齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

鬱病と社会への怒り

ひとびとをひどく不幸な状態にし、つぎには不幸を取り除く薬を与える社会を想像してほしい。SFだろうか? すでに私たちの社会である程度起きていることなのである。(ユナボマー・マニフェスト 145章)

 

以前から鬱病と社会の関係を考えてきました。 

 

「鬱病は社会の不平等が生みだすもの」。

最近はこの考えが確信に変わりつつあります。 

   

 

f:id:mikuriyan:20180731230226j:plain

Solitude by Daler Usmonov (2015)

 

人はみな不平等への怒りを持つ

人間は、不平等を「生得的に」嫌うようにできています。

 

ある実験があります。2匹の猿がいます。それぞれにタスクを課し、その成果としてキュウリを与えます。猿は喜んでそれを食べます。

 

別の実験においては、片方にキュウリを与え、片方にはブドウ(ずっとおいしい!)を与えます。すると、キュウリを与えられた方の猿は怒り出し、キュウリを放り投げて、「ブドウをよこせ」と激しく抗議するのです。

 

www.youtube.com これ、本当におもしろい動画です。

 

不平等を憎む――これが動物の本性であり、人間の本性でもあります。

 

だれもが貧乏であれば怒りは生じません。互いに助け合って生きていくだけです。問題は、ある人間が富み、ある人間が貧しくなったときです。

 

貧しい人間には怒りが生じます。俺にも富をよこせ、と要求します。しかし、こういった怒りは現代では適切に「処理」されることになる。

残酷な社会「お前が悪い」

私たちは不平等への怒りを、不当に利益を貪る者ではなく自己に差し向けるよう操作されています。

 

あなたが苦しむのは、あなたが悪いからだ。というのが現代社会の主要なドグマのひとつです。  

 

現代は自由と平等が保障されており、努力や才能次第で成功者になれる社会なのだ。だから、負け組は苦しんで当然なのだ、という考え方が一般的です。

 

つまり、次のような考え方です。

  • いじめられる奴が悪い
  • 仕事ができない奴が悪い
  • 学歴が低い奴が悪い
  • コミュ障が悪い
  • 精神病者が悪い
  • 大企業に勤められない奴が悪い
  • 金がない奴が悪い
  • ブサイクが悪い

……まあこういった発言は、ネット上ではいくらでも見られるのですが。

 

これらの価値観は、他者にも自己にも向かいます。「お前が悪いのだ」「私が悪いのだ」と。

 

ひとは苦しむ人を見かけても無視したり、あざ笑うようなことさえします。同情されることなく苦しみつづける人は肉体を傷つけたり、自殺さえするようになります。

 

こういった残酷な状況は、人間の自然な状態と思われがちです。人間は優秀な遺伝子を残すために生まれたのだ、他人を蹴落として自分だけ利益を得るのは正当なことなのだ、と。

 

しかし、残酷さは教育などのイデオロギーによって操作された結果に過ぎません。同情や共感の能力は人間の本能だからです(人間の本性は善である――基本的に - 齟齬)。 

 

つまり、私たちは残酷になるよう教えこまれているのです。 

人間の頭脳は社会的な器官である。他者があくびをすれば私たちもあくびをする。他者が笑えば笑う。そして、他者が傷つければ、私たちも傷つける。(Pain is the Price of Remaining Human | SusanRosenthal


今日の記事は、医師で社会主義者のSusan Rosenthal氏の記事に影響を受けています。 

なぜひとびとを残酷にすべきなのか? 

