齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

日本の学校教育の問題点―子ども達を解放せよ

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イラスト:パウル・クチンスキー

 

私は声を大にして言いたい。

 

日本の教育は最悪だ。

 

もしも子どもができたら、日本の学校にだけは通わせたくない。

絶対に不幸になるから。

 

まあ、スパルタ教育にはちょうどいいかもしれない。

獅子の子落とし、的な笑

 

日本の教育システムの問題

only where you have walked have you beenというサイトで旅人さんが書いている、「日本の教育システムの問題」という記事がすばらしかったので翻訳し引用。

原文:Problems with the Japanese Education System | only where you have walked have you been

非常に幼い頃から、日本の子どもたちはベストを目指して競争させられる。幼稚園、小学校、中学、高校。それぞれの段階は、成功するための最良の教育を受けていると見なされる。詰め込み教育(放課後に長い時間学習する)はそれらのほとんどの段階を占めている。最終目標は最良の大学に入学することで、そのときすべてが変わる。学校がすべてだった数年間の後は、ついに自分の人生を謳歌し、がむしゃらに勉強する必要はなくなる。

 

日本の教育の目標は未来の日本を創造することであり、この点から言ってこのシステムは実によく成功している。日本の学生が18歳となったとき、彼らは真の日本人は日本語以外話せないということに強い確信をもつようになる。

 

nihonjinron(日本人論)や日本人のユニークさに完全にくるまれ、日本国外の事柄を無視し、彼らの今後50年の生活のためにどうすればよいか完全に精通し、ほとんどすべての認識の技術を欠き、外国人恐怖症となり、目立たず、出る杭にならないよう精神的に完全に訓練されている。

 

日本の教育システムでは、いかに日本人となるかが第一のゴールとなる。ときが経つにつれ、若者はより保守的になっていった。外国に対する興味は驚くほど欠如しており、ロボットとなる以外のいかなる望みも持たない。これはインターネットの情報に簡単にアクセスでき、旅行費用は安く、大部分の日本人が裕福であることを考えると不思議なことである。

 

実際にはほとんど学習が行われない――生徒たちは、成功に必要な批判思考(クリティカル・シンキング)の精神をほとんど与えられない。日本の教育制度は、ほとんどの人が高卒で工場で働くような時代にデザインされたものだ。この種の教育は、大量生産と大量消費が経済の原動力となるような工業化された社会ではよく機能する。しかし、世界は変化している。アイデアのクオリティや、問題解決の創造的な能力が経済世界や個人の成功を決定するようなポスト消費者主義社会へと。

 

いくつかの国はこのことを学習したが、日本は明らかに理解が遅く、さらに教育世界がこの現実に適応するのはさらに遅い。日本経済が減退していることのいくらかはこれによって説明できる。

 

教育問題と社会問題を混同しているかもしれないが――日本の教育システムの失敗を世界発展の観点から見ると――創造性の欠如、独創性の欠如、グローバルな領域で交流が不可能であること、世界の仕組みに関する部族的な理念(石器時代のようだ)、意思決定や方向決定に対する無能性や無意思、完全な受動性が存在する。

 

特筆すべきは筆記形式の入学試験である。このことが日本教育について何を語るだろうか。これは学生たちに次の段階の教育へ橋渡しするために、十分な装置なのだろうか。この国の塾Jukuの必要性について対処してはどうか――だいたい、なぜ子どもたちは魂を破壊するようなところへ行かなければならないのだ。学校における画一的な教育についても対処する必要がある――言いかえれば、批判精神の欠如や問題解決能力が行われていないことに対処すべきだ。現在の教育システムは、標準試験の要求に向けてすべてが調整されている。

 

日本教育の8つの問題

1.教育提供者間の競争の不在
生徒たちは異なる人格を持っている。したがって、教育理論は多様性を持つべきである。多くの教育カリキュラムは競って試みがなされるべきだが、しかし日本ではそのようなことが起きない。教科書の多様性や他の教材は制限されており、新しい教材や教育方法を育む余地がない。日本の教育は活気とは程遠い。

 

