齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

齟齬

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苦しむことの意味

現代社会にすっぽりとおさまり、なに不自由なく人生を楽しむことができる人がいる。彼にとって、なにもかもが自分のために用意されたかのようだ。買い物は楽しい。仕事は楽しい。Facebookは楽しい。恋愛は楽しい。日本も、現代も、すばらしいものだ! そんなことは、いまさらいうまでもない。 

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一方で、なにもかも肌に合わず――他の人と同じように学校へ行き、会社で仕事をしているだけにもかかわらず、へとへとに疲れ切って、ボロ雑巾のように消耗してしまう人がいる。親も教師も上司も友人も、彼にとっては紙やすりのようだ。彼はキチガイとか、変人のように扱われる。彼は自分を消してしまいたい衝動にたびたび襲われる。

 

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いわずもがな、「苦しみ」は現代社会のタブーだ。医療や福祉の持つ消しゴムで消さなければならない。

 

なぜかといえば、苦しみこそが知への道筋だからだ。社会は半分眠っている人のためのもので、目覚めた人は厄介者でしかない。

   

現代社会のなかに安住し、何に対しても親しみを感じる人が、社会のこと、人生のことをより深く知ろうとは思うはずがない。

 

現代社会のイバラの中をかいくぐり、傷つき、敵対し、孤独と痛みに耐えてきた人は、この世のことをより深く知る。

 

 

痛みとは、私達を健康に導くものである。そして健康とは、自分がなりたいものになること、自分がいたいところにいること、したいことをすることであり、痛みはそこへ個人を導こうとしているのだと思う。。

 

苦しみは知の前提だ。それを無視したり、軽視したり、消してしまってはいけない。

 

 

人を執着から離れさせないような苦痛は、どれも無用な苦痛である。これ以上におそろしいものは何もない。冷たい砂漠、ちぢみあがったたましい。オヴィディウス。プラウトゥスの奴隷たち。(シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵」)