齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

マスコミは日本民主主義の最大の敵である

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天下の朝日新聞の恥ずかしい過去

 

民主主義には公正な報道が欠かせないが、日本のマスコミはそういった社会的立場をまったく無視し、私益と自己保全のためにしか働いていないぞ、というまあIQ100以上の日本人ならだれでも知ってる常識的なことを批判していきたい。

 

まずカレン・ヴァン・ウォルフレンの「民は愚かに保て」から引用。

「大新聞は日本民主主義の最大の敵だ」という項p85より。1992年に書かれたものなので内容は古い。強調は引用元による。

現代の先進諸国では新聞が極めて強力な政治機関と認知されはじめてかなりの時間が経つ。アメリカではマスコミが大統領候補者をつくったりやめさせたりできるし、普段の政治議論のテーマを決める役割を果たしている。ヨーロッパ諸国では、言論機関は政府の活動に関してチェック・アンド・バランスの重要な役割を果たしている。

そして日本では、新聞は人々に信じこませる政治的リアリティの姿かたちを決定するのである。

 

民主主義国にあっては、新聞は市民に役立つことを期待されている。そのためには新聞が市民に、望ましい政治行動と望ましくない政治行動を見分けるための手だてを提供しなければならない。だが日本の新聞編集者は、それが彼らの仕事であるということを理解していない。

それどころか、新聞は、秩序が最大限に維持されかつ争いごとが最も少ない統制のとれた社会を維持するために手助けするべきだと信じているのである。 

うむ。

マスコミの報道が「秩序が最大限に維持されかつ争いごとが最も少ない統制のとれた社会を維持するために手助けするべき」というのは非常によくわかる。

 そういえばQuaraの「外国人が知っているけど、日本人は知らないことって?」という質問でも、以下の解答があった(拙訳)。前にも引用したが、また載せる。

日本人は物事について話すこと、問うこと、議論すること、考えることをしないよう教え込まれている。社会問題にたいする好奇心を小さくするためだ。ほとんどの日本人がある問題について問われたら、公式バージョン(プロパガンダ)の返答を繰りかえす。
知識人や専門家、メディアは彼らを助けない。
社会に関する本当のドキュメンタリー、議論、報道は自国であれば山ほどあるようが、それらを日本のテレビで見つけるのはとても骨が折れる。もしそのようなテレビ番組があったとしても、その問題についてテレビタレントが議論しているだけだ。国営のニュース放送でさえも、本来ジャーナリストであるべきところに、タレントが登場する。

結局のところ、日本のマスコミは国民統制として機能しているに過ぎない。エリート層が考えることは、「お前らはガタガタ抜かすな! 大事なことは俺たちが決めるから」、というわけだ(ウォルフレンによれば、日本は民主主義ではなく官僚支配である)。それが本音だろう。そしてマスコミは、「ははあ、静かにさせますんで!」と権力の下僕化している。

このことがもっとも端的に現れたのは原発事故の報道だろう。放射能汚染の事実を報道するというよりは、いかに国家動乱を鎮静させるか、民衆の怒りの火を消すか、なだめるか、ということに終始していたように思われる。この問題をどのように収束すべきかといった生産的な議論よりも、「震災に負けずにがんばる市民」の報道に終始した。「がんばろう日本」と繰り返すばかりで、実質的な報道の機能は停止させていた。発見discoverしたことを報道すべきジャーナリストが、「臭いものに蓋」をしていた。あべこべである。海外メディアから「何やってんの?」と怒られたというか呆れられたのも当然である。

マスコミはそういった「自主規制」を「日本のため」だと信じている。……のかな。たぶんそうだろう。この国は基本的に、市民が物事を考えるのはよくないことだという風潮があるように思われる。まさにウォルフレンの本のタイトル「民は愚かに保て」である。日本は民主主義どころか啓蒙主義思想以前なのである。欧米諸国に200年300年レベルで遅れていると言う他ない。それか変な方向に進化しているか。

 

そんなわけで報道の自由度は年々下がって、ついに72位にまで転落した。先進国中最下位である。その理由を国境なき記者団は以下のように述べる。

日本のメディアの自由は、安倍晋三が2012年に再び首相に就任して以来、衰えてきている。主なメディアグループ内の自己検閲の増大と、フリージャーナリストや外国人記者にとって差別的な「キシャクラブ(記者クラブ)」によって、ジャーナリストが公益に役立つことは難しく、民主主義の監視役としての役割を果たしていません。

国内および外国の多くのジャーナリストは、メディアに対する敵意を隠さない政府関係者に嫌がらせを受けている。ソーシャルメディア上の民族主義的グループのメンバーは、政府に疑問を呈したり、論争の的になる主題に取り組むジャーナリストを嫌い、脅迫している。

そして国連が疑問を呈したにもかかわらず、「違法に取得された」情報を公表したことで有罪判決を受けた場合、内部告発者、ジャーナリスト、ブロガーなどに最高10年の懲役を科す特定秘密保護法について、政府が議論を行うつもりはない。(訳文はBuzzapによる)

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おもしろいのは、鳩山政権下の2009年ランクが11位だったこと。このときは記者クラブを緩和して、一般メディアや海外メディアも官庁の記者会見に参加できたようだ。また放送法や電波法などの改正法案も提出された上に、原口大臣によって「クロスオーナーシップ禁止の法制化」が提唱された。これらは政局のごたごたによって実現しなかったが、そういう政府主導のマスコミ改革が高評価だったのだと思われる。

いずれにせよ、記者クラブのような世界的に悪名高い情報カルテルは即座に撤廃すべきだろう。

 

反作用としてのマスコミの嗜虐性

「民は愚かに保て」に戻る。ウォルフレンは、マスコミが金丸事件(政治汚職)のような「叩きやすい」事件については徹底的に叩くことを挙げ、

かねてより考えてきたことだが、日本のジャーナリストがスキャンダルを追跡する際に見せる情け容赦なさは、ひとつには自己検閲への不満をつのらせた結果ではないか。彼らは記事にできること以外に、ずいぶんとたくさんのことを知っているのである。

としている。

これはよくわかる。清原の覚醒剤事件や相撲の暴行事件などといった、どうでもいいことにかけては異常なほど熱中し執拗となるのが日本のマスコミである。彼らのモラルと報道力は、普段は権力機構に抑圧されているのだが、それがいったん「わかりやすい標的」や「弱い標的」を見つけると、とたんに加熱し、暴発するようである。なんていうか、フロイトのリビドー論を思い出してしまうなあ。

 

まとめ。日本が民主主義国であるために、マスコミはマスコミらしくなりましょう。まあ、民主主義じゃないってのならいいけど。