2.受験戦争による自由時間の喪失
今日、中学校が直面しているのは生徒たちの高校受験に関する不安である。生徒たちは半分以上が塾に通い、中には複数の塾に通う者もいる。さらには、もっと若い子どもたちも受験戦争の影響を受けている。小学生が夜10時以降に塾から帰宅することは、まったく異常なことである。調査では小学生の27%、中学生の64%が日常生活で疲れを感じている。受験戦争は子どもたちが健全な心を持ち成長することを阻み、日本の未来を憂鬱なものとしている。

 

3.全国統一教育のリスク
政府機関が教育内容を決定するため、機関が間違ったときには、すべての学校がそれを強制されることとなる。このような危険は養育内容を決定する権限が地方行政や私立学校に移管されることで避けることができる。文科省が全国に決定を下す前に、新しい教育システムを地方で試し、広げることもできる。これはより自然だし、より望ましい方法だ。

 

4.日本の教育は個人の違いを拒絶する
アメリカでは、ある科目で優れた成績をおさめた生徒は飛び級をすることができる。国家的なカリキュラムがないことは、そのような柔軟性を可能にする。教育カリキュラムが国によって固定される日本のような状況では、より早い教育を受けるよう許可された生徒は、彼を優遇するような差別として見なされる。いかなる教育理論も、教育心理学も、すべての子どもが同じスピードで発達するとしていない。

 

5.文科省が承認しない教育活動が本質的に無価値となる矛盾
日本では、文科省が教育内容を決定する。言いかえれば、文科省が承認しない教育活動は、すべて本質的に使い物にならない。現行制度では、省庁の承認を受けたことだけを行ない、そうでないものを可能な限り削減することが有名大学に入る上でもっとも効果的な方法となる。地域活動やボランティア活動、ホームエデュケーション*、ラーニングスタイル*は使い物にならない。これは日本教育最大の矛盾である。米国では連邦政府が教育内容を決定していないため、教育の定義がより広い。実世界での経験、例えばアルバイトや社会活動も教育に含まれる。日本の高校の多くはアルバイトを認めないが、アメリカの高校はアルバイトを許可している。このような違いは教育の定義の違いからきている。文科省が特定の価値観を育み、特定の価値観を排除することは相当な問題である。

 

6.思考の自由、教育の自由を阻む教育制度
日本では、教科書の歴史の記述や解釈について、さまざまな議論があった。これは日本軍はアジアの国を発展させたのか、あるいは侵略であったかの議論も含まれる。しかし、歴史認識に統一の解釈があるわけではなく、それを統一する必要はない。厳密に言えば、日本には1億2000万人の国民がいて、彼らは違うときん、違う環境で生れたのだから、同じ数の歴史認識があるはずである。しかし日本のシステムでは、教育の自由や右派、左派の信念を阻むおそれがある。日本の教育はこの点でも、民主化されるべきである。

 

7.日本の教育は革新性unconventionalityや創造性を育まない
近年、アジアの国々が日本に急速に追いついている。品質が同じであれば、アジアの製品の方が安く日本製品よりも好まれるのだから、日本の産業は創造性や革新性を追求しなければならない。
すべてのアジアの国が教育を民主化できているわけではない。民主化される前には、いくつかの条件を満たす必要がある。日本はそれが可能な数少ない国の一つである。日本にとって、教育はまさに「伏せられたトランプカード」となるかもしれない。日本の教育は、もはや受験戦争の次元で語られるべきではない。今日の世界で生き残る上で、緊急の問題である。

 

8.教育分野における新しい社会差別
日本の官僚主義が新しい社会差別を生みだしていることはだれにも否定できない。官僚主義の構造を解体し、処置が行われない限り、いじめや登校拒否の問題を解決することは無駄に終わるだろう。

*ホームエデュケーション:学校に通学せず、家庭に拠点を置いて学習を行うこと。ホームスクール。

*ラーニングスタイル:それぞれの学習者の認知的要因や情意的要因を考慮し、異なる事柄を教授するような学習スタイル。

 

「小学生が夜10時以降に塾から帰宅することは、まったく異常なことである。」

いやーごもっとも。実に狂気としかいいようがない。ピンとこない人もいるかもしれないが、日本の「塾」「予備校」「浪人」といった言葉は、海外でひじょーに悪名高い。

 

