齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

ゴーストップ事件――日本軍暴走の象徴

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ゴーストップ事件の起きた現在の天六交差点。

 

第二次世界大戦。 

いつから軍部は日本を支配するようになったのか。

すなわち、「やりたい放題」となったのか。

その象徴的事件として、ゴーストップ事件を取り上げたい。Wikipediaを引用してもよいが半藤一利の語りがおもしろいのでベストセラー「昭和史」から引用する。

 

 

 

ゴーストップ事件概要

事件は昭和八年(一九三三)六月十七日に起きました。
ふつう「ゴーストップ事件」として事典などに出ていますが、大阪で交通信号機ができて間もない、大阪府警察部が得意に思っていたころのことです。

「赤は止まれ」「青は進め」という調子でやってましたら、天神橋六丁目交差点で、陸軍歩兵第八連隊中村政一(まさかず)一等兵が赤信号を平気で突っ切りました。

交通係の戸田忠夫巡査が「待てーっ」と叫んでところ、中村一等兵は
「何を止めるか。
俺は公務なんだ」と殴り合いがはじまって、これが「ゴーストップ事件」として話題となったのです。二人だけの喧嘩で終わればよかったのですが、大阪の陸軍第八連隊は「何をオマワリのごときが馬鹿げたことをやるか、けしからん」といきり立ち、大阪府警察部のほうも「交通信号を守らないとはとんでもない、陸軍だろうが軍人だろうが関係ない」と懸忍大阪府知事も粟屋仙吉警察部長も「陸軍の横暴である」と、頑として抗議をつっぱねました。かくて陸軍対大阪府警察部の大喧嘩に発展したのです。

(……)

この互いの言い分を少し引きますと、

粟屋「軍人といえども私人として街頭に出た場合は、一市民として巡査の命令に従うべきだ」

井関「軍人はいつでも陛下の軍人であり、街頭においても治外法権の存在である」

粟屋「それは謬見(誤った考え方)に過ぎない。修正すべきである。さもなければ今後、警察官としての公務執行ができなくなる」

どうにもならなくなってがたがたするうちに、ついに東京にまで飛び火して、出てきたのが陸軍大臣荒木大将です。これが発奮しやすく、「陸軍の名誉にかけて断固、大阪府警察部を謝らせる」と立ち上がります。警察側も当時、警察を指揮下に置いていた内務大臣の山本達雄と内務省の松本学警保局長が荒木陸相と在郷軍人会を相手にこれまた一歩も引かず大喧嘩をはじめます。にっちもさっちもいかない状況がずいぶん長く続き、新聞は面白いものだから書き立てる、国民もどっちが勝つのか煽り立てる人もたくさんいた

その時に天皇は、随行していた荒木陸相にひと言、

「そういえば大阪の事件はいったいどうなっているのか」

(……)荒木さんは天皇には忠節なる大軍人ですから「ハハァーッ、必ず私が善処します」とかしこまり、(……)

ともかくこれではだめだ、和解策を探ろうと県知事に「なんとかなるまいか」と相談しますが、互いに振り上げた拳はなかなか下げられず、面倒くさいから一番下まで下ろしてしまえというわけで、当事者の中村一等兵と戸田巡査に仲良く握手をさせ、それを写真に撮らせて新聞に載せ、喧嘩は無事に終了したと国民に知らせて一件落着、となりました。

大阪府は何らの処分もなく、(……)第八連隊長松田四郎大佐が待命、要するにクビになって陸軍を去りましたから、結果的に陸軍側が非を認めた形になります。

 (実際には粟屋警察部長も出世が遅れるなど不利益はあったようである。粟屋氏はのちに広島市長となり、原爆により被爆死)

 

半藤は、この昭和8年頃を軍部批判が可能だった最後の時期としている。

 

日本は決して一気に軍国主義化したのではなく、この昭和八年ぐらいまでは少なくとも軍と四つに組んで大相撲を取るだけのことができたといえます。ただし、軍にたてついて大勝負をかけた事件はこれをもって最後となり、この後、あっという間というのか、じりじりというのか、ほどなくマスコミも全面的に軍に屈服し、流れはいつの間にか軍の支持に傾き、軍が「ノー」と言ったことはできない国家になりはじめるのです。

 

昭和八年、1933年頃から日本の暗黒時代が始まるようである。これくらいの時代から1945年の敗戦までの12年間、恐怖の支配する「全体主義」的な国家へと転落するようになる。

 

関連著書のアマゾンレビューには、この事件に対して

事件そのものは小さなものだが、これをきっかけの一つとして、軍が傍若無人になり、戦争に突入していった背景がわかる。小さな出来事であっても、歴史を左右する意味を胚胎しているかもしれないということを教えてくれる

事件としている。まったく同意である。「軍部が制止を振り切った」象徴的な事件だ。

陸軍が悪者で警察が良き者のように思えず、苦笑しながら読ませて頂きました。目糞鼻糞を笑うような事件だったのではないかしら。 当時警察が何人、何十人もの無実の人を拷問死させてたろう事を考えると中村一等兵も事件当日私服だったら中西巡査に殺されてたのではないかしら。呆れます。

というような意見もある。

なるほど善悪の戦いというよりは、警察と軍部の「縄張り争い」と見た方が正しいのかもしれない。冷静だ。 

信号普及の歴史

ちなみに現在では世界一信号を守る(交通が皆無でも守る!)日本人だが、信号機普及当時は信号? なにそれ?という状態だったようである。

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日本ではじめての信号機。

 

我が国最初の自動交通信号機は、米国製で、灯器を交差点の中央に設置する、いわゆる中央柱式であり、昭和5年3月に東京の日比谷交差点に設置されました。当時、電車以外の通行者は色灯による交通信号を理解せず、なかなか信号に従わない状況でした。このため、交差点の4隅に多数の警察官を連日配置して周知に努め、さらに、信号の意味を一見して分からせるため、青灯に「ススメ」、黄灯に「チウイ」、赤灯に「トマレ」と文字を書くなどして指導したものの、自動信号が広く浸透するには相当の日数を要したのでした。(我が国最初の自動交通信号機 信号機の歴史 警察の歴史(警察庁)