齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

徴税は奴隷労働である―Nozickの議論

Nozickのおっさんは変なことを言うなあ、と前々から思っていた。

 

所得税は強制労働であるというのだ。

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ロバート・ノージック(Robert Nozick、1938年11月16日 - 2002年1月23日)は、アメリカ合衆国の哲学者。ハーバード大学哲学教授。

労働で得られた所得に対する課税は、強制労働に等しい。

ある人はこれをまったくその通りだと気づく。n時間の労働の対価を奪うことは、n時間をその人から奪うことに等しい。それは人びとにn時間、別の目的のために働かせるようなものだ。別の人は、これがバカげていると考える。そうであっても、もし彼らが強制労働に反対するのであれば、失業者のヒッピーたちを貧者の利益のために強制労働させることには反対だろう。そして彼らはまた、貧者の利益のためにそれぞれに毎週5時間、余計に強制労働させることには反対するだろう……。

 

原文は「Anarchy, State, and Utopia」という本から。

上文はネットで拾ったものを翻訳したもの。

引用元:Robert Nozick on Taxation | The Bully Pulpit

 

 

ちなみに日本語版↑を買うと、5940円もする。

Amazon.comではKindle版が8.5ドル、ペーパーバック版が14ドルだぜ。

586ページの大著だから高いんだろうけど、いくらなんでも、ねえ……。

 

  

別の哲学初学者向けの本でNozickの議論を論理化していたので訳して引用する。

 

P1. 強制労働(奴隷制のような)は以下のようなときに発生する。i:人が過酷な刑罰(痛み、監獄、死、他)に対する恐怖から労働するとき、ii:労働の利益がどこかへ行ってしまうとき

P2. すべての形態の強制労働は悪である。

P3. 国家はすべての市民の労働に対し、貧者の救済のための税金を払うことを要求し、そうでなければ過酷な罰を与える(監獄のような)

P4. Aは働く市民である。

 C1. もし市民Aが税金を払わなければ、過酷な罰を与えられる。つまり、監獄に入れられる。 (P3の実質含意)

P5. もし市民Aがより多く働かなければ、彼は税金を払うことができない

 C2. もし市民Aがより多くの時間を働かなければ、彼は過酷な罰を受ける。つまり、監獄に入れられる(C1,P5の仮言三段論法)

P6. 得られた賃金は貧者の元へ行ってしまうので、市民Aはより多く働くことによって、何ら利益を受けない。

 C3. 税金を払うためにAが費やした時間は、市民がi 過酷な罰の恐怖から働いており(C2より)、ii彼の労働の利益はだれか他の人の元(貧者)へ行ってしまう。

 C4. 市民Aが税金を払うために金を稼ぐために働いている間、彼は強制労働を行っていた。つまり、奴隷制である。(P1,C3の前件肯定)

 C5. 貧者を助けるために市民Aに課税することは、悪である(P2,C4のインスタンス化)。

P7. この議論は、それぞれの納税者に当てはまる。

 C6. すべての課税の事例は悪である(C5,P7のインスタンス化)

 

課税は強制労働である、とNozickは言ってのけるのである。

なんてアナーキーなんでしょう笑

 

現状私たちの収入に課せられている税金は収入の1/3~半分くらい。

年間200日働くとしたら、70日~100日は強制労働になるということ。

働くのが馬鹿らしくなってしまうね。

 

ちなみに、Nozikの記述は以下のように続く。

 

生活上の必要よりも収入を得るために長時間働くことを選んだ人は、休暇や休みの日にできる余暇活動よりも、よりよい商品、よりよいサービスを好む。

長時間働かないことを選択する人は、より多く働くことで得られる消費やサービスよりも、余暇活動を求める。

こう考えると、貧者に奉仕する目的である人の余暇を制限する税制が違法であるならば、一体なぜだれかが良い商品やサービスを受けることを制限することが合法なのだろうか? 

私たちは、幸福のために物質的な商品やサービスを必要とする人と、幸福のためにそれらを必要としない人に対して、なぜ違う扱いをするのだろうか。

なぜ映画を好む人(チケットのために金を稼ぐ必要のある人)は貧者の援助の義務に応じなければいけないのに対し、日没を眺めることが好きな人(金を稼ぐ必要のない人)はそうではないのか? 

