齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

いじめは適応である

いじめは「自己評価の低い子ども」によって起きるのでも、「正しい教育の欠如」によって起きるのでもありませんでした。

 

いじめは本能か?

 

いじめはテリトリー意識や、原始的な攻撃心や支配欲のあらわれである――と、伝統的に考えられています。

 

つまり「原始的な、猿に近い子ども」を「正しく文明化された子ども」に導けば、いじめは減る、あるいは起きないだろうという考え方があります。 この妄想は教育界で広く受け入れられていますが、それは「より多くの・より適切な教育によっていじめは解消される」という考え方が、教師や教育学者を安心させるからです。

 

現実には逆です。いじめは教育によって生まれます。社会的な条件づけがいじめを生みだすというわけです。

 

いじめの原因は「離れられないこと」

いじめの本質的な原因は、支配感情や加害意識にあるのではありません。攻撃された子どもが逃れられないことにあります。これが根本原因です

 

攻撃された子どもの本能は、あらゆる動物と同じく、逃れることを求めます。しかし学校生徒の場合、この選択肢は存在しない。権威的な人々や機関――学校、医師、カウンセラー、ソーシャルワーカー、そして家族は、彼を学校へ連れ戻そうとします。

 

離れられないということ――刑務所や、雇用流動性の低い日本企業では、学校と同じようにいじめが問題となりますが、これは同じ理由なのです。

 

子どもたちが自由に学校から逃れられるなら、いじめは起きません。しかし事実上、学校は監獄のように機能しています。

もし学校が監獄ではないのなら、違いを説明してほしい。

 

私が考える唯一の違いは、刑務所に入るためには犯罪を犯す必要があるが、学校は年齢によって通わせるという違いだけだ。それ以外はまったく一緒だ。どちらの場所でも、自由と尊厳を剥奪される。

Peter Gray (Psychology Today)より(詳細:学校は悪である - 齟齬) 

いじめは被害者が罰せられる前提が必要である

たとえば、体格が二倍違うような夫にDVを受けている妻がいるとします。妻が夫にDVをやめさせるためにはどうすればいいでしょうか? 

 

いじめられっ子の状況も似たようなものです。彼は体格のいいいじめっ子や、徒党を組んだいじめグループと通常一人で闘わなければならない。

 

アンフェアな戦いをフェアにする方法があります。まず思い浮かぶのは、ナイフで脅したり、銃などで護身することです。

 

しかしこういった自衛の結果は明白です。いじめっ子ではなく、いじめられっ子が罰を受けることになる。いじめられっ子は停学処分を受けたり、少年院に入れられるか、下手をすれば銃撃を受けます。

 

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ネバダ高校にて刃物を振り回す14歳の少年が、学校警官に発砲される。肺を損傷する重症。父親によれば、「いじめに対抗するために武装した」(元記事

 

いじめられっ子には、いじめっ子への反撃や制裁が許されない。この前提のもとに、いじめは成り立ちます。

いじめには「臆病な観客」が必要 

いじめは。いじめっ子といじめられっ子だけで成り立つことはほとんどない。

 

いじめの大部分は、単なる攻撃や傷害ではなく、「侮辱」。つまり多数の観客が必要です。彼らはいじめに反対したり、笑ったり、いじめに参加したり様々です。しかしもっとも多いのは、「傍観」です。

 

研究によれば、傍観者たちは「被害者はいじめられるに値するから」傍観していたのではなかった。彼らは、むしろいじめを嫌なものと感じていた、少なくとも支持はしていなかった。

 

彼らに働いているのは、ある種の臆病――つまり、いじめに反対すれば自分が迫害されるのでは? という考えがあります。

 

しかしこれは、事実と反することです。研究では、いじめに対して一人か二人の反対者がいれば、いじめは止まるのです。

 

なぜ傍観者たちは事実に反することを信じているのか?

フィクションでの「弱い者いじめはやめたまえ」

グラバーは、このいじめに対する誤解として、フィクション作品がひとつの原因であるとしています。漫画やアニメのヒーローはつねに、「おい、弱い者いじめはやめろ」と言います。すると、加害者たちはヒーローに怒りを向け、そこからあらゆる騒動が始まる。

 

こういったフィクションが伝えたいことは、「あなたが孫悟空だったり、強いモンスターを持っているのではない限り、いじめのような問題からは距離を置くべきだ」ということです。つまり、いじめを黙殺するアリバイを、フィクションが与えている。

大人社会を学級にあてはめている

もうひとつの理由は、大人の権力構造を学級にあてはめている可能性があります。

 

たとえば警官があきらかな冤罪者を攻撃しているとしても、それに介入すれば不幸な結果が目に見えています。また、密告者がどうなるか? はモスクワに亡命したスノーデンを見ればわかります……。

 

いじめっ子の自己評価は低いか?

いじめっ子は心理的な問題を抱えている――ということが昔から心理学者から言われてきました。日本の教育会は、「いじめは加害者が100%悪いのだ」 とムチャクチャなことを言うこともあります(教師の責任は?)。

 

しかし、研究ではこれは間違いでした。いじめっ子たちは、低い自己評価に悩まされているのではなかった。たしかに、ほとんどのいじめっ子は自信満々のクソ野郎に見えますが、それは彼らが自分の価値に疑念を抱いているからではなく、ほんとうにただ、自信満々のクソ野郎だからです。

いじめは道徳劇である

いじめの被害者は、よく言われるように、「受け身な子ども」なのではありません。そういった子どもは無視されます。

 

理想的ないじめられっ子は、いじめに適切に反応してくれる子どもです。ときどきには反抗してくるが、それは効果的ではない。叫んだり、泣いたり、母親に言いつけると言う。反撃するそぶりを見せながら、すぐに逃げ去ってしまう。

 

こういういじめられっ子の場合、いじめは持続的となる。観客たちが、いじめは「正当である」という感覚になるからだ。

 

つまり、「いじめられっこのいじめに対する反応が、いじめそれ自体を(遡及的に)正当化する」という構造があります。

 

先のナイフ少年について言えば、いじめがなければナイフを携帯することもなかったはずですが、事後的に、「彼はナイフを振り回す危険人物」であり、いじめられて当然だったのだ、というような正当化が行われる。

 

(今日の記事は、大部分がデイヴィッド・グラバーの記事「The Bully’s Pulpit」に影響を受けて書いています。) 

まとめ

将来の社会生活に準備させるのが学校教育だ――だれもがこのことに賛成するでしょう。社会に準備された人間、教育に適応した人間がいじめを行います。

 

いじめは、社会構造の再生産過程です。

 

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子どもたちのいじめのプロセスは、現代社会の構造的抑圧と同質です。

 

たとえば、ブラックの経営者が社員をいじめ、搾取し、自殺寸前まで追い込むことは(多かれ少なかれ)許されますが、社員が経営者を殴ったり、金品を奪えば、彼は間違いなく監獄へ入れられる。

 

この構造は紛れもなく「いじめ」と同質ですが、いじめほど問題視されません。いじめにおける社会病理は、そのまま現代の社会病理と同じですが、ただ子どもたちが同じことをすると、メディアが思い出したように大騒ぎする。

 

狂った社会においては、狂った行為が正常とみなされる

 

いじめは、大人社会への「正当な」適応段階であると私は考えます。

 

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