関連画像

The mystery behind Japan’s high suicide rates among kids by Stephanie Lu | The Wilson Quarterly

 

「真の日本人は日本語以外話せないということに強い確信をもつようになる」

日本人の英語が脆弱なのは、わざとダメな教育をしているからとしか思えない。英語ができるようにではなく、できなくなるように教育しているのである。

英語は多くの日本人が思っているほど難しくないし、日本語と英語がかけ離れているわけではない。異論があるかもしれないが、日本の「国語」は英語やドイツ語のような西洋語をベースに「創られた」ものであって、実はそう変わらないのである(同じ「日本語」であるはずの近世の文書がほぼ読めないのはそのせいである)。

昔の帝国大学なんて英語で授業していたのだから、その気になれば簡単なのである。

 

「批判思考(クリティカル・シンキング)の精神をほとんど与えられない」

これはそのとおり。私が日本人の大部分が嫌いというか関わりたくねーと思うのはこの部分である。自分で考えることをしない。考えられない。パブロフのポチ、ロボット化している。「違う人種だな」、と思う。

 

まあ、日本人が批判思考をしはじめたら、国がとんでもないことになることは容易に想像がつくのだが笑 日本という国は、民の無思考を前提に成立している国なのだ。

 

なぜ日本の教育制度は硬直しているのか

日本の教育システムが硬直しているのはなぜか。文中にあるように、中央集権的な、官僚主導の教育制度に原因があるだろう。

ほぼ100%の官僚は「スーパー受験エリート」である。「ウルトラクイズ王」ともいう(中村修二)。生まれてからの20年近くを受験競争に費やし、勝ち上がってきた彼らはあらゆる面で有能だが、唯一不可能なことがある。それは「受験制度はいらないのではないか」と問い直すことである。これはどうしても無理。

 

なぜというに、彼らがエリートで権威ある立場にいるのは、まず第一に受験で勝ち進んできたからである。そして、青春を棄てて受験に邁進した自分のアイデンティティを、深く傷つけることになるからである。学校システムによって成功者となった彼らは、学校システムに改革をもたらすことが永遠にできない。

 

 

13時には帰れるドイツの学校 

関係ないが私はドイツの教育制度にひじょーに憧れたことがある。

西尾幹二の本から引用。

 

 

 ギムナジウムは普通昼食抜きで一時まで授業がある。そのため午前十時頃持参した小さな菓子や林檎などを食べてよいことになっている。高学年だから帰りが遅くなるようなことも――最近は例外もあるようだが――きわめて少ない。おおむね一時に家に帰って昼食を摂り、午後は全生徒にとって完全に自由である。塾に行く子はいない。大体塾などというものがない。家庭教師も来ない。テスト、テストで追いまくられている日本の子供の置かれている状況は、やはり、どう考えても異常である。
 ドイツの子供には夏休みに宿題さえない。テスト業者もいないし、模擬試験というのも聞いたことがない。若干苦労するのは最後の高校卒業試験(アビトゥーア)の直前だけで、このときはさすがに集中的に勉強するが、その唯一の勉強期間を彼らは生活を犠牲にした苦役とみなし、異常視しているのであるから、日本の状況を聞けばただ吃驚するばかりで、いくら説明しても理解を絶したことのようにしか聞こえないのである。(「日本の教育 ドイツの教育」西尾幹二)

ちなみに西尾の本はだいぶ古いので、ネットで拾ったドイツのギムナジウム(中等教育)のスケジュールを以下に貼って置く。

さすがに毎日1時に帰るわけにはいかないが、それでもひじょーにゆとりある教育であることがわかる。部活は完全に自由参加なのだろう(ああ、うらやましい) 

 

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結論

日本の公教育のクオリチーは低い笑

 

親御さんは注意。

まともに学校教育を受けさせたら(英語のできない)ロボットになりますよ!

 

前にも書いたが、子どもが登校拒否をしたらお赤飯を炊きましょう。

 

他にも教育について考察しています。

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おまけ

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サムネがホラーだな。