実際、楽しみのために働かなければならない、不幸な貧者にさらなる重荷を背負わせる一方で、余計な労働をせずとも簡単に実現できる喜びを持つ者を無視して再分配することは驚くべきことではないだろうか? それどころか、人は反対のことを期待するだろう。

物質的な欲望や喜びを持つ人が、余計な金銭のために労働(その行動に報酬を払う価値があるとみなす人がいる)をしなければならず、その上彼の欲望の実現は制限されているというのに、なぜ非物質的、あるいは非消費的な欲望を持つ人がその欲望を妨げられずに満たすことを許されるのだろうか。

 

これは私もつねづね思ってきたこと。

 

私は猫に餌をあげたり、図書館で本を読むのが趣味だ。趣味に必要なのは、金よりもずっと時間である。欲望を満たす上で金が必要ないから、事実上働く必要がない。したがって貯金が溜まった現在はニートをしている。ニートである以上、課税の魔の手(つまり奴隷労働)を免れている。私は好きなだけ猫に餌をあげ、読書を楽しむことができる。

 

一方で、高級グルメが趣味、高級車が大好き。クルーザーや自分の競走馬が欲しい、毎週ゴルフしたい……なんてセレブ志向の人は金をバシバシ稼がなければいけない。こういう人は、理想の生活のために身を粉にして働くわけだ。しかし彼らにはニートより遥かに重い税が課せられる。税金を払わなければランボルギーニが買えたかもしれないのに、現実にはレクサスになってしまう。

彼の働きに賃金が与えられるということは、世の中から必要とされていることを意味する。ニートがぶらぶらしているよりはるかに公共の利益となっているはずである。しかしそういった理想的人物が、貧者のためにより多くの時間、強制労働に従事しなければならない。奴隷的身分を強制されている。それはおかしいだろう、とNozickは言っているのだ。

 

確かに不公平だ。「働いたら負け」が正しいことになってしまう。

 

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でも、税ってそこからとるしかないし

現在の税制では金を稼ぐほど所得に対する課税率は高くなる。それだけでなく、贅沢に消費すれば同様に所得に対する課税率は大きくなる。自動車や住宅を買うとそれに対する課税がなされるし(固定資産税、自動車税)、輸入品が好きであればそれだけ関税を多く払うことになる。 

 

「たくさん稼ぎましたね、それでは税をたくさんいただきます」

「たくさん贅沢しましたね、それでは税をたくさんいただきます」

これが大部分の人びとが納得する徴税のリクツである。

 

Nozickの言っていることはもっともだと思うのだが、現代の資本主義国家は労働―消費のサイクルを加速させ、そこから税金を得るシステムで運営されている。したがって、労働しない、消費しない者から税金を得ることは難しい。

 

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税収の内訳は、ほとんどが労働と消費によるものである。

 

 

それでも人が働く理由

Nozickの主張は正しい。徴税は奴隷労働を発生させるし、したがって倫理的に悪だ。

でも、人は働き続けるだろう。

 

Nozickは人がより多く働く理由を「より良い商品やサービス」としているが、かなり違和感のある表現である(時代背景もあるのかもしれない)。現実にはそれだけで人が働くかというと疑問だ。

人がより働くのはモノやサービスのためというよりは、「人から認められたい」とか、「社会的地位を向上させたい」といったステータスや承認欲求の方が動機として強いように思われる。

 

例をあげよう。一部の変人を除けば、人は私のようなニートよりも、大企業や省庁でバリバリ働く人を「偉い」と思っているし、「良い」と思っている。彼らは「有能」で「かっこいい」し、「友達になりたい」「結婚したい」と思われている。労働者たちは同僚に「昨日ついにポルシェ買っちゃってさあ」「また別荘買っちゃったよ」と自慢する日を夢見ている。たくさん働き贅沢に消費する人びとは、共同体で一目置かれるし、社会的に賞賛されるし、自分に満足することができる。

 一方で、猫に餌をあげるのが趣味なニートは異常/病人/負け犬/犯罪者というふうに考えられている。当のニートでさえ自らをそう評価している場合が多い(私は違うが)。

 

学校や家庭、マスコミのような国家のイデオロギー装置は、働くことはすばらしいと説き続ける。それが奴隷的な強制労働であろうとも。 

だから、Nozickが考える以上に、釣り合いが取れているのではないかと私は思う。つまり単純に金銭的なインセンティブではなく、心理的、地位的なインセンティブを加味すると、現状の労働課税は思った以上に「公正」なのではないか、と私は考えている。奴隷の鎖が存在するとしても、それがかっこいい黄金製なら、手放したくない人が大部分なのではないかな。