私たちは残酷になるよう教え込まれます。 それが学校教育の目的です。「いじめ」は学校が生産しているのです。 

 

なぜひとびとを残酷にしなければいけないのか。虐げられている人々が互いに団結し、不平等に打ち勝とうと立ち上がること……これほど支配層にとって都合の悪いことはないからです。

 

だから、民衆を互いに憎みあい、反目させて、分断して支配するのです。これは陰謀論ではなく、たぶん国家の成立以来、支配者が実演してきた統治術でしょう。

 

また、資本主義社会では互いに仲良くさせるより、競争させた方が生産性があがるメリットがあります。

 

資本主義は、持つものと持たざるものに世界を分け、人間のつながりの必要を侵害する。

……
社会的差別の痛みがあり、学校や職場のいじめがあり、権力闘争によって、私たちのもっとも親密な関係が毒される。意味のない労働(そして働かないこと)の痛みと、将来に対する恐怖。社会的不平等は、疾病と早すぎる死を招く。(

鬱病の起源

鬱病に話を戻します。動物に鬱病はありません。鬱病になるのは人間だけです。

 

なので、抗うつ剤の動物実験の際には、擬似的に鬱病状態のラットを準備する必要があります。

鬱病ラットの作り方

ケージの床に電流を流してラットに苦痛を持続的にあたえます。はじめは刺激から逃れようと走り回るラットですが、しだいに動かなくなり、じっとうずくまるようになります。ついにはケージの扉が開いて、脱出可能になっても動かなくなる。

 

これがラットの「鬱状態」です。抗うつ剤を投与して、ラットがケージから抜けだすようになれば「効果あり」と判定されます。

  

ところで、人間も同じ状況に置かれているのではないでしょうか? 

 

人間の鬱病とは、

  • 持続的に
  • 逃げ場なく
  • 苦痛を与えられ続けた

ときに起きる。

 

となれば、人間に必要なのは抗うつ剤でしょうか? それとも、痛みの原因、つまり不平等の除去でしょうか? 

結論:鬱病は個人ではなく、社会の病である

  • 人間は生まれつき不平等を憎みます。
  • しかし、現代の不平等に対する怒りは、主体へ向かうよう操作されています。
  • 主体は逃げ場のない苦痛を感じ続け、鬱病になります。

 

こんな感じで鬱病は理解できるのではないでしょうか。

 

もっとも鬱病はいまだに原因不明の病気です。40%程度は遺伝の影響を受けていると言われており、単純化しすぎも危険だとは思います。

 

でも、個人的にはすっきり腑に落ちるというか。私も数年前まで抑鬱に悩まされることはあったのですが、最近はほとんどないです。結局、自分ではなく社会が不当であり、異常であることに気づいたからです。

 

もっと多くの人が、「自分ではなく、社会がクソなんだな~」と認識できるようになればよいな、と思います。苦悩とは、個人的、医学的というよりは、ずっと社会的、政治的なものなのです。

 

だれかが苦しんでいるならば、私たちも苦しむべきである。私たちの痛みは、人間でいつづけるための対価なのだ。痛みは非人間的な世界に対する抗議の叫びなのだ。(

 

私たちは痛みや苦悩を薬で「除去」すべきではないのかもしれません。痛みとは知覚であり、どうすべきか、なにをすべきか教えてくれます。 

 

苦しむ人を見て苦しむ。

苦しんでいる人は、同情され、助け出される。

 

そういう「優しい世界」が実現することを望みます。

 

終わりに 

鬱病のTED動画では以下が最高だとつねづね思っています。

 

www.ted.com

 

鬱とは 現代社会の 深い傷であるにも関わらず バンドエイドを貼ることで満足して 見て見ぬ振りをする

 

心の痛みは 希望を持つことを教えてくれた 希望と信頼 自らを信頼すること 他者を信頼すること この状況を変えて 良くなるという信念 声に出すこと 声に出して 無知と戦うこと 不寛容と戦うこと そして何より 自分たちを愛することを学ぶこと 本当の自分を受け入れること 周りの人が期待する姿ではなく ありのままの自分でいることです

  

私が信じる世界とは 誰かの目を見て 「地獄を体験している」 と話したら 見つめ返して 「私もだ」と言ってくれる世界 これで良いんです 鬱でも大丈夫 私たちは人間ですから 悶えたり 苦しんだりします 血が出て 泣くこともあります もし 真の強さとは 決して弱さを見せないことと 思われていたら 間違っていると 伝えたい 間違っています 反対なんですから