を獲得するための新しい手法を思いつく人。ガラケーは終わってるからiPhone作ろうぜ、というのがその類。

 

Retreatismは、社会的目標もその手段(勤勉に働く)も拒絶して、薬中とかニートになる人。そういえばジョブズLSDが決め手になった(?)人だね。

 

日本がイノベーションを求めるのであれば、ConformityとRitualism中心の社会から、InnovationやRetreatism中心の社会に移行しなければならない。既存の方法:Institutionalized meansにとらわれず、画期的な新手段を打ち出す。

 

でも、実はそれは日本という国家が死ぬほど恐れている社会なのだ。

 

革命への恐怖

なぜかというと、RetreatismはRebellionを生む恐れがあるからだ。

 

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Rebellionは、Retreatismのように社会から逃避・隠遁するのではなく、逆に社会に積極的に働きかける。つまり革命家や政治活動家である。

 

暇で時間のある人が政治活動家になりやすい実例としては、学生の政治運動があげられる。また私も最近ニート生活のなかで、政治活動の重要性を認識した。

 

日本は先進国とは思えないほど不正と腐敗だらけで、政治活動家があらわれるとひとたまりもない。彼らの出現は皇室や大企業、自民党、官僚といったいわゆる「既得権益」を揺るがす恐れがある。

  

しかしかつてのように冤罪で処刑したり(幸徳事件)、憲兵に撲殺させる(甘粕事件)のはもうできない。 

 

したがって、今日本の舵取りをしている政官財が試みているのは、Retreatismを厳しく罰するような社会である。

 

ニートを罰し、愛国心を植え付ける

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第一にRitualismがRetreatismにならないようにする。まじめに働くことは良いことです、ニートは悪い奴ら、という規範を維持する。

第二に、上層のエリートにはinnovationの精神を植え付ける。自由にやっていいですよ、思うままやってみなさい。一部の大企業では徐々にそういう教育をしているはず(たぶん)。

 

このようにして、RitualismをRetreatismにしないまま、Conformityを徐々にInnovationにしているのが今の日本の戦略なのではないかと思う。

 

ただ、そんな中途半端な策では日本のクリエイティビティは底辺のままだろうし、世界をリードする画期的な商品はTOTOのトイレくらいで、経済は没落する一方だろうと私は見ている。

 

クリエイティブな発明は、人々がルーズな文化の中で、好きなことを好きなだけ追求できる環境で発生するものだと思う。ニートや引きこもりはinnovationのはじまり。もっと社会的に容認されるべきだろう