齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

学校は子どもを発狂させる

教育は良いことだ、学校は神聖な場所だ、学校は楽しいところで、学校へ行けることは幸運だ。

 

ほんとうでしょうか?

 

Peter Grayの記事を読んでいたら、子どもたちは学校でブラック企業並の生活を強いられている気になってきました……。 

学校教育というクソ労働 

こんな仕事を想像してみてほしい。君の働きが、毎日、上司によってマイクロマネジメント(上司が部下の業務を逐一管理したり、小さなことにまで干渉したりすること)される。君はなにを、いつ、どのようにするかを命令される。君は上司が動いていいと言うまで、椅子に座っていることを命じられる。君の仕事のそれぞれの部分は評価され、毎日他の従業員と比較される。君は君自身の決定をほぼ信用されない。雇用に関する研究では、これはもっとも退屈な労働環境であるだけではなく、もっともストレスが多いことを示している。マイクロマネジメントは人々を発狂させるのだ。

 

子どもたちは人間である。彼らはマイクロマネジメントに、自由に対する厳しい制限に、そして絶え間なく、嫌な評価に、大人とまったく同じように反応する。学校はあまりにもしばしば、私がまさに表現したような悪夢の仕事である。さらに悪いことには、子どもたちはその仕事を辞めることができない。彼らがどれほど苦しもうが、それを続けることが強制される。彼らがその手段とノウハウ、そして意志をもっている両親を啓発しない限りは。宿題を含めれば、両親たちがしているフルタイムの仕事よりも時間が多い。そして学校での移動の自由度は、両親たちの職場よりもはるかに小さい。

 

19世紀と20世紀前半において、多くの人々は子どもの発達と幸福に対する児童労働の悪影響を懸念し、それを禁ずる法律が制定された。しかし今の私たちの学校は、フルタイム労働に並ぶ程度までそれを拡大させた。心理学的にストレスフルで、座って行うフルタイムジョブで、子どもたちは賃金を払われることはなく、本当の仕事で得られる独立心や自尊心も得られない。 (「The Danger of Back to School | Psychology Today」)

 

学校教育は史上稀なクソ労働、ということが言えそうです。

 


で、コネチカットのハートフォード病院の精神科を緊急受診する児童は、7月8月において最も少なくなるようです。――夏休みで学校がないから。

 

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興味深いことに、9月はそれほど緊急受診は多くないようです。Peter氏は、重いテストや、成績表の時期ではないからとする。

 

Peter氏は言います。「学校は子どものメンタルヘルスに良くないことが示唆される。肉体的にも悪い。自然は子どもたちを、一日中マイクロマネージメントされるようにデザインしていないから」

解体されつつある学校神話

そういうわけで、すでにイバン・イリイチが1970年に「Deschooling Society(脱学校の社会)」を出版してから半世紀が経とうとしている昨今、「学校ってほんとうはクソなのでは」という考え方は理性ある人々のあいだで着実に増えています。

 

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Rachel Whiteread — One Hundred Spaces 

 

以下、同記事のコメント欄より。

 

Charlie
数学教師として、私は君(Peter氏)のいくつかの脱学校論の記事には同意しかねるが、しかし絶対的に、完全に、100,000%この記事には同意できる。私は学校を「憎悪」していた。特に高校を、君のあげたすべての理由によって。高校生活は、私の人生の唯一の憂鬱な期間だった。

 

幸運にも私の両親は、家の中では私たちに自由を与える自由精神の持ち主だった。私は学校の外では憂鬱にはならなかった。一年の流れを早送りすると私は同様のパターンが私の受け持つ現代の生徒たちに当てはまるように見える(うつ病と不安の増大)。私は学校を憎悪していたために、彼らの気持ちが正確にわかるし、できるかぎり授業を自由にしようと思っている。おもしろいことに、子どもたちは管理者が入ってきたときに見た目を装うことを知っている。

 

……私たちは従順に芸をする猿を訓練しているのだろうか? 君の脱学校の主張は、それほどおかしなものでもないかもしれない。

 

Anonymous

私は子どもたちをホームスクーリングしている。そして子どもたちが友人と学校について話すとき、子どもたちが自分の境遇を幸運に感じることを私は知っている。長女が10年生の授業を初めて受けたとき、彼女はおもしろい事柄(英語)について、可能なかぎり退屈にしていることが奇妙だと言った。

 

……子どもたちはいかに学校が信じられないほど重要であると教えられる。しかし知性ある人間として、彼らはいかに時間と努力がそこで無駄となるかを思い出さずにはいられない。

 

 教育に疑念を抱く元教師に共感を覚えました。

 

Julie

完全に同意する。今日の生徒たちにあてはまるだけでなく、教師たちにあてはまる。教師として、私はつねに評価され、同僚と比較され、マイクロマネジメントされ、授業計画や教材、その他無数の業務に対する非常に少ない時間しか与えられず、私はしばしば週に50~60時間はたらいている。そして私はさらに働くこともある。これに加えて、無神経な、独裁的な管理者や学区の職員に対処しなければならない。

 

幸運にも、私はこの職を辞める予定だ。それは労働負荷が重すぎるからだけではなく、教育システムが今日向かうところが信じられないからだ。子供たちにとって、ほんとうに最悪だ。

……

学校はより発展し、より多くの自由を教室にもたらすべきだし(教師と生徒の両方に)、生徒たちをの学習方法を決めさせ、多様性や違いを称え、子どもたちをテストを受けるロボットではなく、子どもたちであることを許すべきだ。

 

私の親戚にも教師が多いのですが、非常に制限されたものの見方をしている人が多い。そういう人しか続けられないのでしょう。

 

Anonymous

あなたにバンザイ! そこから離れた方がいい!!!私の夫(今は民主的なフリースクールを運営している)は15年間学校教師だった。あなたのように、彼は完全にシステムと衝突してしまい、子どもたちにとって地獄であると知った。……

 

まとめ 子どもたちは解放されるべき

ヘブライ語では、「教育」と「懲罰」は同じ意味でした。

 

結局、教育の目的は、つねに、権威への服従を意味します。

 

つまり、報酬と処罰を与える権力をもった権威者が、人々に望ましい思考パターンと行動パターンを習慣づけ、階級的な社会秩序に統合する。

 

これが教育の本質であり、核です。

 

デュルケームが言ったように、教育は「社会のイメージと反映でしかない。教育は社会を模倣し、再生産する。教育それ自体が創造するのではない」。

 

つまりストレスフルで残酷な社会では、 教育もそういったものにしかなりえない、ということでしょう。